第4話 婚約内定

 手紙が届いてから数日後。私は王宮に向かうことになった。父と馬車で。


「いやぁ~よかったよかった。筆頭公爵家であるブリストル家はやはり王家と血縁関係が近すぎるからな。我が家の娘が婚約者になるとは思っていたが、わかっておるな?」

「はい?」


 わかっておるな、とだけ言われてもわからないものはわからない。むしろこんな時だけ父親面をするなと思う。いつも家に帰って来ないのだ。


 父の名はカディス。ロッテルダム公爵家の当主だ。

 そこそこ若いはずなのに丸々と太っていて、不摂生がたたってか、髪も白い。

 瞳の色はお兄様と同じ灰色だけれど、太っている関係でつぶらに見えるあたりは可愛いかもしれないけれど。


 なぜこんな豚みたいな──目はかわいいけれど──父から美青年な兄が生まれてきたか、私には理解できない。

 単純にお母様の血が強かっただけなのだろうか。


 ついでに言わせてもらうとお酒臭い。本人に伝えたら「酒を飲むなというのか!?」と逆上するのは目に見えているので、今のところ一生伝えるつもりはない。


 私は父の心を読めるので、かなり最適に近い行動を選べているはずだ。でも心を読まなければわからないぐらいにはひねくれているのだから、不親切にも程がある。


 やがて、馬車は王宮に到着した。もちろん、父のエスコートなんて受けたくないので自分で降りた。警備兵の方が苦笑する。


「ブレシア! お前、ここは家ではないのだ」

「わかっておりますわよお父様」

「わかっている? このようなことをしよって!」


 私は心の中で溜め息をついた。

 そんなこんなで、宮殿に足を踏み入れた私たちが案内された先はちょっと──いや、かなり豪華な応接室だった。


 父の心を読む限り、ここで正式な婚約の契約書にサインするのだと思う。父と国王陛下が。


 正直王子、それも次期国王たる王太子殿下との婚約など、これほどまでに面倒なことはない。今と同じように、毎日毎日重苦しいドレスを着ることになるのだろうから。


 そう。私は今もドレスを、それもその王太子殿下の髪と瞳の色である淡い金色というか黄色というかといった色合いをしたドレスを着せられているのだ。

 もちろん、髪型だって普段のさらさらストレートではなく、これでもかというほど芸術的な編み込みがなされている。


 ふかふかのソファに腰掛けることしばらく。入口の扉が開いたので、国王陛下と私の婚約者になるという殿下が来たのだろう。私たちは立ち上がって臣下の礼をとった。


 さすがに父やお兄様と違って、王家の方に無礼を働くわけにはいかない。そんなことをした日には、私の首が物理的に飛びかねない。

 スコーンを投げてしまったのは事故だ。お咎めがあったなら、それこそ婚約者に選ばれていないだろうから。


「よい。おもてを上げよ」


 許しを得た私たちは顔を上げる。そこにいたのは、レオン殿下ひとりだった。一瞬、彼の金の瞳に凝視ぎょうしされた気がする。

 でも元女神の私にとってはこの程度、慣れっこだ。


 目を逸らしてみれば後ろにお付きの方もいたのだけれど、彼は王宮の近衛兵らしい。というわけで実質彼ひとりだ。

 偶然にも私と同じことを疑問に思った父が、それをそのまま口にしてくれた。


「おや殿下。国王陛下はいずこに?」

「公爵、父は生憎あいにく所用があってな。婚約の締結など、私一人で十分だろうということらしい」


 座ってもよいという許しを得た私たちは、再び先ほどのソファに腰掛ける。一方、殿下は机を挟んで反対側のソファに腰を下ろした。


「こちら側のサインは終えてある。あとは公爵、こちらに」

「承知いたしました」


 婚約とは家同士で行うものだ。もともと血縁によって互恵関係を築くために始まったもので、貴族制度が確立した今となってはその名残なのだという。

 暗黒時代にも有力者たちがやっていたのを聞いていたのもあって、教師に教えてもらった時もすんなりと理解できた。


 ふと手元を見てみると父のサインが達筆すぎる。家に全然帰ってこないのは仕事だけでなく、サインの練習もしているから……というわけではない。

 母という女性がいながらとある女性のもとに熱心に通っているらしいのだ。それもずっと前から。娘の私から見ても、ろくでなしだと思う。


「感謝する。これを」

「はっ!」


 先ほど殿下の後ろにいた近衛騎士らしき方の一人が答える。

 一見線が細いように見えるが、よく見れば騎士らしく引き締まった身体。きっちりと整えられたアッシュゴールドの髪。一方で瞳は黒だ。


 彼は殿下から受け取った婚約証を検めたかと思えば、すぐに頭を下げて退出していく。私はその言一連の動きを最初から最後まで見つめていた。……がやはり、あの騎士様の方が何倍もかっこいい。


 あ、父がいら立っている。ちなみに、殿下の心を読むのは不敬な気がするのでやっていない。以前お茶会の時に読みとれなかったのは「心を読むな」という警告か何かなのではないだろうか?

 そんなことを考えていたので、私は殿下からの問いかけに反応するのが遅れてしまった。


「──ダム嬢。ロッテルダム嬢?」

「! 何でございましょうか?」

「近衛騎士など私の婚約者になればいくらでも見る機会があると思うが」

「そうですわね。いかがなさいまして?」

「いや、関係ない。それにしても今日は髪型を前回とは変えて来たのだな」


 会話の流れが明らかにおかしい。「今日はお日柄もよく」レベルでおかしい。飛び飛びだ。父も困惑しているではないか。

 そんなふうに私たちが困っていることを悟ったのか、金の瞳を伏せてしまった殿下。ついに部屋は沈黙に包まれた。




 しばらくして、その沈黙を破ったのは殿下のお言葉だった。


「公爵。ブレシア嬢と二人きりにしてはもらえぬか?」

「で、ですが殿下。婚約者同士で二人きりとは、いささか急ではありませんかな? 既成事実を作っていただけるのならありがたいのですが……」


 父の頭の中で始まったあまりに酷い妄想に、私は心を読むのを一旦やめることにした。

 コッペパンでもパンケーキでも、何でもいいからその口に放り込んでしまいたい。


「ちょうど私の近衛騎士も戻ってきたようだ。それに女性が必要だというのなら」

「レオン殿下がお呼びと聞きましたので……あら、ごきげんよう。ロッテルダム公爵」


 戻ってきた近衛騎士の方と共にそこにいたのは、ブリストル公爵令嬢──やはり面倒くさいのでアマルナ様と呼ぼう──と王宮メイドの方だった。


 私のことは完全に無視されたが、貴族令嬢が一人で殿方と会うのははしたないとされているのだから仕方ない。

 できることなら暗黒時代の資料の閲覧許可だけもらえたら私としては一番なのだけれど。


「いやはや、先ほどの沈黙はなるほどなるほど……あっぱれですな」

「買い被りすぎだ」


 私は殿下に強く同意する。この後、父はいつも通りの自分の仕事に向かうと言い残して退出していった。

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