4-4 安心感

 二時間ほど電車に揺られ、温泉街へとたどり着いた。

 時刻は十二時過ぎで、昼食にはちょうど良い時間だ。汐音が家族と行ったことがあるという蕎麦屋に行き、それから結乃おすすめのプリンが美味しいカフェへと向かう。しかしそれでもチェックインまでの時間を持て余してしまい、早速お土産屋を巡ったりもした。


「親父にはせんべいの方が良いよな」

「あー、お父さん甘いの苦手なんだっけ」

「そうなんだけどな。お袋は甘いの好きだから困るんだよなぁ」

「とか言って、普通に二つ買うんでしょ?」

「まぁな」


 ――まあ、何という自然な幼馴染の会話なんでしょう。


 すぐ隣で仲睦まじい様子を突き付けられてしまい、美影は透かさず目を逸らしてしまった。すると汐音と目が合い、切なさたっぷりにアイコンタクトを向けられる。美影もまた、微妙な笑顔を返すことしかできなかった。


「も、森山先輩! お姉ちゃんへのお土産、買っちゃいましょうかっ」

「えっ、あ、うん。そうだね」


 きっと、結乃も複雑な心境なのだろう。

 思い切り上ずった声を出しながら、結乃は美影の服の袖を引っ張ってくる。上目遣いで服の袖を引っ張るなんて、あざといにもほどがあると思った。


(かっ、可愛い)


 という本音がついつい顔に出そうになるが、実際に零れ落ちたのは何とも言えない絶妙な表情なのだろう。


 ――まさか修羅場になったりは……しない、よね?


 まるで自分自身に言い聞かせるように、美影はそう思うのであった。



 やがて旅館にチェックインをして、夕食の時間まで男女別々の部屋でくつろぐ。

 部屋に用意されていた緑茶を飲んだり、お土産コーナーで売っているものと同じお菓子を食べたり。窓の外の写真を撮ったり、旅館のパンフレットを眺めたり。


 そして、やることがなくなると――一斉にスマートフォンを弄り始めた。

 さっきまで「美味しい」だの「綺麗」だの、感想を言い合っていたはずなのに。急に静まり返ってしまい、美影は内心「ひえぇぇ」と悲鳴を上げる。

 すると、


「ところで皆、温泉はいつ入ろうか」


 まるで救世主のように、汐音が話題を振ってくれた。

 ほっと息を吐いてから、美影は汐音を見つめる。


「私は普通に夕食のあとって思ってたんですけど……」

「そっか。ボクはいっつも旅館に着いたらすぐに入っちゃう派なんだけど、皆も夕食後の方が良い感じかな?」


 汐音の問いかけに、結乃も陽花里も頷く。

 すると何故か、少しの間があってから汐音は「そっか」と再び呟いた。


「鈴原先輩?」

「いや、ボクは美影ちゃんと二人きりでも良いと思ったんだけどね。……ほら、色んな意味で」


 言いながら、どこか遠い目をする汐音。

 同時に、美影はすぐ察してしまった。美影と汐音は同志なのだ。――貧乳の。


「鈴原先輩、大丈夫ですよ。先輩には私という味方がいるし、私にも先輩という味方がいます。頑張って乗り越えましょう」

「……美影ちゃん……」


 大袈裟に瞳を潤ませながら、汐音はこちらをじっと見つめてくる。そんな汐音に対して、美影は意味ありげにうんうんと頷いてみせた。


「……?」


 いったい何の会話をしているのだろう。

 そう言わんばかりの二つの視線が突き刺さる。

 一人は大物で、もう一人はちょうど良いくらいの大きさ。美影と汐音にとっては目を逸らしたい現実ではあったが、今日ばかりは戦わなくてはいけないらしい。

 まぁ、美影にとっては「推しと温泉に入る」という時点で大問題なのだが。



 ***



 謎の緊張感に包まれたままレストランで夕食をとり、温泉の時間がやってきた。もう何度目かわからないアイコンタクトを汐音と交わし、いざ戦場へ――。


(いや、無理ぃぃぃっ!)


 ――無理だった。


 汐音には申し訳ないが、胸の大きさどうこうの問題ではなかった。

 一糸まとわぬ姿の久城陽花里がそこにいる。

 そう考えるだけで、どうしようもない罪悪感が襲ってくるのだ。

 確かに自分は同性だし、陽花里のクラスメイトでもある。仲良くなって温泉に入る、なんて当然ありえる話なのだ。

 しかし、それ以前に美影は彼女のファンだ。彼女の演じるキャラクターが必ずと言って良いほど好きになっているし、ラジオだって美影の心の支えになっている。

 そして、そんな心境になっているのは美影だけではない。


「どどどど、どうしましょう森山先輩っ」


 思わず目がくわっとなってしまうほどに立派なものを揺らしながら、結乃が小声で話しかけてくる。彼女だって陽花里のファンなのだ。見たい。でも見てはいけない。そんな複雑な思いでいっぱいなのは彼女も同じだった。


「お、おおおち、落ち着こうか結乃ちゃん。動揺する方が変な人になっちゃうから」

「そ、そそ、そうですねっ」


 まったくもって落ち着けていない二人は、何とかして落ち着こうと汐音の方を見つめる。全体的にスレンダーな身体つきに、適度に焼けた健康的な肌。綺麗なことに変わりはないはずなのに、何故か心は自然と落ち着いてきた。


「ボク、何か知らないけどすっごく傷付けられた気分……何で?」


 と、思ったら。

 すぐに汐音の猫目は刺々しいものへと変化した。ゆらりゆらりと美影と結乃に近付き、二人を交互に見つめてくる。


「いや、あの……綺麗だなぁと思いまして……」


 噓偽りない本音を零したはずなのに、汐音は「ふぅん?」と不満げに漏らす。

 腕組みをしても特に変化のない汐音の胸から慌てて目を逸らすと、透かさず汐音は結乃をターゲットに絞った。


「せ、先輩……? 目が怖い、です……」

「うん、ごめんね結乃ちゃん。ボクは今葛藤しているんだよ。掴もうか、揉もうか、それとも撫でようか……」

「どれも同じですし、だいたい全部駄目に決まってるじゃないですかっ」


 咄嗟に自分の胸を隠しながら、結乃は声を荒げる。

 そのまま、助けを求めるように美影の後ろに隠れてしまった。


「あ、美影ちゃん。いやぁ、温泉気持ち良いね」

「……鈴原先輩。何で私を目の前にした途端に冷静さを取り戻すんですか……?」

「ほら、安心感だよ安心感」

「う……」


 まるで仕返しをするように「安心感」を連呼する汐音に、美影は眉根を寄せる。でも、心のどこかでは浮かべた表情とは真逆な気持ちがあった。

 誰かと温泉に入って、わいわいきゃっきゃと騒いでいる。

 そんな当たり前のことが美影にとっては新鮮で、楽しくて、胸の真ん中が自然と温かくなっていく。


 だから、だろうか。


「あの、さ……」


 不意に放たれた陽花里の遠慮がちな声が、どこか寂しげに聞こえたのは。

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