第17話:災いの宴


「吐きそう」

「お前の方が酔い潰れてどうするのだ、馬鹿者め」


 王城前の広場。

 ふらつくガイストを、仕方ないとばかりに支えてやりながら。

 ヒルデガルドは呆れた顔でため息を吐いた。

 傍を歩く灰色狼も、似たような表情をしている気がした。


「いやぁ、他の連中が変に盛り上がるもんだから……」

「言い訳など聞きたくもない。そら、もっとしっかりと歩け!」

「うーん厳しい」


 空を見上げれば、火の心臓の色は藍色に染まりつつある。

 酒場に入ったのは昼過ぎだが、間もなく夜の気配がやって来る頃だ。

 本当なら、食事を済ませたらすぐに戻るつもりだった。

 が、途中からガイストとは顔馴染みの客たちが、酒を片手に寄って来て。


『なんだよ兄ちゃん、えらい別嬪さんを連れてるじゃねぇか!』

『おいおい、意外とすみに置けねぇなぁコイツ!』

『コラ酔っ払いども、逢い引きの邪魔する野暮天に出す酒はないよ!』

『そりゃひでぇよ女将さん! ちょいと挨拶しに来ただけだろ!』


 ……と、大体こんな騒ぎになってしまった。

 戸惑うヒルデガルドを余所に、ガイストを含めた男衆は大いに盛り上がった。

 そして調子に乗り過ぎ、八割潰れたところで女将に叩き出されて今に至る。

 肌寒くなってきた風に、男は小さく身震いした。


「不死人でも、酒が回ってはどうしようもないか」

「死ねば一気に抜けるんだけどなぁ」

「……こんな場所でやるなよ」

「流石に街のど真ん中で自殺するのはちょっと」


 街中でなければやったのかと、ツッコミかけたが止めておいた。

 必要に迫られたらやるだろうなと、問うまでもなく分かったからだ。

 ヒルデガルドは、細い吐息をこぼした。


「面目ないな、姫様。折角付き合って貰ったってのに」

「まさか酔っ払いの面倒を見るとは思わなかったぞ。

 ……だがまぁ、食事と酒は悪くなかった」

「他にも、都には美味い店があるんだ。今度はそっちも案内しますよ」

「調子に乗るな、馬鹿者め」


 酒臭い声で笑うガイストに、ヒルデガルドは微妙に顔をしかめる。

 けれど、すぐに表情を緩めて。


「……まぁ、街の者たちの様子も、直に確かめたくはある。

 だから、特別に付き合っても良いぞ」

「やったぜ」

「調子に乗るなよ。食事を共にしたぐらいで、私が絆されるなどと勘違いを……」


 浮かれる男に、姫君は言い訳じみた釘を刺そうとする。

 だが、それを言い終える前に、頭上で黒い翼が羽ばたいた。

 灰色狼が低く唸り、ガイストとヒルデガルドは同時に見上げた。


「カラス……? あ、あの玉座のとこで見た奴か」

「ヤタ? どうした、こんなところに」

「――失礼します、姫君。

 お邪魔したくはありませんでしたが、火急ゆえご容赦下さい」


 一羽の鴉が、大きく羽根を広げる。

 嘴から人の声を囀ると、またたく間にその姿が年若い執事のものに変化した。

 驚くガイストは無視して、ヤタはヒルデガルドに頭を垂れた。

 そして、戦慄に震える声で告げる。


「《彷徨える王》が現れました。

 王都の西から迫っており、程なく城壁に接触します」

「ッ、《彷徨える王》だと……!?」

「……何か、聞いた覚えがあるな」


 驚愕するヒルデガルドの横で、ガイストはぼんやりと呟く。

 《死》を奪われた際に記憶の大半はなくしているが、知識までは消えていない。

 その名が古い御伽噺であり、時折現れる災害である事は覚えていた。


「くそ、何故こんなところに……! いや、予測できぬからこその災害か」

「姫様、如何致しますか」

「お前は住民の避難を誘導しろ。《彷徨える王》は私が迎え撃つ」

