第38話 メリー・メアーの長い首 7


「うわヤバイヤバイ」

 真っ暗な中を襲ってくる獣から逃れて、我々は夜祭りの中まで撤退した。

 サーカスの獣はそこまで追ってきた。

 赤や黄色の夜店の灯りの中をなまぐさい影が飛び交うと、進路上、および着地点にあった屋台が吹き飛ばされていく。

 電球が火花を上げて弾け、綿菓子や杏飴、金魚の死体が地面へ散らばった。

 獣は全身黒い剛毛に覆われていて、夜祭りの光のなかでも姿は矢張りはっきりしない。

 曖昧模糊あいまいもことした外見とは反対にめっぽう素速く、地面を掻く爪の音は力強かった。


「ごめんなさい、ごめんなさい! お酒かけてごめんなさい!」

「もうお前、食われとけよ。どうせ死なねえんだから」

「食われたらどうやって帰るんだよ!」

「じゃあお前を食った後のあの黒いの連れて帰るわ」

「嫌ぁ!」


 世古田よこだの提案には私も興味はあるが、他人の命で実験するのもいかがなものか。

 帰るためのバスはまだ来ないし、二人が生き残るにはここを切り抜けなくてはならない。

 二人の男は押し合いへし合いしながら逃げ惑っている。

 二人の代わりに影に弾かれて、首吊りの群平おじさんたちが、ボーリングのピンみたいに跳ね上がったり回ったりした。


「すげー! 悪夢すげー!」

 詞浪しろうさんだけは大喜びだった。

 まさに狂喜乱舞。飛び交う影へ、着物の裾をからげて向かっていき、脱ぎ捨てたぽっくり下駄を武器に大暴れしている。

「ストッパー外すぜー! ヒヒッヒヒヒヒッ!」

 ここで遊ぶようになってしばらくたつが、詞浪さんもすっかり〈ホール〉に馴染んだ様子だ。

 ステップ。バク転。ぽっくりパンチ。ジャンプ。アクセルターンキック。

 黒い獣のどこかに回転蹴りがヒットしたが、反対に詞浪さんの方が尻餅をついてしまう。


「だめだこりゃ! ワイヤーの塊蹴ったみてえー! あ。ゴメン」

 立ち上がり様に放ったドロップキックが世古田よこだに誤爆した。

 世古田よこだが横様に倒れる。

 辺りに屋台のお面が散らばった。

 そこへサーカスの獣が真っ直ぐかけていく。

「よこちん危ねえ!」

 縦親たてしたが体当たりで飛びこんでいった。

 よれよれの打撃でダメージはなかったが、気を逸らすことはできた。

 サーカスの獣が縦親たてしたへと標的を変える。


 縦親たてしたは泣きながら構えた。

「来いよぉ! あっコレだめだ、コレも違う!」

 何か武器になりそうなものを探してそこら中のものを手に取った。

 どれも役に立たない代物で、彼は林檎飴やら水風船とポップコーン、生きた烏賊君を次々に投げつけた。

 サーカスの獣が眼前に迫ったところで、彼の身代わりに群平おじさんが噛みつかれた。

 起き上がった世古田よこだが首吊りの一つを盾にして立ちはだかったのだ。


「よこちんって呼ぶんじゃねえよ。行くぞ馬鹿」

「おじさんごめんよ」

 サーカスの獣は、クマがそうするみたいに、噛みついたまま群平おじさんを振りましている。

「おらっ」

 そこへ詞浪さんが次々に烏賊君が投げつけた。

 獣は嫌がって脚を振す。

 烏賊君たちが獣毛の中までヌルヌルともぐり込んでいくらしい。

「ヘイヘーイ。おっ以外と効いてる」

 烏賊君が目を塞いだようだ。

 獣は手当たり次第に暴れだした。


 チャンスのように見えたが、獣の近くにはまだ二人の男がいる。

 縦親たてしたが腰を抜かしてしまい、逃げられないようだった。

「またお前は!」

「ごめぇん!」

 まず二人を遠ざけないと、何をするにも邪魔になるだろう。

「邪魔だなあ……ヘイ! こっちこっち」

 詞浪さんが獣を誘い出そうと試みた。

 その声を頼りに、目の見えない獣が跳んだ。

 詞浪さんはすでに飛び退いている。

 その際、抜け目なく獣の着地点に人面西瓜を転がしていたのはさすがである。


 西瓜を踏んで獣が転んだ。真っ黒で形ははっきりしないが、音からして転んだのだろう。

 動きが止まっていた。

「ヘイ! 今、今」

 詞浪さんが合図を送ってよこした。

 了解した私は、浴衣の袂からひとつの小箱を取り出した。

 自分でもよく分からない、特殊な結び方の封を解く。

 箱の中から黄金の火焔がほとばしり、サーカスの獣を丸焼きにした。


 火焔が燃え尽きると、真っ黒な獣の死骸が残った。

「いやあすごかったあ。これだから〈ホール〉はやめられないぜー」

 詞浪さんは喜んでいる。

 楽しかったですね、と私もいった。

「結局、これなんていう動物だったんだろな」と世古田よこだ

 羊では? と私。

「羊ではねえよ」


「何した? え? 平気?」

 縦親たてしたが恐る恐る近づいて来る。

 友人から預かった悪夢の一部ですよと私は答えた。この辺り一帯を焼き払った業火のひとひらだ。これでは獣もひとたまりもなかったろう。

 焔は火種に戻ってしまってしばらくは使用不可能だが、他に襲ってくる影もない。

 もう安全だろう。少なくともサーカスの本隊がやって来るまでは。

 多分、この悪夢は夜店ではじまりサーカスで終わるに違いないと私には思われた。

 最終的にはサーカス団の本隊がやって来て、彼らは攫われていくという形を取るだろう。それまでに帰らなくてはならない。

 とはいえ〈扉〉である始発のバスは、サーカスより早く明け方にやって来るだろう。

 それまではゆっくりできる。


 ○○○


 じゃあ、ちょと行ってやってみますか、と私はいい、その意味を詞浪さんも世古田よこだも察した。

 縦親たてしただけが、縄の痕のついた首をかしげている。

 吊るのですよと私。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る