第1話 お茶会への招待状

 私、ブレシア・ロッテルダムは、この世に生を受けたその日から今日までのおよそ十六年間の記憶がある。

 もちろん、生まれてからの全てを逐一ちくいち覚えているわけではない。


 けれど、大抵の場合、子供というのは生まれたばかりの頃──あるいはそれ以前──のことを覚えていないのが普通らしい。

 これは私が三歳の頃に三つ上のバルトお兄様に聞いて知ったことだ。


 どうして私が生まれた時からずっと覚えているのか。それには、たぶん私が「前世」を覚えていることが関わっているのだと思う。だって──


「おはようブレシア」

「おはようございますお兄様」


 ここは王都にあるロッテルダム公爵家所有のタウンハウス。

 十六歳の私は父とお兄様と三人で暮らしていた。身体が弱いお母様は領地のカントリーハウスで療養しているのだ。


 父は王宮で働きづめらしい。なかなか家に帰ってこなくて、ここに住んでいるのはお兄様と実質二人だったりするけれど。


「今日の調子はどうだい? 女神さま?」

「からかわないでくださいまし!」


 私より少し濃い、お母様そっくりの緑の髪に、父そっくりの灰色の瞳。顔つきはこれまたお母様そっくりの穏やかな雰囲気を醸し出している我が家の美人、いや美男。


「ハハッ! 小さい頃は『私は女神だから聖女の術を使えるんだ~』なんて言っていただろう? あれはかわいかったなぁ」

「もうその話は時効でしてよ!」

「ハイハイ」


 おかしい。こんなはずではなかった。私が人間相手に遅れを取るなんて! ……そう思ったけれどのことを思い出すと、どうしても強く出られない。

 私には誰にも言えない──小さい時は思いっきり家族に言ってしまったけれど──秘密がある。


「前世は泉の女神で、騎士の青年に恋してしまったのに、あっけなく騎士の妹に殺されたんだっけ~? 髪も今と同じオパールグリーンで、瞳の色もローズクォ」

「お兄様の変態的な植物愛を皆様にお伝えしてよろしいので?」

「悪かったよハイハイこれで機嫌直して女神さま」

「何も分かっていないでしょう、っておひいはは」


 シェフが丹精たんせい込めて作ってくれたサンドイッチが私の口の中に押し込まれる。

 咀嚼そしゃくしながら話すのははしたないことだけれど、これをこぼすのは元豊穣ほうじょうの女神とあがめられた私の名がすたる。


 というわけで、私はこのサンドイッチのレタスの切れ端一枚落とすわけにはいかないのだ。


 そう。私には赤子の時のものだけでなく、前世の記憶もある。それも泉に住み、周辺に住んでいる人たちに恵みをもたらす女神だった。

 髪はお兄様が言う通り今世と同じ淡いオパールグリーンのストレート。瞳もこれまた今世と同じローズクォーツだった。有り体にいえば今世の私は前世の私とそっくりなのだ。


 ちょっと不思議だけれどそもそも前世、もとい赤子の時の記憶があること自体が珍しいことなのだと聞いたわけで。兄以上に母に似ているわけで。

 それ以来、見た目なんて些末さまつな問題だと思うようになってしまった。


「ブレシア、おいしい?」

「おいしいですけどお兄様が作ったものではないですよね?」

「我が妹はつれないな。そんなんじゃ婚約者ができてもきっとガッカリすると思うよ?」

「あーはいはい。わかってますわよお兄様」


 本当に? とお兄様は怪訝けげんな顔をしているけれど、婚約者なんて知らない。貴族の責務とか嫌だ。

 私は前世で同じ時間を共有した「あの騎士様」がどうなったのか調べたいのだ。


「そもそも、暗黒時代大好き令嬢のことなんて誰が見向きするというの?」

「いや、兄の贔屓目ひいきめの分を差し引いてもブレシアは十分魅力的な淑女だと思うけれど……。あ、騎士様を探し出すんだっけ? それも文献に書かれているぐらい昔の時代の──」


 私は手元にあったサンドイッチを、心の中でシェフに謝りながらお兄様の口に向かって投げた。


「うわっ……! うっ、あふはいはは! いはほ、あふはひはは!」

「お兄様も私の口に押し込んだではありませんか」

「だからって投げるのは危ないよブレシア! コントロールが上手だからってそんなことは家の外でしちゃダメだからね?」

「あら、危ないってお兄様……。私の腕を知っているでしょう?」

「知っているけどダメなものは、ダメー!」


 胸の前で腕を交差させて私に強く禁止を言いつけるお兄様。


 私はお兄様──に限った話ではないのだけれど──の口に向かって正確に食べ物を投げ入れることができる。たとえ、人二十人分ぐらい離れていたとしても。


 思った方に向かって正確に物を投げられる。これが聖女の力なのだろう。今世の私は女神ではなく、人なのだ。

 でも、聖女の力と言ってもお兄様に言っても信じてくれなかったので、私の投擲とうてき能力が高いということにしている。


 もちろん、こんなことはお兄様以外にはしていない。今世では。


「小さい時は聖女の力だ~とか言ってたけれど、十八歳になって成人の儀を受けるまでは聖女の力が眠っていても使えないからね。ブレシアの実力だって信じてるから」

「……ありがとうございます?」

「どうして疑問形? でもブレシアに感謝されるなんて世界の終わりか──」

「ニンジン。葉。舌」


 私は聖女の力で兄の心の中を読む。そしてひとつひとつ、兄の考えていることを言葉にしていき──


「それは! 本当に!」

「バルト様、ブレシア様。ご歓談のところ失礼いたします」


 お兄様のことはわからないけれど、私が朝食を楽しんでいた所に割り込んで来たのは我が家の執事だった。

 名前はアダム。歳を重ねているというのに後ろになでつけた銀髪も、真っ直ぐと伸びた背筋も老いを感じさせない。モノクルを指先で軽く押し上げ「お耳に入れたいことが」と言わんばかりだ。


「どうしたんだい?」

「王家から茶会への招待状です。ブレシア様に、と」


 まさか、この招待状があんなことになるなんて……。この時の私は、元女神だったにも関わらず、まったく知らなかった。

 そもそも、前世でも未来は見えなかったというのはさておき、なのだけれど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る