18〈mof〉 いぬとふしぎな出会い


 今日は先輩のお母さんの家に来ていました。


 この家には、絵本がいっぱい置いてあります。瀬名は一冊手に取ってみました。

 『ドーナツしっぽのいぬ』。先輩のお母さんの代表作だそうです。


 開いてみると、パステルの淡い色彩が広がっています。


 ふつうのいぬとは違う、ドーナツのようなくるんとした丸いしっぽを持って生まれたいぬは、周りのいぬと馴染めず、辛い思いをしていました。


 そんなドーナツしっぽのいぬが、ひたむきに頑張り続けることで、みんなから受け入れられるまでを描いた話です。


 最初は悪口だった「ドーナツしっぽ」が、やがてチャームポイントとして受け入れられ、名声の象徴になっていきます。


 ひとりぼっちだったいぬの周りが、だんだんにぎやかに、楽しくなっていきます。


「わ、わう……っ」

 胸がじーんとして、思わず涙があふれてきました。


 ドーナツしっぽのいぬが幸せになって、本当によかったです。


「絵本、おもしろいです」

 ぽかぽかな色合いで描かれた絵に、素朴で胸を打つ文章。

 とても惹き込まれます。


 こんなものが作れるなんて、先輩のお母さんはすごいです。


「瀬名ちゃん、ほかにも絵本はいっぱいあるから、好きなだけ読んでね」

「わう。読みます」




 * *




 先輩のお母さんの家を出た後、いぬの集会に寄って、帰ります。

 いぬの姿のままで道を歩くのも、乙なものです。


 そろそろ夏の訪れも近いです。


 暑いのは困るけどまた海に行きたいなと思いながらぽてぽて歩いていると、

「ねえ、あなた」

 突然水を打ったような綺麗な声に呼び止められました。


 声の方向を見ると、一匹の猫がいました。


 光の加減で白色にも見える、毛並みのきれいな猫です。しなやかな体躯で、もふもふころころとした小犬の瀬名とは正反対です。


「わう?」

 何の用かと訝る瀬名に構わず、猫は話します。


「愛玩動物として生きる気分はどう?」

 不思議な響きを持つ、澄んだ声。どうやら、メスのようです。


「あなたはね、人間の嗜好品として作られたの」

 猫の話は、こちらの反応を待たずに展開されます。


「古来から人に従う習性を買われて道具として重用され、現在に至るまでも愛玩動物として売り買いされている商品」


 一体何の話をしているのでしょう。

 わかりません。


 瀬名は確かに愛玩動物です。

 だからなんなのでしょう?


「愛らしい見た目で、人にとって便利であればあるほど商品としての価値が上がるから、いぬは幾度も品種改良が行われてきたわ。健康や生存には適さない特徴を、愛らしいからという理由で足されたり、維持されたり。ほかにも、生殖能力を無理やり取り除かれたり、うるさいからと声帯を切除されたりなんてことが、平然と横行している。特に意味もないのに、耳やしっぽを切り落としたりね」


 一切淀みなく、猫は話し続けます。


 断耳に断尾――話には聞いたことがあります。

 先ほど出ていたいぬの集会にも、そういういぬはいました。


「あなた、血統書つきのいぬでしょう? あなたの血統は何代も前から、人間の商品として管理されてきたの。ドッグショーのチャンピオンになるような優秀さだったり、人間に従順な気質を持ったいぬ同士が選ばれて交配され、商品価値を高めるためにね。あなたが生まれたのも、お金稼ぎのためよ」


 それの何がいけないのでしょう。人間がいなければ、瀬名は存在していなかったという話でしかありません。


 瀬名は今とっても幸せなので、生まれてきてよかったです。

 環境に適応するのは、生物として当然のことです。いぬと人間は共生しているのです。


「共生? 正しくは支配と隷属の関係よ。飼い主に命令されたり、従うと幸福を感じるでしょう? 飼い主なしでは生きていけないでしょう? 全部、そうなるように人間に作られたの。人間に都合の悪い習性は淘汰されてきたの。あなたは、そんな自分を疑問にも思わないでしょうけどね」


 人間がおいしいごはんを食べたり、気持ちよくお昼寝をして幸せになるとき、生物としての摂理がどうとか、考えたりするものでしょうか?


 そんなこと、どうだっていいです。

 瀬名にとって大事なのは、先輩と一緒にいるとぽかぽかするという純然たる事実だけです。


 瀬名の返答を聞いて、猫は一笑に付しました。


「所詮飼いならされた家畜ね」

「わう?」


 先輩にいっぱいなでなでされて、ごはんを食べさせてもらって――先輩のひざの上に座ったり、先輩にくっついて寝たり、そういうこと全部が、飼いならされるということなのでしょうか?


 だとすれば、飼いならされるって、なんて素敵なことなのでしょう。幸せです。

 少なくとも、野良だった頃――誰にも構ってもらえず雨ざらしでひもじく暮らしていた頃――よりずっとずっと幸せです。


「まさに愛玩動物の思考ね。消費される道具としか思われていないというのに。それに、あなたの飼い主は猫派よ」


「わう? 先輩は、いつもいっぱい瀬名をかわいがってるので、いぬ派に決まっています!」


 瀬名は、猫にしっぽを向け、家を目指して歩き出します。そろそろ先輩が帰ってくる時間でした。


 あの猫は何も言わず、去っていく瀬名を見ています。

 もう会うことはないでしょう。そんな予感がしました。




 * *




 家に帰って人間の姿に戻ると、まもなく先輩も戻ってきました。

「瀬名、ただいま」


 瀬名は先輩の胸に飛び込みます。

「わうー! おかえりです」


「あはは、甘えん坊さんだなぁ」

 先輩はそう言って、瀬名をなでなでしてくれます。


挿絵(https://kakuyomu.jp/users/allnight_ACC/news/16817330651803252392


「わうー」

 やっぱり、この瞬間が一番幸せです。先輩の腕の中はぽかぽかで、ずっとこうしていたくなります。


「先輩は、いぬ派ですよね?」

「ああ、もちろん」

「わふふー」


 こんなに幸せなら、瀬名は愛玩動物でいいです。

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