第三十話 揺れる

 占い小屋は急遽、休業の看板をかけた。

 あんなことがあった後でショックから立ち直れず、お店を開ける状態になれなかった。

 まさに突然のことだ。

 ビリアンに占い小屋の権利を明け渡せと要求され、さもなければ親の家へ収めるべき収入を横領した罪で訴えると言い渡された。

 そんなビリアンは、返事を一週間後にもらうと言い残し既にテントを後にしたけど、完全に勝ちを確信していた。意気揚々とする後ろ姿は、思い出しただけでも苛立ちが募る。

 私の頭はパンク寸前だ。

 突然の来訪に突然の要求。もうどうしたらいいのか……。

 でもそれと同じくらい、厄介なことにもなっていた。


「まさか君が、ヴェールヌイ家の元婚約者だったとはな……」


 ウィルだ。ビリアンが去った後も彼はテントに残っていて、今までずっとなにか考え込んで黙ったままだった。

 そんな彼がようやく口にした言葉が、まさかこんな一言とは……。


「以前、通りで騒動になった時から、彼とはなにやら因縁があるとは思っていたがそういうことだったか……」

「ごめんなさい、隠していて……」


 まさか、正式に婚約が解消されていなかっただなんて、私も驚きだった。

 あれだけ怒って、しかもそのすぐ後に新しい相手を連れていたビリアンのことだから、私との関係は徹底的に解消しているものだと思い込んでいたのに。その勝手な思い込みが、今回のようなことを引き起こすことになるとは。

 私もいつかはウィルに自分のことを話そうと思っていた。婚約を破棄されたこと自体は、私はなにも思っていなかったが、世間の印象としては決して言い話題では無い。

 そんな後ろ暗い事実を話すことに抵抗があったけれど、それでもウィルになら話せる日は来ると思っていた。

 でも現実は違った。私の想定していない最悪の形で、最悪の人間の口から言い渡されることになるとは……。



「いや、そのことは別に……」


 どうしてだろう。

 ウィルが、私に気を遣ってくれているのは分かる。でも、そう答えるウィルの言葉が、なぜだか私には酷く辛かった。

 色んな事が起きた。起きすぎて、ずっと混乱しっぱなしだ。


「それよりも、君のことだ。これから、どうするんだ?」

「え……?」

「店のことだよ」


 お店……あぁそうか、この占い小屋のことか。

 この占い小屋は、私がこの街に来てからみんなの力を借りて作ることが出来たものだ。当然、誰にも渡したくはない。だけど、法的には完全にビリアンに有利だろう。

 貴族の家の一員であるのなら、本来は家の名を借りて商売をする。そのため自らが得た利益の一部は必ず親の家へと収める義務があるのだ。

 もちろん私は、実家のアリアンロッドの名もヴェールヌイ家の名だって微塵も出していない。

 だけど、名前を出しているか出していないかに関わらず、私が書類上ではまだヴェールヌイ家の一員ならば、私にもその義務は発生しうる。収めるべきものを納めていないとなると……私は罪に問われるだろう。

 横領、したとされる分の返済、そして莫大な賠償金。それらを請求されれば私は一生借金漬けだ。

 じゃあ、ビリアンの提案を飲んで、占い小屋を明け渡す? 

 ううん、それこそ論外じゃない。そうなればあの占い小屋はヴェールヌイ家、つまりはビリアンの物となり、そこで働かせれる私は……一生奴隷扱いだ。

 横領した、とされる分の返済と賠償金を支払わない分、マシかもしれないが、それも結局はビリアンとの口約束。彼のことだ、いつ反故にするかも分からない……いや、後から手の平を返すつもりだって十分あり得る。

