第3話

 中島の家でキーホルダーを作った日から数日後。家でテレビを見ていると台所にいる母親が唐突に私の名を呼んだ。


「なに?」

「ちょっと砂糖を買ってきてくれない? マフィンを作ろうとしてたんだけど、ちょうど砂糖がきれちゃったのよ」


 母の元に顔を出すとお使いを頼まれてしまった。

 今は昼食を終えたあとの日中だ。暑い中、外に出るのは気が進まなかったが、頼まれてしまってはしかたがないので近くのスーパーに買い出しに出かける。


「あっつ」


 今日も太陽は元気に顔をのぞかせている。

 そろそろ涼しくならないかと、毎日淡い期待を抱いているが、天気予報ではまだまだ暑い日が続くと言っていたので憂鬱だ。


「はぁ……」


 首元が汗ばみ、髪がくっついてきもちが悪い。

 家からスーパーまでの距離がいつもより遠く感じながらも、なんとかスーパーにたどり着く。

 店の自動ドアが開くと、涼しげな風を感じてつい駆け足で店内に入った。

 昼間のスーパーは思いの外、人が多い。普段は母親などの大人や家族連れが多いが、今は夏休み中ということもあって学生だけで店に来ている人も多いようだ。

 なかには小学生だけでも来ているようで、私と入れ替えに、小学生たちがお菓子の入った袋をぶら下げて出て行った。

 家族で何度も来ている店なので迷うことなく砂糖の売り場にたどり着く。母がいつも買っている砂糖を手に取るとレジへと向かった。


「あっ、実緒さん」


 しかし不意に背後から名前を呼ばれて立ち止まる。振り返ると隆史たかしの友人の冬矢とうやが立っていた。


「あれ、冬矢くん、どうしたの? 家族とお買い物?」

「いえ、一人でお菓子を買いに来たんです。しょうに持っていってあげようと思って」


 そう言った冬矢の手にはグミやガム、ポテトチップスといったお菓子が入った、お菓子売り場にある子供が持つ小さなカゴが握られていた。


「正って、同じ学校の子?」


 隆史の友人なら一度でも聞いた覚えがあるだろうが、冬矢の言う正という名に聞き覚えはなかった。

 私が首を傾げると冬矢は首を横に振る。


「いや、隣町に住んでる俺の親戚です。その、正について中島さんに相談があるんだけど」

「中島さんに?」


 冬矢は頷く。


「うん。隆史が困ったことがあったら中島さんに相談すればいいって言ってたけど、俺はあの人の連絡先を知らないから」

「なるほど、それでたまたま見かけた私に声をかけたんだね」


 冬矢はこくりと頷いた。


「わかった。じゃあ中島さんの家まで案内してあげるよ」

「ありがとうございます」


 レジで会計を済ませ、店を出る。このスーパーから中島の家に行こうとすると一度私の家の前を通る。なので冬矢に待ってもらって、頼まれた砂糖を母に渡してから中島の家に向かった。


「急に行って家にいるのかな」

「大丈夫だと思うよ。たぶん部屋でクーラーつけてゴロゴロしてるんじゃないかな」


 心配そうな冬矢の問いに笑って答える。

 中島は用がないかぎりは、あまり積極的に外出しない。こんな暑い日にはとくにそうだろう。

 冬矢を連れて中島の家に着くと玄関の戸を叩いた。


「はーい」


 こちらからなにか言うまえに、すぐに中から中島が出てきた。


「あ、実緒ちゃんに冬矢くん。え、どうしたの?」


 中島は冬矢の顔を見て驚く。たしかに私だけならともかく、そんなに交流のない冬矢が尋ねてきたら驚きもするだろう。


「さっきスーパーで会ったんです。冬矢くんが中島さんに相談したいことがあるって」

「俺の従兄弟のことです。お願いします」


 そう言って冬矢は頭を下げた。

 私も冬矢とは付き合いがあるわけではないが、なんとなく礼儀正しい子だという印象を受ける。


「ま、まぁ上がって。ちょうど飲み物を取りに来てたんだ。冬矢くん、ジュースでいいかな?」

「うん」


 なるほど、中島が出てきたのが早かったのは台所まできていたからだったのか。

 台所のテーブルの上にはジュースが入ったコップが置かれている。

 中島は三人分の飲み物を用意し、居間に運んだ。


「私も冬矢くんの相談内容聞いていいの?」

「うん。実緒さんは優しいって隆史が言ってたから一緒にいてくれると助かる」

「そっか」


 そんな風に思ってもらえているとは、なんとも嬉しいことだ。つい照れてしまいそうになる。


「実は……」


 冬矢はリンゴジュースを一口飲むと、話を始めた。


「俺の従兄弟にしょうって男の子がいて。今年小学校に入ったばかりなんですけど、急に声が出なくなって困ってて。医者も治せないって言ったんです」

「声が出なくなったのに心当たりはあるのかな?」

「病院の先生は怪我とかじゃなくて心理的なものだって。父親と喧嘩したからじゃないかって言ってました」


 中島の問いに冬矢は冷静に答えていく。しかしその表情は暗く、正のことが心配でしかたがないのだろう。


「どうして僕に相談しようと思ったの?」

「ああ、それは隆史くんが困ったら中島さんを頼ればいいって言ったかららしいですよ」


 二人の会話に横槍を入れる。冬矢はたしかにスーパーでそのようなことを言っていたはずだ。


「うん。困ってどうしようもないときは中島さんがなんとかしてくれるって」

「いや、僕もなんでもできるわけじゃないんだけどな。まぁ、そんなに頼りにされているなら頑張ってみようかな」


 中島が言った。困った顔をしながらも頼りにされてどこか嬉しそうにも見える。


「これから正の家に遊びに行くつもりなんです。もしよかったら正の様子を見てもらえませんか?」

「僕はお医者さんではないけど、僕にできることなら頑張ってみるよ」


 正の声がでくなった原因は中島の専門外の可能性もあるが、まずは見てみないとわからない、ということで冬矢の案内でバスにのり、正の家に向かう。

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