第3話 偽りの言葉

「……エル……?」


 何を思ったのか、俺はそっと手を伸ばした。


 しかし、俺がその水晶に触れた瞬間、身体中に電撃が走る。魔方陣は消え、エルは咳き込んでしまった。


 「ごめん、大丈夫か?」


 エルはしばらくぼんやりしていたが、俺が慌てて謝ると、彼女は大丈夫、というように優しく微笑んだ。


 席に戻り、エルは再びペンを握る。


【あの水晶はゲージのようなもので、私が言葉を発する度に減っていきます。水晶の光が全て失くなった時、私は言葉を失うようなんです】


「……それが、呪い」


 エルは、自らのことを俺に教えてくれた。


 “呪い”は生まれた時から刻まれていたこと。その事実は、ごく一部の人間しか知らないこと。ほとんどの人にとって、彼女は生まれつき声を発することができないことになっているということも―


 周りに聞かれては困ることなので、声を聞いてしまった俺はこの屋敷に連れてこられたのだろう。


 「声を失うのか? それとも筆談も出来なくなるのか?」


 淡々としているエルに対し、俺はなぜか焦燥していた。


 【わかりません。今分かっているのは、声に出した言葉の方が筆談で伝えたときよりも、ゲージの減りが激しいことだけで】


 「筆談も駄目なのか!?」


【大丈夫。筆談はほとんど減りません】


 俺を落ち着けるように、エルが微笑む。

 

【でも、私は声で伝えるほうが好きです。


言葉に込められた想いが声の温度感に乗って、より深いところに届く気がします。


だから私は、自分が心から伝えたいと思う言葉を口にします】


 混じりけのない真っ直ぐな言葉は、人の心に響く。だからこそ、エルの声は美しく、暖かい。俺はどこか腑に落ちた気がした。


 「じゃあ、あの女主人には伝えたいことがあったってことか」


【あそこは今日で店じまいなんです。店主のリンネル婦人には幼いころからお世話になっていたので、どうしてもお礼を言いたくて】


 エルが優しく微笑む。


 それを見て、何だか少し悔しくなった。


 「でも、俺の挨拶には答えてくれなかったな?」

 

 拗ねたようにつぶやくと、エルは慌ててペンを走らせる。


 【すみません!挨拶はもちろん大切ですが、毎日行うものなので周りに止められているんです……!】


 「ふーん?」


 エルと話すのは楽しかった。彼女の純粋な反応が楽しくて、ついからかってしまうこともあったが、そんな俺をエルは優しく受け止めてくれる。居心地のいい空間の中で、俺は本来の自分をすっかり忘れていた。

 

 しかし、それもあっという間に終わりを迎える。


【でも、言葉は繊細で扱いが難しいです。使い方を誤れば、人を傷つけたり、騙したりする道具になってしまう】


 エルの言葉に、俺は少し本来の自分に引き戻された気がした。


【リューガ。私は、言葉の自由を失った代わりに得たものがあるんです】


「何だ?」


【話している相手の心の声が聞こえるんです。


相手が考えていることだけではなく、その人の感情も目に見える】


「…………」


 エルが俺の目をじっと見つめる。その表情はとても悲しそうだった。


「……なら、俺がどんなやつか、エルはもうわかってるんだな」


 ―言葉を使って人を騙しながら生きてきた俺を。


【リューガは優しい心を持っています。それは、今日話していただけでも伝わってきました。だから、】


「……説教するのか」


 思わず、強い口調になる。目つきが変わった俺を見て、エルの瞳はかすかにたじろいだ。


「大事な商人騙されてたら、そりゃあ、腹立つよな」


 苛立つ俺の手を握り、エルは大きく首を振る。


【私には、リューガが苦しんでいるように見えるんです。私はあなたを助けたいんです】


 エルはメモを持ち上げると、俺の目の前に差し出した。真剣なエルの瞳が、その言葉が真実であることを証明している。


 しかし、俺には受け入れることができなかった。どうしても、昔の記憶が頭をよぎってしまう。

 

 誰も助けてくれない孤独の中、ただ裏切られ続けた過去の記憶。


 気づくと、俺はエルの手を振り払っていた。彼女の手を離れた紙が無惨に宙を舞う。


 エルは席を立ち、床に散らばった紙を拾おうとする。


「……出会ったばかりのお前に俺の何がわかる。愛されて育ってきた奴に俺の気持ちはわかんねえよ!」


 声を荒げた俺に、エルは黙り込む。きれいな空色の瞳が、俺を怖いと言っていた。その中には、俺を憐れむような感情も混ざっているようにみえる。


 俺は思わずつぶやいた。


「……大嫌いだ」

 

 エルの目が見開かれ、涙が浮かんだ。


「俺に干渉しないでくれ!」


 大粒の涙が彼女の頬をつたう。


 それを見て、俺はようやく我に返った。後悔したが、もう遅い。次にかける言葉を探していると、小さな声がした。


 「……ごめん、なさい」


 エルの声だった。俺が再び聞くことを望んだエルの声。それは悲しみに満ちた、震える声だった。


 ―こんな風には聞きたくなかった。


 そう思った瞬間、真っ黒な魔方陣が再び現れ、彼女を包んだ。


「「……!」」


 魔方陣は先ほどよりも大きくなっている。何が起こっているのかわからないのはエルも同じようで、不安そうにあたりを見回していた。


 水晶の光が強さを増していく。その光はとても異質だった。


 大きくなった光が弾ける。


 そして現れたのは、空になった水晶だった。


 「うそだ……」


 しばらく凍えるような沈黙が続く。


 魔方陣は消え、エルは首に手を当てたまま俯いていた。


 「……エル」


 俺が口を開くと、エルは立ち上がって何かを書き始めた。そして、俺とは目を合わせずにメモを見せてくる。


 そこに書かれていたのはひどく弱々しい【帰って】の文字だった。

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