「ですが、お一人では……!」

「私以外の誰が、あの厄災に対抗できる? 良いから急げ!」


 鋭い声で命じられ、ヤタは一度深く礼をする。

 それから再び鴉の姿に変じると、複数に分裂した上で王都の空を飛ぶ。

 ヒルデガルドはそれを見送ってから、足元の影から大戦斧を取り出した。


「どうやら、お前への褒美はここまでだな」

「みたいだな。残念だが仕方ない」

「私は《彷徨える王》の首を取りに行く、お前はさっさと」

「や、付き合うよ。

 《彷徨える王》だか何か知らんけど、ほっといたらヤバいんだろ?」

「……その名がどんな意味を持つのか、分かって言ってるのか?」


 予想していなかった言葉に、ヒルデガルドは僅かに戸惑いを見せた。

 未だ足元がふらつく酔っ払いは、その言葉に何度も頷く。


「分かってる、分かってる。

 何か大昔の王様で、未だにあちこち徘徊してるんだっけ」

「《彷徨える王》について、その程度の理解で語る事に恐怖を感じるな」

「なんでも、随分と欲深だったらしいじゃないか。

 だったらきっと、姫様や《王器》を欲しがってやって来るはずだ。

 あの魔術師もそうだけどな、俺が頑張ってんのに横入りなんて認められるかよ」

「…………」


 色々口からダダ漏れの男を、相棒の灰色狼は呆れた顔で見上げる。

 それには気付かず、ガイストはヒルデガルドに向けて軽く指を立ててみせた。

 御伽噺の怪物に挑む前とは信じられないほどの気軽さで。


「だから、老害をさっさとぶっ殺したら、また相手をして欲しい。

 もうちょっと頑張れば、勝てそうな気がしてるんだ」

「……お前という奴は、本当に」


 ヒルデガルドは笑った。本当に、愚か過ぎて笑うしかない。

 《彷徨える王》の強大さを、彼女は良く知っていた。

 戦う他に道はないが、戦って勝てる自信はほとんど無い程度に。

 敗北と死の覚悟で重くなっていた胸中は、ガイストの戯言で幾分軽くなっていた。

 それをそのまま認めるのは、癪な話ではあるけど。


「分かった。お前がそこまで言うのなら、共に来い。

 お前は不死なのだから、こちらも遠慮なく使わせて貰うぞ」

「あぁ、そうしてくれ」

「よし。では動くぞ、今の無駄話で少し時間を――」


 使いすぎた、と。ヒルデガルドが言い終える直前。

 唐突に、ガイストが彼女の身体を突き飛ばした。

 不意打ち気味だったので、姫君はなす術もなく地面を転がる。

 一体、何を――――!?


「ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!」


 高らかに響く哄笑。同時に、ヒルデガルドが見ている前で地面が爆ぜた。

 丁度、ついさっきまで彼女が立っていた場所。

 近くにいたガイストを文字通り粉々にし、灰色狼も衝撃で吹き飛ばしながら。

 降り立ったのは、巨大な斧を担いだ赤髪の大巨漢。

 欲望の色で燃え上がる日輪の瞳が、ぎょろりと辺りを見渡した。


「何だ何だ、随分と見すぼらしい街ではないか。

 逸って『跳んで来た』が、これは外れか?」

「っ……《彷徨える王》……!!」


 下卑た声で笑う怪物、《彷徨える王》を睨みつけ、ヒルデガルドは武器を構える。

 ヤタの報告では、まだ到着には時間があったはず。

 信じがたいことだが、城壁を物理的に飛び越えてきたのか。


「んん……? その声は、聞き覚えがあるぞ。昔に一度、見えた事があるな」


 見下ろす王の眼差しが、ヒルデガルドを捉えた。

 瞬間、《彷徨える王》から熱気にも似た強烈な圧力が溢れ出す。


「おぉ、おぉ! そうだ、そうだ。確かヒルデガルドと名乗っておったか?

