第17話 リスペクト

 勝てるかどうかは問題ではない。

 どこまで戦えるかが問題なのである。


 などと考えて、とにかく必死で考えて戦う相手は、我武者羅に勝ちに来る相手より、面倒であったりする。

 ドイツもその傾向があったが、台湾の場合はよりそれが顕著だ。

 自分より弱く、そして自分を尊敬してくる存在。

 別に野球に限らず、どんどんと強くなってくるだろう。

 もちろんこれまた野球に限らず、選手には選手寿命があるので、結局追いつけないまま、ということはある。

 またドミニカがその人口に比してメジャーリーガーが多いことを考えれば、人的資源が野球に偏ることになれば、日本を追い越すことも全くの夢物語というものではない。

 ただそのためには、子供たちの誰もがプロ野球選手を目指すような、圧倒的なスターが必要になるかもしれない。


 ちなみに日本の場合は、大型化がずっと続いていた高校野球の選手身長平均が、近年では下がってきているということがある。

 日本人自体の平均身長は伸びているので、これは明らかに体格の小さな、誰かさんの活躍の影響であろう。

 ただ高校生でも大学生でも、球速の平均は年々増加している。

 大介はともかく直史の影響は、限定的であるということか。

 もっとも正しく理解するなら、直史の再現を出来た人間は、一人もいないと言ったほうがいい。


 NPBのトップレベルは、どんどんとMLBに挑戦している時代。

 いや、もはや挑戦ではなく、一線以上の選手であれば、当然選択するキャリアの一つと言っていいのか。

 そんな中で上杉や、また西郷や悟など、NPBに残っている選手がいる。

 地元愛の強い上杉や西郷はともかく、悟などはMLBに挑むべきであったと考える者は多い。

 ただ悟の場合は、地元をあまり離れたくはないという事情もあったのだ。

 MLBに挑戦するには、実力だけではなく金銭的余裕だけでもなく、運命が必要だとさえ言えるだろう。

 大介は甲子園から離れるつもりはなかったし、直史は大介との対決だけにこだわっていた。

 武史は金に誘われたし、樋口はセカンドキャリア目当てだったので、二人とは違うだろう。


 大介の成績は、NPBの各種記録を塗り替えながら、さらにMLBで飛躍した。

 四割を打ち、80本を打ち、300回も歩かされた。

 史上最強のバッターだと、今なら誰もが認めるだろう。

 そしてそれに相応しい待遇を、大介は受けている。

 もっとも大介は思わないが、ツインズはほんのわずかに、大介がアメリカに来なければ、イリヤは死ななかったのでは、と思うことはあるが。


 国内のレベルを高く保ち、そしてMLBにも選手を輩出する。

 そんな日本に対して、台湾は全力で戦う。

 単純に真っ向勝負というわけではなく、策略までも尽くして。

 上杉相手には、バントの構えで揺さぶってきた。

 超人であり鉄人でもある上杉の、唯一の弱点と言えるのは、フィールディングが平均的ということだ。

 同じパワーピッチャーでも武史は、相当にフィールディングも上手い。また直史などは、ピッチングの次には守備が上手い。

 ピッチャーに専念させるために内野を守ったことはほとんどないが、内野ゴロを処理するためのその能力は、NPB時代はゴールデングラブ、MLBでもゴールドグラブに選ばれているものだ。


 上杉のボールは、はっきり言ってバントすることすら難しい。

 だが台湾の野球は、プロレベルでもそれなりにバントを使っている。

 MLBでも現在は、ほとんどバントというのは価値を失っている。

 送りバントなどの価値がほぼないと、統計で出ているからだ。

 それでも愚直に続けていれば、いずれは花が咲き実を付ける。


 バントの構えを見て、ほんのわずかに上杉の球威は落ちた。

 そしてその163km/hのストレートを、六番打者はプッシュバント。

 上杉の足元を抜けて、ショートの守備範囲へ。

 ショートの悟は、軽々とそのボールに追いつく。

 上杉のストレートはまず打たれないと思っていても、油断をしないのがいいショートだ。

 だが伸ばしたグラブのその先で、ボールはイレギュラーバウンドした。

(え!?)

