2章7節 朝の光が眩しくて

 お風呂に入る時間は好きだ。


 汗が流れてさっぱりする。しっかりお湯に浸かった後はすっきり眠れる。ゆっくりと考える時間にもなる。昔からいいことづくめの時間だ。


 そしてなにより。美容にいい。


 中学生のころまでは部活の時に日焼け止めを塗る程度だったけれど。今は違う。


 トリートメントの後にリンスをするようになったし。入浴後にオイルを塗って乾燥対策をするようにもなった。


 今の自分は、一年前の自分よりきっとかわいい。


 喜佐美くんがいなければ。見た目に自信が持てるようにもならなかっただろう。


 だからこそ、ライバルともいうべき相手たちのことで手が止まる。


 生徒会長の朝野夕。転校生の八城桃華。


 ただのクラスメイトでしかない私に勝ち目があるのだろうか。


「いや。この考え方は違う」


 頭からお湯を被って、まだ残っている泡を流し落とす。


 排水溝に吸い込まれる泡と共に、一瞬だけ生じた迷いも吸い込まれていくようだった。


 肩書きとか属性とかは喜佐美くんとの関係で考えることじゃない。


 保健委員だから喜佐美くんと一緒にいたいわけじゃないからだ。


 私が保健委員であること。出会ったばかりのころは彼の近くにいる口実にしたけれど。好きになった理由じゃない。


 八城は恵宝高校に入学する前から喜佐美くんと付き合いがある。彼女にとって転校生であることは、口実であって理由じゃない。私が保健委員であることと同じだ。


 気にするべきは二つ。


 喜佐美くんと八城が恋仲にならないか。八城じゃなくて、私が喜佐美くんとお付き合いするには何が必要なのか。


 煮詰まってきたので湯船に入りなおす。


 考えている間に冷め始めていたようだ。身体が再び温まっていくのが心地いい。


 湯船で活発になった血行が、頭の回転も早めてくれた。


「あの二人。普通ならつきあってるよね」


 そうなのだ。どんなに顔が整っていようと。同じ時間を過ごしていようと。羨ましくなるくらい距離が近かろうと。あの二人はつきあっていないのだ。


 なぜ今まで気が付かなかったのだろう。


 八城には大きく差を付けられていると思ったけれど、そんなことはない。


 思わず拍手をしてしまって、跳ねたお湯が顔に激突した。


 水をかけられるという熟語の通りではないけれど、私の思考はもう一人の方へ移る。


「なら、朝野先輩はどうして」


 喜佐美くんをそばに置きたがるのだろう。放課後の生徒会室でやったことの意味は何か。


 八城の件では納得の解答を叩き出せたけど。朝野先輩のことはまったくわからない。


 だからこそ。ドーナッツ店の時に八城は私と手を組みたがったのかと気づいた。


 パシャパシャと鍵盤を叩くように水面を叩く。


 いい考えが閃かないかと思ったけれど、湯あたりするまで呆けるだけの時間になってしまった。

 

 お風呂上がりの冴えた頭も、寝て起きてしまえばどこか遠い所へ消えてしまう。


 なんでこう私は。早起きは得意なのに遅刻しかけてしまうのか。


 走って。改札に一番近い出口に移動し、また走って。なんとか待ち合わせ場所に間に合った。


 のだけれど。喜佐美くんとの待ち合わせ場所のベンチには、八城もいる。


 今日は私が学校まで一緒に行く日なのに。


 朝野先輩の謎を暴くために手を組んだはずなのに。


 これはどういうことなんだろう。


「二人ともおはよう」


「おはよう。久留巳さん」


「そろそろ行こうと思ってたんだけど。間に合ってよかった」


 喜佐美くんはいつも通り素敵な挨拶をしてくれた。今日も一日頑張っていこうと希望が持てる。


 八城。喜佐美くんからは見えない位置だからってどういう顔してもいいわけじゃないからな。


 とはいえ三人で登校するのが嫌なわけじゃない。


 八城とは、一応とはいえ、協力関係だ。喜佐美くんに朝野先輩のことを聞いてみるいいチャンスを掴んでいる。


 どちらから言うでもなく、私たちは喜佐美くんの隣に立ち始めた。


 通学中とはいえ、ここは校舎の中じゃない。朝野先輩は生徒会の挨拶運動で通学路には絶対にいない。


 逃がさないけど、女の子二人と並んで歩けるんだから悪い話じゃないと思う。


 尋問への旅路へいざ出発という時に、横やりが入って私たちの思惑は潰れてしまった。


「オーッス。朝から両手に花なんていいご身分だな喜佐美」


「おはよう呉内。今日は早いね」


「早起きは三文の徳ってよく聞くじゃん。どんくらいのもんか気になってさ」


「徳はできたかな」


「もち。お前が目の前で女子二人とイチャついてるじゃん。ご相伴に預かりたいんだがね」


「あははは」


 コイツ。一回くらいマジで痛い目みてくれないかな。


 いつものニヤけ顔が今朝は三倍くらい気持ち悪く見える。


「一応花だって褒めたんだからさ。怖い顔すんのは止めてくんねえかな」


 ウソ。見られてないよね。


 呉内が宙に向かって一言が、一瞬場を凍り付かせる。


「引っかかってやんの」


 下品で汚い笑い声が響き渡る。


 喜佐美くんの背中越しに八城と目を合わせる。


 大丈夫、とてもかわいい笑顔だ。私だって同じくらいかわいい笑顔だ。


 ふざけんなよと思うこともあったけれど。私たちはとても楽しく登校した。


 楽しく登校したのだ。記憶の中では呉内なんて最初からいなかったことにしよう。


 どうしても呉内が混ざってしまっても。喜佐美くん越しに八城がいても。喜佐美くんと登校することは楽しい。


 遠くから朝野先輩を始めとする、生徒会の声が聞こえ始めた。


 どうせ呉内は引っかかる。そこからが正念場だと思ったのだけれど。


「呉内。ネクタイ、付けるか外すかしないと朝野先輩に捕まっちゃうよ」


「あの先輩の前でだけ誤魔化すってのも小賢しいと思うんだがね」


「一回くらいは一緒に教室まで辿り着きたいな」


「じゃ、締めるか外すかしてくれよ」


 呉内は歩きながらも煽るように背を屈めて。袖を余らせた喜佐美くんの手がだらしない胸元へ伸びる。


 伸ばされることで袖から姿を現わした白い指は、ネクタイを掴んであっという間に呉内の喉元へ登っていった。


 私はネクタイを外してくれるとばかり思っていた。呉内もそうだったらしい。


「ぶぁっふ。ボタンくらいしめさせろよな」


 なんともないように見せつつも、けっこうムセてるのが滑稽だった。


「いつもからかわれてばっかだし。たまにはこういうのもいいね」


 少しはしゃぎ過ぎじゃないかと思うほど、喜佐美くんは楽しそうだった。


 呉内にお返しを喰らいながらも、喜佐美くんは八城を時折見つめかえしていて。


 二人はふだんどうやって過ごしているのか。なんとなくわかった気がした。

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