第53話 通り夢のかんばせ 6

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 その時エンジン音が響いた。

 私の車ではない「グランドホテル海月」から車が接近してくる。

 口紅だろうか? フロントガラスに文字が書いてある。

『お前で確かめてやる』

 車は私の体にぶつかり、ボンネットに乗せたまま直進していった。

 射手はカーブの直前で車から飛びおりていた。

 フルフェイスのヘルメットに、ライダースーツ、プロテクターを身につけており、どんな人物なのかは見さだめられなかった。ただ異様に長く美しい髪をたなびかせていたのは憶えている。

 車はカーブにつっこんだ時点でぺしゃんこに潰れた。〈花嫁行列〉の前に出てしまったのだ。ガラス片やパーツが宙に舞った。


 一足先にボンネットから転がり落ちていた私の体も、当然無事では済まないだろう。叫んでももう間に合わない。

 


 もう手遅れだった。本当に後悔している。

 こんな事になるとは思いもしなかったのだ。

 射手は〈花嫁〉の姿を見てしまっていた。

 〈花嫁行列〉カーブに沿ってゆっくり曲がってくる途中で、普通なら客人からは〈花嫁〉が見えなかった筈だ。

 けれど、彼あるいは彼女が突っこませた車が破壊されたとき、ガラスやミラーの破片が宙を舞っていた。それが〈花嫁〉を写してしまったのだろう。


 客人は自分の戦果を確認するため、目を開けていただろう。

 その時、鏡が客人の視線と〈花嫁〉の像をつなげてしまったのだ。その程度の視線であっても〈花嫁〉は決して許さない。

 白と朱色の縄が射手の体に巻きついた。

 客人は、何か叫んだかもしれない。長い髪が抵抗するかのように踊った。しかしどうしようもない。

 一度〈花嫁〉を視てしまったら、どこにいても無駄だ。無数の縄は空間を無視して、獲物を捕縛してしまう。

 客人は燃え上がりながら、行列のほうへ引き摺られていった。



 やがて〈花嫁行列〉が到達した。

 私は、砂浜の方まで逃れ、〈花嫁〉を視ないよう頭を垂れたままでいた。

 前列には髑髏の神職や楽隊。

 貌のない童子が捧げ持つ香炉から、白檀の煙がたつ。

 花嫁自身は角隠しをかぶって、和傘の下にいる。新郎の姿はない。なぜだかこの〈花嫁行列〉に新郎は存在しない。

 後ろに続く参列者は、皆が花笠をかぶっている。

 顔を隠すほど大きく、遠くからでも眩しいほど飾り立てられた花笠だった。

 それが長く長くつづいているから、それらは白無垢の花嫁を飾るための花垣のようだ。

 〈花嫁〉が過ぎれば、あとはずっと眺めていていい。私はそうした。

 やがて列の最後尾に、花笠をかぶった、極めて美しい髪の女性を見た。あの客人だ。

 〈花嫁〉の貌を視た者は列に取りこまれ、永遠に死ぬこともできず一月四日を繰り返すことになるのだ。

 そしてその狩人の隣に、紋付き袴を纏った脳迷Q太郎の姿もあった。


 列が行き過ぎると、〈私〉は二本の触手と八本の足を蠢かせて、ホテルへの道を辿り始めた。


 ■■■


 ひと言でいうと、撥ね飛ばされ〈花嫁〉を視てしまった私と、ここにいる十本足の〈私〉は別の人間だった。

 正確には「別々になったばかりの人間」だ。

 狩人さんに降参する前、車の中で私は割れかけた自分の頭から――グロテスクで申し訳ないが――脳髄の大部分と取り出していた。

 そして小脳あたりだけ残した肉体の方を、車から降ろしたのだ。


 生物の構造は大きくいって内臓系と、脳などの神経系にわけられるという。

 種の保存に重要なのは内臓の方で、脳などというものは、神経を使って内臓に寄生しているようなものなのだ、という説をどこかで読んだことがある。

 それが正しかったのかは不明だが、今回はその様になった。


 取り出された脳髄は神経の触手を伸ばして、烏賊君とつながった。

 烏賊君の操作については慣れている。それでも上手くいくかは賭けだったが、〈私〉は烏賊君の体を乗っ取ることに成功したのだ。

 それから烏賊君を操作して客人の説得に取り掛かったのだった。

 死ぬことのない〈ホール〉だからこそできた作戦だといえる。


 しかし、射手が車をあんなふうに使って来るとは想像もしていなかった。

 自分の体をダミーに使ったのは、それを撃たせて狩りをお仕舞いにしようと思ったからだった。 

 私があっさりやられてしまえば、射手の客人も〈花嫁〉についての話を信じてくれるかと思ったのだ。

 しかし、結果はこの通りだ。


 返す返すも残念だ。

 異様に美しい黒髪をした女性のようだったが、最後まで顔はみられなかった。

 もし和解できていたら、あの美しい髪に巻かれて眠ることもできたろうし、楽しい狩りの話を聞くこともできた。

 仮に敵対したままでも、狩りは続けられたのだ。

 それによって客人は癒やされただろうし、私も悪夢を堪能できただろうに。


 体があまりに小さくて不便なので、更に数匹の烏賊君を乗っ取って、体を大きくした。

 そうしているところへ、一人の老人が尋ねて来た。

「まだ〈ホール〉で悪さをしているのか?」

 〈ホール〉での昔の仲間だった。


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