 悟のグラブを弾いたボールであるが、その弾いたボール自体は、勢いを失っている。

 右手で直接つかみにいって、そこから投げたがもう遅い。

 ファーストの後藤への送球が乱れたこともあり、ランナーは出塁。

 記録はエラーがついてしまった。




 上杉から一点を実力で取ったなら、それはたった一点ではあるが、ただの一点ではない大きな進歩だ。

 だがそこからランナーを進めるほど、上杉は甘いピッチャーではない。

 バントの構えを見せても、もう気にしない。

 バットを粉砕するべく、全力で投げる。

 実際にバントを失敗したバッターが、その衝撃で捻挫をしたようであった。


 二回の裏、日本の攻撃。

 バッターは五番の後藤からである。

 台湾のピッチャーは、オープナー戦術を使うようだが、まだここでは交代しない。

 全力で投げられる限りは、全力で投げるというのが、台湾の方針なのだろうか。

 まさにピッチャーの力に依存した、潔い戦術と言うべきか。

 だが後藤もまた、パ・リーグではタイトルを取っている強力打者なのだ。


 エラーとはいえ上杉が出塁を許したのは、後藤のせいではない。

 だがファーストの守備位置から、台湾の選手たちの必死さをしっかりと見ていた。

 戦力的には確かに、日本の方が上なのだろう。

 しかし野球というのは、六割勝てれば優勝出来るのがプロの世界。

 根本的なレベルが日本より低いと言っても、台湾も基礎的な技術は高い選手が多い。


 確かにこの、本来はクローザーであるピッチャーは、NPBでも通用するレベルのクローザーであろう。

 だが球種が限られていれば、後藤ならば打てる。

 チェンジアップは捨て、速いボールのうち、落ちるボールを。

 あえてストレートではなくスプリットを、狙って掬い上げた。

 ボールは高く上がり、そして落ちてきて、スタントに着弾。

 二回の裏の先頭打者のソロホームランで、日本は一点を先制した。


 高めのストレートと、落ちる球でフライを打たせるというのは、確かに一つのピッチングのスタイルではある。

 だがやはりフライを打たせるというのは、ゴロに比べてホームランの確率は高いのだ。

 飛んだフライはホームランになるが、ゴロは絶対にならない。

 なので守備力の最低値が保証されるプロの世界であれば、当然グラウンドボールピッチャーが有利である。

 もちろん原則論であって、例外は様々に存在するが。


 台湾の偉いところは、後藤のホームランの後、すぐにピッチャーを交代したことであろう。

 まだホームラン一本で、ここから下位打線になるのだからと、本来なら都合よく考えたかったはずだ。

 しかし元々オープナー戦術を取っているのだから、クリーンナップまでを抑えたなら、あとは本来の先発に任せればいい。

 日本はランナーを出したが、追加点は取れず。

 確かにホームランの後にさっと変えるのは、いいことなのだろう。

 本来の先発も、慌てることなくマウンドに出てくる。


 少しずつ傷つけられても、致命傷を避ける。

 一点だけであればまだ、終盤に逆転の余地がある。

 だいたい野球というスポーツにおいてジャイアントキリングが起こるのは、ロースコアゲームの場合が多い。

 上杉が投げている間は、必死で日本の攻撃を凌いでいくのだ。

 そして終盤に勝負する。


 点差が少なければ、日本は守備も攻撃も、わずかだが焦りが生まれるはずだ。

 そこを全力で攻撃し、点を取っていく。

 ただ多くのパターンを最大限に分析しても、勝率は約一割程度。

 一割もあるのか、と多くの者が言うかもしれないが。


 三回の表、上杉は15球を投げたが、三者凡退に終わる。

 このペースで投げれば、おそらく六回までは投げられるのではないか。

 七回以降は勝利の方程式を使って、最後に直史に投げさせればいい。

 八回までリードして抑えたなら、日本は勝てる。


 ただ台湾は直史のピッチングの特徴と、日本の守備の連携について、ほんの少しだが必要な楽観をもって考えている。

 グラウンドボールピッチャーである直史は、ゴロを打たせるのが上手い。

 ホームランではなく、ゴロを打つ。

 日本代表の内野に、下手糞は一人もいない。

 ただ大介が本来のショートではなく、サードに入っているということ。

