第三章 後輩とただの視聴者の私

3-1 ゆのりんちゃんねる

 学校に行くのが楽しいと感じたのは、もしかしたら生まれて初めてのことかも知れない。

 汐音と友達になってから一週間。

 汐音とは学年が違うし、だいたい汐音は色んな人に頼られている先輩だ。なかなか会うことはできない――と思っていたのだが、汐音からこちらに会いに来てくれることが多かった。


 美影にとって一番大きな変化。それは、昼休みの時間だ。

 屋上の隅っこで弁当を食べていた美影が、汐音と二人で昼食をとるようになったのだ。週に二回、食堂で向かい合って座り、時折雑談をしながら昼ご飯を食べる。美影は弁当で、汐音は学食。どうやら汐音は料理が苦手らしく、「学食って助かるよね」なんて苦笑を浮かべていた。


(何これ、夢?)


 数週間前の自分ではありえない光景に、美影は何度自分の頬をつねったかわからない。だけどこれは夢ではないのだ。ほんの少しの勇気が招いた結果であり、「モブ」や「ぼっち」といった言葉が徐々に薄れつつある証拠だった。


(まぁ、瀬崎くんとは何の進展もないんだけどね)


 とはいえ、現実はそんなに甘くないものである。

 汐音と話せるようになっただけではなく、友達になれた。

 こんな大きな進歩があったのだ。紡にあいさつくらいはできるようになったはず……と思っていたのに、実際には会釈が精一杯だった。強いて言えば、陽花里に「お、おは、おはようございます」と何度か言えたのが進歩だろうか。いや、噛みすぎだろうという話だが、相手は今をときめくアイドル声優なのだから仕方ないだろう。


 陽花里と仲良くなるのは、流石にまだハードルが高い。

 だから、美影が次に距離を縮めたいのは――後輩で人気ゲーム実況者の結乃だ。


「はあ……」


 なのだが、今日も今日とて美影は大きなため息を吐いていた。


(どうすれば良いんだろう)


 放課後。

 美影は頭をぐるぐると回転させながら、教室を出る。

 教室で待っていれば、いつも通り結乃が来ることはわかっていた。だけど、どうやって話しかけたら良いのかがわからない。


 作島結乃。

 ユーザーネームは「ゆの」で、チャンネル名は『ゆのりんちゃんねる』。

 チャンネル登録者数は十万を超えている――



 ――人気姉妹ゲーム実況者、だった。



 妹の「ゆの」と、三つ上の姉「りん」。『ゆのりんちゃんねる』はその二人からなるチャンネルだ。

 しかし――一年ほど前から活動停止をしてしまっている。

 所謂「失踪」というやつで、何の報告もなくパタリと動画の更新が止まってしまったのだ。SNSの投稿も、「おっはよー! 今日の夜、一本動画上げるからよろしくね(ゆの)」という投稿が最後で、夜にアップされるはずだった動画も上がることはなかった。


 いったい何があったのか。

 ただの視聴者で、たまたま同じ学校に通っていて、ひっそりと結乃の正体に気付いてしまっただけの自分が触れて良い問題なのか。


 まったくもってわからなくて、美影の眉間にはしわが寄ってしまう。

 例えば「『ゆのりんちゃんねる』、観てました!」と告白するだけでも、何らかのトラウマが発動してしまうかも知れない。あんなにも視聴者とのコミュニケーションを大切にしていた姉妹が、失踪という道を選んだのだ。

 よほどのことがあったのだろうと思う。だからきっと、『ゆのりんちゃんねる』については触れない方が良いんだろうな、と美影は思った。


(でも、『ゆのりんちゃんねる』のきっかけなしに、どうやって近付いたら……)


 ますます険しい顔になりながらも、美影は問題から逃げるように昇降口で靴を履き替える。『ゆのりんちゃんねる』以外の話題と言えば、やはり陽花里のファンであるという部分だろうか。

 いつも通り陽花里に会いに二年A組にやってきた結乃に、「実は私もファンなんです」と伝える。……のが、一番手っ取り早いのは美影にだってわかっている。


(まぁ、単純に勇気が出ないだけなんだよね、うん)


 心の中で苦笑を浮かべながら、美影は昇降口を出る。

 汐音と仲良くなれたのだから、結乃とも仲良くなれる――という簡単な問題ではないのだ。汐音は先輩というのもあって向こうからぐいぐい来てくれたが、学校での結乃は引っ込み思案なイメージがある。

 つまり、自分から積極的に会話をしなければいけないということだ。


(…………駄目だ。ちょっと目的を変更しよう)


 憂鬱な気持ちが渦巻きまくった挙句、美影は一度結乃のことを考えるのをやめた。

 ふと、思い出したのだ。紡はサッカー部に所属している、と。

 ヒロイン攻略も大事だが、たまにはモブとして紡の姿を観察するのも悪くないだろう。そう思ったら急に心が軽くなってきた。

 やはりモブというのは気が楽なものだ、なんて思いながら美影はグラウンドへ向かおうとした。のだが、


「……え……?」


 その足が、ピタリと止まる。

 まるで信じられないものを見るように、美影はじっと二人の姿を見つめてしまった。このまま後ずさりたくなってしまうのは、ついさっきモブとして観察しようと決意したからかも知れない。


「あ、森山さん」


 何でもない表情で片手を上げながら、青いユニフォームに身を包んだ紡がこちらに向かって歩いてくる。その隣には制服姿の桜士郎もいた。


「せっ、瀬崎くんに……ええと、神宮寺じんぐうじくん。どうしたの?」

「……森山さん。私は西連寺ですよ」

「あっ」


 動揺しすぎたせいで、また桜士郎の苗字を言い間違えてしまった。ペコペコと素早く頭を下げながらも、美影の鼓動は高まっていく。


(ひゃぁああ……何これ乙女ゲーか何か……?)


 自分の目の前に、意中の男性とその友人が並んでいる。桜士郎はよく会釈をしてくれるものの、紡とは会話をした記憶がほぼほぼない。

 緊張するな、という方が無理な話だった。

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