20〈mof〉 いぬとあるばむ


 瀬名は、今日もお留守番の間、先輩のお母さんの家に遊びに行きます。


「そうだ、孝太郎のアルバムでも見ましょうか」

「あるばむ?」


 先輩のお母さんが棚から出したのは、写真がいっぱい貼ってある分厚い本でした。


 表紙には「孝太郎のアルバム」という文字。一ページ目には、小さな人間の手形と足形がついています。


「これ、孝太郎が赤ん坊だった頃の手形なのよ~」

「わ、わう……これが先輩の手……?」

 瀬名の手のひらよりずっと小さいです。今の大きい手とは全然違います。


 次のページには、ぷにぷにした赤ちゃんの写真が載っていました。


「これが赤ちゃんだった頃の先輩……」

 今とあんまり似てないです。

「あはは、赤ん坊の頃はみんなそうよ」


 しばらく、ぷにぷにした赤ちゃんと、それを抱いている色んな人の写真が続きます。

 先輩のお母さんが若いです。先輩のお父さんも若いです。


 ですが、ページをめくるごとに、ぷにぷにから少しずつ、今の先輩の面影が出てきます。


 伸び始めた髪は、焦がしたキャラメルの色。

 瞳は、ぽかぽかなときの空の色。

 今と同じ色ですが、何もかも小さくて、ほっぺたが丸いです。


「わふふー、ちっちゃい先輩とってもかわいいです」

「そうでしょう? 今じゃかわいげもへったくれもないけど、このときはとってもかわいかったのよ」


「わう! 先輩は今もかわいいです」

 にっこりの顔はもちろんかわいいですし、寝顔は少年っぽくてかわいいです。


 寝起きはたまに抜けていて、歯磨き粉とハンドクリームを間違えて歯を磨いてしまったり、シャツの裏と表を間違えて着たり、ほっとけなくなります。

 珍しい古い本を見つけるとうれしそうに瀬名に話すところも、全部かわいいです。


「わう?」

 ちっちゃい先輩は、にっこりじゃない写真ばかりです。


「この頃は病気のせいか塞ぎ込んでて、周りの子達とも全然遊ぼうとしなかったのよ。病気が治ってからは、すっかり明るくなったけど」


 確かに、それまでの無表情とは打って変わって、ある時期を境ににっこりの写真ばかりになりました。


 病気……小さい頃の先輩がそうだったなんて、知りませんでした。

 元気になって、とってもよかったです。


 瀬名は、またアルバムを見ます。

 きっと先輩との間に子どもができたら、その子もこんなふうにかわいいのでしょう。早く先輩のお嫁さんになりたいという気持ちが、もっと強くなります。


 ページをめくるごとに、先輩はどんどん大きくなっていきます。

 小学生の先輩、中学生の先輩、高校生の先輩。歳を重ねるごとに写真が増えるペースは減っていきますが、それでも全部合わせると結構な量です。


 一番新しい写真は、「入学式」と書かれた看板の前で、上下黒い服を着た先輩と、先輩のお母さんとお父さんが立っている写真でした。


「これは大学に入学したときのものねえ。つい最近に思えるわ」

「今の先輩と大体同じです」

 先輩は、こういうかっちりした服もよく似合います。かっこいいです。


 このアルバムを見ていると、先輩がお父さんやお母さんに大事に育てられたことがわかります。


「わう」

 とってもいいことで――少し羨ましいです。


 瀬名には、生まれたときからの成長記録などありませんから。自分が本当はいつ生まれたのかすら、わかりません。


 でも、大丈夫です。

 瀬名は、本当に大切なものを見つけたから。

 ほかの何よりも、大切なものを。




 * *




 瀬名が家に帰ると、先輩もすぐに帰宅しました。

 もっとも、先輩の大学が終わる時間を見計らって帰っているだけなのですが。


「今日は先輩のお母さんのところで、先輩のあるばむを見ました」

「ええっ!? 母さん、全くなんてことを……」


「ちっちゃい先輩、とってもかわいかったです」

 今思い出しても、愛らしさに胸がぽかぽかします。


「母さん、きっと瀬名の気を引くために俺のアルバムを使ったんだな……」

 先輩は微妙そうな反応ですが、怒っているわけではないようです。


「わふふ、先輩の子どももきっとあれと同じくらいかわいいです。瀬名、早く先輩の子どもがほしいです」

「げほっ、げほっ、げほっ」

 なぜかむせている先輩でした。


「あ、あのな、瀬名……そういうことは結婚してから、な?」

「わう、わかってます。でも、想像するくらいは自由です」


 あのぷにぷにした赤ちゃんの姿。抱きしめたら、きっとすごくぽかぽかすることでしょう。


「先輩、早く瀬名をお嫁さんにしてくださいね?」

「あ、ああ……」

 なぜか及び腰の先輩でした。


「そうだ、瀬名のアルバムもあるよ」

「わう?」


 先輩が取り出した本は、いぬの足跡がぺたりとついた表紙でした。開くと、白くて小さないぬの写真がずらりと並んでいます。


「わう! 瀬名です」

 お昼寝している瀬名。先輩にくっついてる瀬名。公園を走り回っている瀬名。色んな瀬名がいます。


「わう……」

 ちょっと恥ずかしいですが、懐かしくもあります。


「折角だし、現像したんだ。今は簡単にできるしな」

 こんなにいっぱい写真を撮っていたなんて。

 瀬名の知らない瀬名が、そこにはいっぱいいました。


 そっと傍らの先輩を見上げます。先輩は、アルバムを見ながらにっこりしています。

 瀬名の、一番好きな表情。その表情を見ていると、胸がすごくぽかぽかしてきます。


 途中からは、人間の姿に変わります。おでかけしたときの瀬名。新しい服を着た瀬名。甘いものを幸せそうに食べている瀬名。ばいと中の瀬名。


 こないだ撮ったばかりの、お祭りの写真もあります。


 これは、先輩の視野でもあります。先輩が瀬名をいつも見ているからこそ、撮れたものなのです。


 瀬名は先輩に抱きつきます。

「わうー!」


「せ、瀬名!?」

「わうー」

 ほっぺすりすりします。


 先輩は戸惑っていましたが、とりあえず瀬名の頭をなでなでしてくれます。


 誰かと一緒にいるというのは、こうして思い出を共有するということです。もしこのあるばむがなくたって、先輩とお話すれば、いつでも昔のことを懐かしむことができます。


 ちっぽけな瀬名という存在の連続性を見ていてくれます。


 それは、とっても素敵なことでした。

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