 またレギュラーシーズンを戦うチームほどには、お互いに連携できていないということ。

 それでも一点、取れるかどうか。

 可能性は低いと分かっているが、勝てない可能性が高くても、全力を尽くさない理由にはならない。




 三回の裏、日本の攻撃は先頭が一番の織田から。

 一打席目は凡退したが、もう台湾の必死のプレイは分かっている。

 まだ先を見ている日本と、この試合に全力を尽くしている台湾。

 条件が違うだけに、限界の手前でプレイせざるをえない。


 これがワールドシリーズの最終戦なら、織田のパフォーマンスはさらに上がっていただろう。

 だが先を見据えて、ペースを抑えなければいけない。

 ワールドシリーズのチャンピオンとなるのだ。

 だがそれすらも織田にとっては、キャリアの途中に過ぎない。

 WBCを優勝して、MLBのレギュラーシーズンが始まる。

 そこからはまずポストシーズンを目指していく。

 ワールドシリーズまで勝ち進んで、ワールドチャンピオンとなっても、翌年にはまた新しい年が始まる。

 引退するまでずっと、織田は野球選手であり続けるのだ。


 そんな織田の打ったボールは、綺麗にセカンドの頭の上を越した。

 ライト前ヒットでノーアウトランナー一塁。

 そして二番の悟に回ってくる。


 悟としても台湾の力を甘く見てはいない。

 強いチームとは感じないが、しつこいチームだとは思う。

 プレイ全体が高校野球を思わせる。

 もちろん技術や、実際のプレイについては、その平均よりはずっと高い。

 高校野球のように、全力プレイというのとも少し違う。

 計算高く、しかしその中に情熱があると言おうか。


 高校野球の中でも、白富東の野球に似ているな、と悟は思った。

 特に監督の中では、秦野のやり方に。

 セイバーや国立の野球というのも、OBとして母校を訪れた時などは、見たり聞いたりした。

 だがその中で一番、勝負師としての感性が強いのが、秦野ではなかったか。

 悟にとっての高校最後の夏、甲子園の決勝では蝦夷農産と対決した。

 あの最後の夏を制しただけに、悟には短期決戦のイメージがしっかりと持てている。


 台湾の二番手ピッチャー相手には、あえてボールを叩きつけた。

 普段ならミートして、弾道の低いライナーを打つことが多い悟である。

 しかしここはあえて、ボールを上手く叩きつけて、内野の頭を越すことに成功。

 ただの進塁打であったら、この打順では意味がないのだ。


 そう、悟の次のバッターは、現時点における史上最強のバッターである大介。

 一打席目は歩かされたが、ノーアウト一二塁では、さすがに歩かせようがない。

 そう思って上手く、塁を埋めることに成功した。

 二塁の織田と、一塁の悟、二人が果たして台湾がどう動くのか、と注視している。


 ここで本当に大介を打ち取ることが現実的なピッチャーは、今ではもう世界で直史一人であろう。

 武史もNPB時代にはそれなりに、大介を打ち取っていたのだが。

 肩を壊す前の上杉は、どちらかと有利に対戦していた。

 肩を壊してもなお、NPBのタイトルは独占しているわけだが。


 バッターボックスに入った大介は、全く力の入っていない自然体で構える。

 そこには力の抜けた、そして戦意すら失った、小さな肉体が一つあるだけに見える。

 台湾もここで、大介を歩かせるということの意味は分かっている。

 次の西郷が外野フライを打てば、確実に織田がタッチアップで帰って来る。

 なのでここでは、リスクをとる必要があるのだ。

 問題はそのリスクが、どのぐらいの大きさであると判断するかだが。


 WBCの審判はMLBに比べると、ほんの少しだが外が狭くて内が広くゾーンを取る。

 この数年MLBのゾーンに慣れていた大介を打ち取るとしたら、その内角に鍵があるように思える。

 だが実際のところ、大介は内角であれば、ゾーンから外れているどころか、自分に当たるようなコースでさえ、打ってヒットにしてしまう。

 その大介に対して、初球から内角に入った。

 他のバッターであれば、厳しい内角であったろうが、大介は違う。

 バットの根元で叩いた打球は、凄い速度で内野の間を抜けていった。

(上がらなかったか)