 やられた。完全にはめられた。

 訴えられるか、利権を渡すか。

 どっちを選んでも、私の自由はもはやない。

 終わりだ、詰みだ。


「マリー!」

「え?」

「大丈夫か……?」


 ウィルが心配そうに私の顔を覗き込んでくる。

 あぁ……今度は考え込んでいて、周りが見えていなかったか。

 まいったなぁ……これはかなり酷い。


「マリー、困っているなら頼ってくれていいんだぞ」

「ありがとう、ウィル」


 ウィルの言葉は嬉しい。本当に嬉しい。

 だけど……。


「……でも、これは私の問題だから」


 彼を頼ることは出来ない。

 ううん、ウィルだけじゃない、他のみんなもだ。

 法的にはビリアンの主張が正しい。仮にもし争うとなれば後見人になってくれたウィルはもちろん、店の場所を貸してくれた団長さん、店の雑貨を色々くれた切り株亭のマスターやキリエちゃん。他にも大勢の人達に迷惑をかけることになる。

 見ず知らずの、それも身元を隠していた私を支えてくれたみんなに、これ以上迷惑はかけたくない。


「俺は、そんなに頼りないか……?」

「ううん、そんなことないよ。大丈夫、大丈夫だから」


 私は、顔を背けていた。

 ウィルの悲しそうな顔が、見ているのが辛かったのだ。

 





 

 帰宅した私は、着替えもせずすぐさまベッドへと身を投げ出した。


「…………ハァ」


 応急処置で直したベッドの足が、ミシミシと不快な音を立てる。

 でも今は、気にする余裕もなかった。


「どうしたらいいんだろ……」


 結局答えは出ないままだ。

 いっそ、小屋の権利だけ渡して逃げてしまおうか?

 占いなら、別な街へ行っても出来るのだから。


「…………無理だな……」


 思いついて、自分で呆れかえる。

 逃げたところできっとビリアンは追いかけてくる。金づるになる私を彼はそう簡単に手放しはしないだろう。


「それに…………」 


 切り株亭のマスターにキリエちゃん、騎士団のみんなと団長さん、インプレッス商会のレックスさん、ヴィヴィオさん、ラステルさん。

 そして、ウィル。

 この街で過ごした日々は決して長くはない。でも、その短い間すごくすごく楽しかった。この街を離れたくない、出会った人達みんなとこんな別れ方はしたくないのだ。


「でも、どうしたらいいんだろ……」


 考えて考えて、考え抜いた。

 小さな頭の中で、いくつものことを。

 それでも、答えは出なかった。

 




 結局、考えはまとまらなかった。

 ベッドの上で考えて悩んで、問答して。そうしていたら、いつの間にか朝を迎えていたのだ。

 私は気怠い体のまま、自宅を出る。

 考えていても始まらない。とにかく目の前のお客さんに集中しよう。それしかできることはないのだから。

 そうして、重い足取りで占い小屋へとやってきたのだが……


「……?」


 占い小屋のある路地の周りには、ちょっとした人垣が出来ていた。ざわざわと騒がしく、騎士団の人達もやってきている。

 どうやら、この路地でなにかあったようだ。


「マリー!?」

 

 遠目で様子を伺っていたら、人垣の中からこちらを呼ぶ声がした。

 ウィルだ。彼は血相を変えてこちらへと駆け寄ってくる。


「マリー良かった。無事だったんだな」

「え? ええ……私はなにも……え、どうしたの」

「マリー、どうか落ち着いて欲しい……」


 私はウィルに手を引かれ、人垣の間を通っていく。

 酷く胸が苦しかった

 人垣の間を通る時、大勢の人が私を見ていた。中には何度かお店に来てくれていた人もいる。

 どうしてなのだろう? 彼らはみんな、私に同情の眼差しを向けていた。

 どうして? どうしてそんな目で私を見るの? 私は怪我の一つもしていない。そりゃ徹夜で顔かもしれないけれど、だからってそんな哀れむような顔をする?

 どうして……どうして、みんな悲しそうなの?


