第2話

 高橋には孫がおり、名前は星良せいらと言う。その星良の家で飼われている猫が一週間ほど前にどこかに消えてしまったらしい。

 しかも不思議なことにその猫、モモは窓も開いていない密室から忽然と姿を消した。

 星良や彼女の両親は家中を探し回り、家の周囲へと捜索範囲を広げたがついに見つけられなかった。

 いつものように餌を置いて待っていてもモモは帰ってこない。飼い主の星良は参ってきていて元気をなくしているらしく、高橋もかわいい孫のためにモモを見つけてあげたいそうだ。


「なるほど。その猫の特徴はなんですか?」

「そうねぇ、とても人懐っこい子よ。とくに孫には懐いていたわね。元々は野良猫だったのを星良が拾ってきたの。たしか紺色の首輪をつけた三毛猫だったわ。」


 高橋は自身の記憶を辿りながらモモの特徴を挙げていく。


「ええと、待ってね。たしか写真が……ああ、あった。これがモモよ」


 高橋は思い出したようにスマホを取り出し、慣れた手つきで操作した。

 見えやすいよう机の上に置かれたスマホには綺麗な毛並みをした猫が写っている。高橋の記憶通り首には紺色の首輪が付けられ、銀のプレートがぶら下がっている。高橋に断りを入れ拡大するとプレートにはモモと書かれていた。思った通りネームプレートだったようだ。


「三毛猫ということはモモちゃんは女の子ですか?」

「あら、そうよ。よくわかったわね」

「三毛猫は女の子が産まれる確率の方が高いんですよ」

「へぇ、知らなかったわ」


 中島の言葉に、高橋は感心したように頷いた。

 私もそうなのかと心の中で感心した。中島が猫に詳しいなんて初耳だ。


「私は猫には詳しくないからなんの手助けもしてあげられなかったの。中島さんは猫に詳しいのかしら。助かるわ」


 ほっとしたのか高橋は表情を緩ませた。猫探しをするのだから猫に詳しい人がいると心強い。


「すみませんが星良ちゃんのお家に案内してもらってもいいですか?」

「ええ、もちろんよ。早く見つけてあげたいもの」


 中島の問いに高橋が答える。

 中島は普段あまりやる気を感じさせないが、誰か困っている人がいるとすぐに動く。やるときはやるところがトヨたちにかわいがられている理由だろう。


「実緒ちゃんはどうするの? モモ探しを手伝ってくれるのかしら」

「あ、はい。私でよければお手伝いしますよ」


 急に高橋に声をかけられる。驚いて慌てて返事をした。

 八月に入り、初めての夏季休暇は友達作りに失敗した私にとっては随分と長く、退屈だった。どうせ家でごろごろしているくらいなら人の役にたとうと思う。


「えっ、みーちゃんも来てくれるの」

「だからみーちゃん言うな。ついて行きますよ。どうせ暇なので」

「ふふ、わかったわ」


 私と中島のやりとりを見て高橋はくすりと笑って立ち上がった。


「孫の家に行く前に電話して事情を話しておくわね」


 高橋はそう言って一足先に玄関へと向かった。それについて行こうとする中島を制止する。


「いや、さすがに着替えてくださいね?」


 私の言葉に中島はハッとした顔をして寝室へ歩いて行った。おそらく高橋と話しているうちに寝巻きにしている半袖シャツのままだということ忘れていたのだろう。

 机の上を軽く片付け、玄関に向かう。玄関先にちょうど電話が終わったであろう高橋が立っていた。


「すみません、中島さんは着替えに行きました」

「あらそうなの。じゃあ、今のうちに車を取りに行くわね。待っててもらえる?」

「はい」


 高橋は中島の家から少し離れたところにある高橋の家に車を取りに行った。玄関で一人暇を持て余していると家の中から駆け足が聞こえた。


「すみません、ちょっと着替えてました!」


 寝室から走ってきたであろう中島が軽く頭を下げる。


「高橋さんなら車を取りに行きましたよ」

「あれ、そうなの」


 中島はここに高橋がいないことに気づき玄関の段差に座ろうとした。


「待ってください。時間あるんだし髭も剃ってきたらどうですか?」

「えー、めんどくさいなぁ」


 中島の顔には短い髭が生えていた。この長さから見るにおそらく昨日から剃っていなさそうだ。


「そう言わずに身だしなみはちゃんしましょうね」


 そう言って中島の背を洗面所まで押していく。

 べつにここで待ってもいいが、玄関にいた方が高橋が戻ってきたのがわかりやすいだろう。雲に遮られることなく悠々と地面を照らしつける太陽の姿を視界の端に確認しながら玄関で中島と高橋がやってくるのを待った。