 ドライブのかかった打球は、ライト前へのシングルヒット。

 あまりに打球が速かったため、ライトゴロになりかけたのはご愛嬌である。

 歩かせたのと同じ結果で、西郷をバッターボックスに迎える。




 初回にあわやホームランという打球の西郷であったが、もう前の打席のことは忘れている。

 いや、ミスショット自体は記憶しているが、そこに変な後悔などはない。

 巨体をバッターボックスに入れれば、それだけで相手には圧迫感を与える。


 ノーアウト満塁で、西郷には何も指示は出ていない。

 好きに打てということである。

 ただノーアウト満塁というのは、案外点が入らなかったりもする。

 もしも内野ゴロを打ってしまえば、ホームでフォースアウトが取れるからだ。


 ここで四番の西郷に求められるのは、最低でも外野フライ、というものだ。

 織田の足を考えれば、平均的な外野フライで、間違いなく一点は取れる。

 出来ればライト方向に打てば、二塁の悟も三塁まで進める。

 ただ西郷は、そこまで難しくは考えない。

 いつも通り、打てる球を打つだけである。


 内野ゴロを打たせたいと、台湾のバッテリーは考えている。

 ならばやはり、手元で小さく変化する球がいいだろう。

 ムービング系のボールで、ミスショットを狙う。

 ただ西郷のようなフライを打つバッターにとっては、そんなボールでさえホームランにしてしまう可能性が高いが。


 外角に外した球から、まずは組み立てていく。

 西郷のパワーであると、多少はミートが外れていても、スタンドまで持って行くことが可能である。

 満塁の今はとにかく、ゴロを打つことはまずい。

 もっとも西郷のフルスイングで打ったゴロは、内野守備が止められないかもしれないが。

 とりあえず二球目に投げたれたのは、緩急を取るためのカーブであった。


 西郷はそのカーブを、懐まで呼び込んでから、全力で打った。

 ただそのボールは、高く高くひたすら高く飛んでいく。

 これは高すぎて内野フライなのでは、などと誰かが思ったかもしれない。

 だが西郷の打ったボールは、ドームの天井に当たった。

 そして落ちてきたボールを、やや後退したセカンドがキャッチした。


 現在の東京ドームのルールでは、フェアグラウンド上のドーム天井に当たった場合、それはツーベースヒットとなる。

 ボールをキャッチしたセカンドは、戸惑った顔で周囲を見る。

 この試合の主審は、第三国であるアメリカが行っているが、東京ドームのルールについて、台湾側は知らない者が多かった。

 もちろん審判は試合前に、特別ルールを確認してあるし、それを各国の代表にも通達している。

 テイクツーベースで、西郷は二塁へ。

 大介は三塁へと進み、日本は二点を追加したのであった。


 それにしても、今の打球は天井がなかったらどうなっていたか。

 いくら高く上げたといっても、さすがにあの角度で打たれた打球は、少なくとも浅い外野フライになっていただろう。

 天井のないスタジアムであれば、さすがに織田もタッチアップしなかったぐらいの場所で。

 ただこれは、西郷のパワーを見せ付けることとなった。

 打った本人も釈然とはしないが、ルールを破っているわけではない。

「そうか、天井に当てればアウトにならないんだな」

 三塁で大介が不穏なことを呟いていたが、MLBでは残念ながら、ほぼ全てのスタジアムは野天型のものである。


 ノーアウト二三塁という、これまた一点は入りそうな場面。

 打順は五番、先制のホームランを打った後藤である。

 ただこの打席の後藤は、外野フライに終わった。

 もっとも三塁の大介が、タッチアップで帰って来れるぐらいの飛距離は出したが。

 三回の裏、奇妙なツーベースも含めて、日本は三点を追加。

 4-0と点差は開いたが、まだ決定的な差とは言えないであろう。


 東京ドームの天井に当たる打球は、過去にもあった。

 だが国際大会でこんな極端なフライで当たったのは、初めてのことである。

 打った西郷自身が、あれは済まなかったな、と後で思うような打球。

 それでもルールはルールなので、西郷は何も気にすることなどないのだ。


 序盤の三回が終わり、4-0というスコア。

 まだまだ試合は決まっていないが、日本の打撃を抑えるのにも限界が来ている。

 それでも台湾は、たとえ負けるにしても、何かをこの試合で得ようとしている。

 全力で戦う選手の姿は、東京ドームに集まった日本人を、楽しませてくれるだろう。

 そしてその結果がどうであろうと、フェアプレイであれば最後には拍手を送る。

 国際大会ではかなり礼儀正しくなるのが、日本の野球ファンであるのだった。



×××



 ショックは大きかったですが、待ってくれている人がいるので書けました。

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