「そんな……」


 なんとなく、そんな予感はしていた。

 彼らが心配していたのは、私ではないのだと。哀れみ、悲しそうな目を向ける先は私ではないのだ。


「占い小屋が……」


 そこに私の占い小屋はなかった。お客さんが座る椅子も、占いをするテーブルも、値段を書いていたブラックボードの看板も。

 あるのは、ただ無残に崩れ去り、ズタズタに切り裂かれたテントだった物だけ。


「今朝、近くの店から通報があってな……」


 へたれ込む私に、ウィルが優しく告げてくれる。


「どうやら夜中、何者かが君の小屋を襲ったようだ。物取りか、それとも破壊行為か、どちらにせよ犯人はまだ分からないんだ」

「そう……」

「テントの中に君のカードは無かったが……」 

「ううん、私が持ってる……お金も、全部……」

「そうか、それなら……」


 良かった、とはあえて口には出さなかった。

 どうしてこんなことになったんだろう?

 私が同じ占いをしたせい? そのせいで、私の占い小屋がこんな無残な姿になったの?

 ううん、そうじゃない。

 これは、きっと――


「おやおや、これは一体なんの騒ぎですかな?」


 人垣の中から、一際嫌みったらしい声が聞こえてくる。

 振り返らないでもそれが誰だか、私にはよく分かった。


「ビリアン様……」

「やあ、騎士殿。朝早くからずいぶんな騒ぎだ、一体なにがあったんだね」

「申し訳ありません。現在調査中で、ビリアン様といえど部外者の方には」

「部外者ではないさ。なにせそこで惨めに打ちひしがれているその娘は、我がヴェールヌイ家の者で、私の元婚約者なのだから」


 ビリアンは、外面だけはいい微笑みを浮かべていた。

 そしてそのまま、私の傍へ。


「あーあーなんと無残なことだ」

「………………」

「酷いものだ、こんなことをする輩がいるとは……きっと酔っ払いが勢いでこんなことをしてしまったのだろうなぁ」


 なんで?

 彼はなんで、こんな芝居がかったこと言うの?

 まるで私に寄り添うように、同情するように。野次馬の人々にそう印象づけるように。


「こんなことになって可愛そうに。だが安心したまえマリー」

「?」

「私が新しい占い小屋を用意してあげよう」


 新しい小屋を、用意する?