「待たせてごめんなさいね。あら、中島さんはまだなのね」


 中島が髭を剃り終わる前に車に乗った高橋が戻ってきた。玄関に私しかいないことを確認して車を車道の端に停めてこちらへ歩いてきた。


「中島さんは髭が伸びていたので剃りに行きましたよ」

「そう」


 高橋は返事をすると玄関の段差に座り込んだ。ここで中島を待つようだ。


「そういえばモモちゃんって野良猫だったんですよね。今、いくつなんでしょう?」


 中島が来るまでどうせ暇なので高橋に追加でモモの話を聞く。


「そうねぇ、たしか四歳くらいって話だったわね」


 モモは元が野良なので正確な歳はわからないそうだが、星良が連れて行った動物病院の先生が判別したらしい。

 この情報が役に立つかはわからないが、念のため聞いた情報をスマホにメモしていく。これは中島と一緒にいるうちに身についた習慣のようなものだ。

 中島と違い記憶力に自信があるわけではない私は相談内容をしっかりとメモするようになった。


 中島に舞い込んでくる相談は心霊現象などが関わっているものが多い。もちろん中には勘違いや隣人からの嫌がらせだったという人間の仕業だったこともあったが、本物の心霊現象に遭遇したこともあった。

 正直なところ幽霊の類は得意というわけでもなく普通に恐怖を感じることはあったが、どうやら私は霊感がないまったくないタイプの人間らしく小道の幽霊以降それらしき者は全然目にしない。


 霊感のない私がどうしてあの小道では視えたかというと、あの霊が直接私に取り憑いたからだと中島は言っていた。霊感はないものの小道の霊と無意識的に共感してしまったのが、足音を立てるだけだと言われていた霊を自身の体に取り憑かせてしまった原因だそうだ。

 視えない私とは違い中島は視えるタイプの人間で、もし相談された内容が霊によるものだったとしたら現場を一目見るだけで本物の怪奇現象かどうか見破れるらしい。


「モモちゃん、見つけられるように頑張りますね!」

「ええ、ありがとう」


 拳をぐっと握って気合を入れる。

 モモは密室から忽然とその姿を消した。その原因を心霊の類だと高橋は睨んで中島に相談したのだろうが、せっかく行くのだから私だって役に立ちたい。


「すみません、お待たせしました」


 髭を剃った中島が玄関に顔を出す。背も高くすらっとしたスタイルをした中島は身だしなみを整えると、どちらかというと美形な方に入るのではないだろうか。長い前髪を切ればモテると勝手ながらに確信している。


「ああ、中島さん。じゃあ、みんな揃ったことだし車に乗りましょうか」

「はい!」

「お邪魔します」


 中島は玄関の鍵をかけて車に乗り込む。高橋が運転席で私と中島が後部座席だ。

 私はスマホにメモした内容を中島に一応中島に伝えておく。とくにめざとい情報はないが、小さな情報でも知っていて困るものではないだろう。


「猫ちゃんと会えるの楽しみだなぁ」

「遊びに行くんじゃないですよ」

「わかってるって」

「あら、ふふ」


 猫探しに行くというのにどこか浮かれ気分な中島を諌めると高橋がまたも笑った。家を出る前といいそんなに私と中島の会話はおかしなものだろうか。


「えっと、なにを笑ってるんですか?」


 聞いて良いものか迷いながらも高橋に問いかける。

 高橋はごめんなさい、ついと断りを入れてから、


「中島さんが楽しそうだったから」


 と答えた。


「最初の頃の中島さんは話しかけづらいイメージがあったのよ」

「えっ、そうなんですか」


 私の知っている中島はだらだらとしたゆるい大人というイメージしかないが、私より先に中島と知り合った高橋が言うにはどうやら違うらしい。


「中島さんがこっちに引っ越してきたばかりの時はずっと俯いて地面ばかり見ていたのよ。空き家の放置された庭の雑草に負けないくらい髪も伸び放題で顔色もわからなくて、すごく近寄りがたかったの。トヨさんと実緒ちゃんがよく会いに来るようになって、本当に楽しそう」

「や、やめてくださいよ。そんなことないですから」


 高橋の言葉を中島は照れ臭そうに否定した。


「へぇ、そうだったんですね。昔の俯き中島さん、会ってみたいような会いたくないような」

「会いたいとか思わないでいいから! トヨさんに色々言われて今は結構マシになったから!」


 中島は慌てていた。そんなに過去の自分が恥ずかしいのだろうか。

 中島とは出会ってまだ数ヶ月しか経っていない。自分のことを滅多に話さない中島のことは正直なところよく知っているわけではなかった。

 トヨから聞いた話では中島がこちらに引っ越してきたのは二年前で、大学卒業後一度は正社員になったものの、退職して一人暮らしを始めたと言っていたそうだ。

 謎が多い中島のことを一番知っている人間はおそらく、彼が越してきてからずっと世話を焼いていたトヨだろうがそのトヨでさえ中島の過去を全部知っているわけではない。


 中島の過去を知りたい気持ちはあったが、本人が黙っているのに無理矢理問いただすのも違うと思って口をつぐんだ。

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