2-5 彼女にとっての当たり前

 しばらく大水槽を眺めてから、二人で水族館を巡っていく。

 汐音が見たいと言っていたペンギンのお散歩やカワウソの餌やりタイムもしっかりと見に行き、メインイベントであるイルカショーも見て、最後にお土産としてペンギンとカワウソのキーホルダーを買った。汐音がペンギン、美影がカワウソのお揃いのデザインだ。


 子供の頃に行った印象が強いからか、知り合ったばかりの先輩と二人で水族館なんて最初は楽しめるか心配だった。

 でも、今ではそんなことはなかったとはっきり言える。

 あれが可愛い。あれが綺麗だ。そうだ、お揃いでキーホルダーを買おう。

 一つ一つの当たり前の出来事が美影にとっては嬉しくて、ついつい心が躍ってしまう。


 本当はライバルになるかも知れないのに。

 ただ、汐音と仲良くなりたい。

 そんな純粋な気持ちが募っていた。



「えっ、ここ……ですか?」


 時刻はお昼の十二時すぎ。

 水族館をあとにした二人は、当然のように昼食にしようという話になった。高校生の昼食と言うと、ファミレスとか、ハンバーガーとか、ラーメンとかだろうか。

 と思っていたのだが、


「うん、頑張って調べたんだ。良いでしょ?」


 汐音に連れられたのは、お洒落な雰囲気漂うイタリアンだった。いや、確かに「頑張って調べたんだ」と言いながら胸を張る汐音は可愛らしい。


「しゃ、しゃれおつ」


 でも、だからと言ってイタリアンなお店から放たれるお洒落オーラが薄れる訳ではない。これこそカップルのランチに相応しい場所だろう。ぼっちな美影にとっては近寄ることすら難しい場所だ。


「もしかして、イタリアンは苦手だった?」

「い、いえ! 先輩と二人なら大丈夫ですっ」

「何か会話が成立してない気がするけど……まぁ良いか。行こう!」


 きっと、汐音には美影が謎に動揺しているように見えているのだろう。

 不思議そうに首を捻る汐音の頭上には、大きなクエスチョンマークが浮かんでいた。お洒落オーラに動揺している、という考えが汐音にはないのだろう。

 美影は心の中で苦笑しつつも、汐音とともに店の中へと入っていった。



 アンティークな扉を開くと、そこには西洋風な雰囲気が広がっていた。白いレンガ調の壁に、ダークブラウンのテーブルと椅子。まだ昼だというのに店内は薄暗くて、至るところにロウソクの火が灯っていた。


(ひえぇ……)


 やはり自分にはまだ早かったのではないか。

 学校内で会話するくらいが精一杯だったのではないか。

 そんな思考がぐるぐると回ってしまうほどの慣れない環境で、美影の心臓は正直バクバクだ。


「美影ちゃんは何にする?」

「えっ、あ……ええっとぉ……」


 挙動不審にならないように気を付けながら席に着くと、今度はメニューを選ぶという難関が待っていた。メニューは主にピザとパスタ。ピザなんて宅配か冷凍食品のものしか食べたことがないし、パスタもだいたいミートソースだ。メニュー表とにらめっこをしていると、見知らぬカタカナばかりが並んでいて目が回りそうになる。


「あ、じゃあ……ナスとベーコンのトマトソースパスタで……」


 メニューの中にミートソースパスタはあったが、少しだけ冒険してみることにした。何故だろう。少しだけ成長した気分だ。ミートソースやマルゲリータピザに逃げなかった自分は偉い、と自分を褒めたくなった。


「じゃあボクはボンゴレビアンコにしようかな」

「っ! ボンゴ……え……?」

「あっ、店員さん。注文をお願いしたいんですが……」


 美影の動揺に気付かぬまま、汐音は淡々と注文を始める。

 ボンゴレビアンコとはいったい何なのか。再びメニュー表に目を通しても、写真も説明も何も載っていなかった。ただ一つわかることと言えば、パスタであるということ。ただ、それだけだった。



 注文を取り終わり、店員が去っていく。

 頭の中がボンゴレビアンコでいっぱいのまま、美影は水を一口飲む。汐音もまた真似をするように水を飲むと、黄金色の瞳をまっすぐ向けてきた。


「ところでさ、美影ちゃん」


 何故だろう。

 ボンゴレビアンコの謎は残っているものの、注文という難関は乗り越えたのだ。もっと安心して良いはずなのに、妙な緊張が止まらない。



「あの時、ボクを見ていた本当の理由は何だったのかな?」



 ――…………っ!


 まるですべてを見透かしているかのような、ぶれない視線。

 今までの空気をガラリと変えてしまうような、落ち着いた声色。

 あぁ、そうだったのか、と美影は思った。

 汐音は初めから気付いていたのだ。体育館裏で佇む汐音を見ていた理由。それは決して「先輩に見惚れていたから」ではないということに。


「そ、それは……」


 思わず声が震える。

 あの時と同じように、訊いて良いのかという疑問が美影を襲った。

 音楽室をじっと見ていた理由は何なんですか?

 音楽室で何かあったんですか? 

 ……そんなの、訊ける訳がない。確かに今、汐音とは少しずつ仲良くなれているような気がする。でも、だからと言って簡単に訊ける問題でもなかった。


「大丈夫だよ。誰にも言わないから」

「え?」

「ボクの噂をどこかで聞いたんだよね。相談に乗ってくれる先輩がいるって。でも美影ちゃん、話しづらそうだったからさ。デートっていう名目で無理矢理仲良くなっちゃった」

「…………」


 あくまで冷静に語る汐音の姿を見て、美影は思わず唖然としてしまう。

 汐音は笑っていた。

 優しくて、温かくて、すべてを包んでくれそうな笑み。……の、つもりなのだろう。でも、美影は何となく感じ取ってしまうのだ。

 その奥に潜んでいる、隠しようがない寂しさが。


「鈴原先輩」

「ん、何かな?」

「確かに私は……影が薄くて、地味で、自分から友達も作ろうとしないぼっちです」


 ぽつり、ぽつりと。

 美影は誰にも話したことがない本音を漏らす。きっと、汐音はこれが美影の悩みごとだと感じているのだろう。


 そして汐音は――それを自分が解決してあげるのが当たり前だと思っている。


 美影はまだ、汐音のすべてを知っている訳ではない。だけど、あの日のたらい回しのことを思い返すと、汐音は色んな人に頼られて生きてきたのだと思った。


「だから……私には結局、踏み出す勇気なんてないって思ってました。でも…………それじゃ、駄目なんです」

「……美影ちゃん?」


 ゆらりと、汐音の表情が揺らめく。

 不安げな視線を向けてくる汐音に、美影はそっと覚悟を固めた。自分に何ができるのかなんてわからない。でも、進んでみなくては何も変わらない。


 そう思ったら、勝手に口が動いていた。

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