「私の持つ土地で、たまたま私が建てた賃貸があって、たまたま空きがある。そこで君の占い小屋をやらせてあげるさ。ふっふっふ」


 そうか……。

 占い小屋を壊したのは、きっとビリアンだ。

 テントを壊して、自分の所有する場所に追いやって、完全に利権を掌握するつもりなんだ。


「ふっふっふ……」


 やられた……。

 これで私に、逃げ場は無くなった……。





 占い小屋が壊されて、お店は当然開けない。

 ショックだった。一人ではその場から立ち上がることも出来ないくらい。

 そんな私の手を取ってくれたのは、ウィルだった。

 そうして手を引かれやってきたのは切り株亭。


「大丈夫、マリーちゃん……」


 席に座った私の元へ、キリエちゃんがすぐにお茶を運んでくる。

 まだ注文もしていないのに、どうしてと思ったけど、心配そうなキリエちゃんの顔を見て分かった。

 キリエちゃんは、気を遣ってくれたのだろう。

 奥を見れば、マスターも強面の顔でブスッとしたままだけど、こっちを気にしている様子が窺える。

 占い小屋のことは、街でも話題になっているようだ。行列が出来るくらいのお店になったから、当然といえば当然か。


「ありがとう」


 差し出された紅茶を口へと運ぶ。

 口内からお腹の中まで、じんわりと暖まる感じが、とても心地よくて、ホッとする。


「落ち着いたか?」


 対面に座っていたウィルが尋ねてくる。


「ありがとう、ウィル。少し気が楽になったよ」


 ウィルがいなかったら、きっとあのまま呆然としたままだっただろう。ホントにウィルには助けられっぱなしだ。


「騎士団の仕事中だったのに、ゴメンね」

「それは別に構わないが……」

「占い小屋を壊した犯人は、多分ビリアンよ……」


 ビリアンは随分とずるがしこい手を使ってきている。

 私が利権を渡すことを断ったとしても、占い小屋は最終的にはビリアンの物となる。

 それならいっそ、裁判という無駄な手間をかける必要はない。だから彼は、私の占い小屋を壊すことで、私に利権を渡すしか無い状況を作り出したのだ。


「恐らく、そうだろうな……」

「でも証拠は無い」


 そうでしょ、と尋ねる私の視線に、ウィルは僅かに目を反らす。

 

「さーて、これからどうしようかな」

「……………………」

「占い小屋も潰されちゃって、もうどうしようもないわ」


 ハハハ、と空元気。


「でも訴えられて借金漬けになるのはイヤだしなぁ、いっそ利権を渡しちゃうおっか」

「………………」

「そうすれば食いっぱぐれることはないし、その方が」

「マリー」


 ウィルが私を見ていた。

 静かに、穏やかに。でも、悲しそうに。


「昨日も言っただろ。困っているなら、頼ってくれて構わないと」

「……ダメよ」

「どうしてだ!」


 ウィルが声を荒らげる。

 珍しいことだった、テーブルを叩き立ち上がり、まるで怒っているようだ。


「俺は頼りないのかもしれない。でも俺だけじゃ無い。他のみんなも頼っていいんだぞ」


 キリエちゃんも、店の奥にいるマスターも私を見ていた。

 キリエちゃんはウンウン頷き、マスターも静かなままだが小さく頷いてくれる。

 ああ、本当にありがたい。

 ありがたいのだけれど……。


「……やっぱり、ダメよ」


 私は彼の言葉に頷けなかった。 


「どうしてだ? どうして頼ってくれない?」


 私が開いた占い小屋は、大勢の人達に手を借りて開かれた。

 でも私は知らなかった、私がまだヴェールヌイ家の一員であることを。そしてそれが今回の大きな問題だった。

 私がしてもいない横領の罪でビリアンに訴えられれば、場合によってはみんなにも迷惑がかかる。

 場所を貸してくれた団長さんも、

 後見人になってくれたウィルも。

 もしかしたら、色々な雑貨を提供してくれた切り株亭の二人もそう。

 みんなが、私のしてもいない横領の共犯と見られかねないのだ。

 いや、ビリアンのことだ。もしかしたら、強引にでもみんなを貶めようとさえするだろう。

 私が訴えられるのはいい。それは仕方が無いことなのだから。

 でも、みんなが同じ目で見られるのは、耐えられない。

 この街のみんなが好きだ。身元を隠した私を受け入れてくれて、優しくしてくれたみんなが大好きだ。

 だからこそ、迷惑はかけられない。


「そうか……」


 立ち上がったままのウィルが呟く。

 ため息と共に落胆する様は、彼にはあまり似合わない姿だっただろう。。

 ウィルが私を助けようとしてくれる。

 それはこの街に来てからずっとそう。私は彼に助けてもらってばかりだ。

 チンピラに絡まれた時も、仕事が見つからず、占い師になることを躊躇っていた時も。いつもそうだった。

 この街で出会って、この街で一番長く付き合いのあるウィル。

 だからこそ、その一言は、本当に辛かった。


「もっと、信用されていると思っていたんだがな……」


 決定的な一言だった。

 それは、今までの私達の関係を終わらせる、致命的な一言。

 悲しかった。こうして出会って、この街で楽しく過ごせていたのは、多くはウィルのおかげだ。

 彼ともっといたかった。もっと色々なことをしたかった。

 でも……これでいいのだ。彼やみんなに迷惑はかけられない。


「………………」


 ウィルが席から立ち上がる。

 そのまま店の外へと出て行く。

 私に、それを止める権利は無かった。

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