 かつてワシが平らげた戦場の一つで、お前だけが勇ましく挑んだ来た。

 今でもハッキリと覚えているぞ!」

「……私も、あの悪夢を忘れた事はない。

 結局私一人では仕留めきれずに、その場にいた者全員の力で討ち取ったが」

「アレは惜しかったし、実に愉快な戦いであった。

 覚えておるなら、姫よ。ワシが残した言葉も、忘れてはおるまいな?」

「戯言など、記憶に留めておく必要を感じない」

「ハハハハハハハ! 良いぞ、気の強い女はワシの好みだ!」


 嘲り笑い、《彷徨える王》はヒルデガルドと対峙する。

 ただそれだけで空気が震え、視線を向けられただけで全身に重圧を感じる。

 ――存在としての格が、桁違いだ。

 かつて己の強欲のために、あらゆる物を我が物にしようとした狂王。

 今は《王器》すら取り込み、盗まれたのではなく自ら《死》を振り切った怨霊。

 《不死英雄》であるガイストさえ超える、まさに伝説の怪物だ。


「では、かつての約束を果たそう。次に会う時、お前を我が花嫁にする。

 我は王だからな、自らの言葉を違えるわけにはいかんのだ」

「そんな一方的な婚約話など願い下げだ、馬鹿め」

「ハッハッハッハッハ、今日は助けもなく一人だというのに。

 その気の強さはまったく損なわれんとは、やはり気に入ったぞ!」

「……一人、一人だけか」


 その言葉に、ヒルデガルドは堪えきれない様子で笑みをこぼす。

 予想とは異なる反応を目にして、《彷徨える王》は僅かに訝しんだ。


「何だ、恐怖のあまり呆けたか?」

「いいや、お前の間抜けさに呆れただけだ。欲深く愚昧な王よ。

 お前は強く、それ以上の傲慢で浅はかだ。

 自分が踏みつけにしたものが何であるか、想像した事もないのだろうな!」


 姫君が声を張り上げると、銀の剣が閃いた。

 意識外からの一撃を防ぐこともできず、《彷徨える王》の脚を切り裂く。

 反射的に振り下ろした巨大戦斧の一撃が、砕かれた地面を更に念入りに粉砕した。

 が、手応えは薄い。蘇生したばかりのガイストは、素早く安全圏に退いている。

 自分の返り血で甲冑を赤く染める亡霊に、ヒルデガルドは視線を向けた。


「礼は言わんぞ、ガイスト。遠慮なく使わせて貰うと、そう言ったばかりだ」

「あぁ、姫様が無事で良かった。あと、ありがとうなクソジジイ。

 派手にぶっ殺してくれたおかげで、いい感じに酒も抜けたわ」


 傍らに灰色狼を従えて、ガイストは剣を構え直す。

 間違いなく殺したはずの相手が、何事もなく生き返ってきた事実。

 それを目にしながら、《彷徨える王》に驚きはない。

 ただ興味深げに……いや、欲深げな表情でガイストを見ていた。


「《不死英雄》とは、また随分と面白い生き物を飼っているな。姫よ」

「こんな男を飼った覚えはないが、今は共にお前の敵だ」

「そういうわけなんで、こっちは二対一……いや、三対一だな。

 数では完全に負けてるんだから、大人しく尻尾を巻いてくれないかな?」

「…………」

「ほら、相棒も同じこと言ってるぞ。え? 違う? 油断するな?」

「ハッハッハッハッハ、愉快だ。

 これほど愉快な気分になったのは、久しくない事だぞ」


 圧倒的強者の余裕を身に纏い、《彷徨える王》は『獲物』をそれぞれ一瞥する。

 生まれながらに稀有な才覚と力を持つ、人から忌まれた王ならざる娘。

 《死》を盗まれ、生きながらにして不死になった男と、その眷属である灰色狼。

 強欲な王は、主なき《王器》を奪えればそれで良いと思っていた。

 それ以上に価値のある宝など、そうそうありはしないと理解していたからだ。


「だが、運命とは分からぬものよ。まさか、これほどの宝に出くわそうとは!

 おぉ、最初に火の心臓を欲したる竜の王よ!

 あらゆる《死》を我が物にせんと盗み出した隠れたる者よ!

 この世の全てを望み、故に万象を裏切りし名を秘されたる神よ!

 人に悪と罵られたる三柱の神々よ、我が成す悪逆無道をどうかご照覧あれっ!!」


 邪悪な祈りを天地に向けて吼える。

 そして王は、《王器》たる巨大戦斧――《虐殺者》を初めて構えてみせた。

 数多の血と命を啜り、本来の役目を喪失した恐るべき武具。

 ヒルデガルドは、己が持つ斧がその紛い物でしかない事を、意識せずにはいられない。

 重い畏怖に囚われた彼女の耳に、男の軽い声が届く。


「大丈夫だ、姫様」

「……ガイスト」

「一人じゃキツいだろうが、この場には俺たちもいるんだ。

 街をぶっ壊されて、次の食事の予定が潰れたら非常に困るしな。

 あの勘違いした老害ジジイは、絶対にぶっ殺そうぜ」

「……あぁ、そうだな。《彷徨える王》は、必ずここで仕留める」

「ハッハッハッハッハ、良いぞ。

 活きが良いほど、獲物は奪い甲斐があるというものだ」


 心底愉快そうに語りながら、《彷徨える王》は一歩踏み出す。

 たったそれだけで、王都全体を微かに揺らしながら。


「さぁ、宴だ。王の宴だぞ! 供物を捧げよ!

 我が飢えと渇きを癒やす贄となれィ!!」


 《彷徨える王》は戦いの――宴の始まりを高らかに叫んだ。

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