無重力怪盗コスモス

長月瓦礫

無重力怪盗コスモス


『12/12  辰砂の夢をいただきに参上する。怪盗コスモス』


数日前、怪盗を名乗る謎の人物からの犯行予告がマーギット氏の下に届いた。

淡いピンクのコスモスの花がちりばめられた可愛らしい便箋は、すぐに警察に届けられた。


屋敷の地下には『辰砂の夢』という絵画が展示されている。

これはかの巨匠、浅羽晋太郎氏の作品だ。

赤色の絵具だけを使い、月夜の砂漠を歩くラクダと商人が描かれている。


マーギット氏は芸術品をいくつも所有している。

彼自身は芸術に興味はほとんどないのだが、人々を黙らせるための道具として使っている。これが案外、効果を発揮してくれるらしい。


彼にとって芸術品はコミュニケーションのツールなので、管理は割と適当だ。

地下のエレベーターホールに飾ってあるだけで、特にこれといったことはしていない。

その気になれば、絵画はいつでも持ち出せる。


令和の時代に怪盗が見られると思っていなかったのか、予告状はすぐにネットを介して広まった。指折りの実業家と大胆不敵な怪盗の対決が見られると、大きな話題を呼んだ。


そして、誰もが神に祈る12/12が来た。闇夜が閑静な住宅街を包み込んでいる。


環境保護団体プラネットがカードや拡声器を持って、マーギット氏の屋敷に参列している。彼が推し進めているエネルギー開発のプロジェクトを止めるように呼び掛けている。特に最近は美術品に向かってごみを投げつけ、自分たちの意思を訴えている。


怪盗を名乗る男が出した奇妙な手紙にプラネットは目を付けた。

予告状を利用することで、自分たちの要求を通しやすくなると考えたのだ。

『辰砂の夢』はプロジェクトの中心となっているマーギット氏が所有している。


場合によっては怪盗を呼び、美術品を破壊する。芸術品を盾にして、アピールしているのだ。命と芸術品のどちらに価値があるのか。

玄関前を占拠し、拡声器で叫んでいる。


「こんなことになるんだったら、予告状なんて出さなきゃよかったかな」


怪盗コスモスは渋い表情を浮かべた。

屋敷から数百メートル離れたビルの屋上、双眼鏡越しに睨みつけている。

ビルの手すりによりかかり、黒のロングコートが夜風に揺れている。


予告状がネットで広まり、噂されるのは分かっていた。

屋敷で展開されている包囲網もある意味、想定内だ。

しかし、自分の出した手紙をあのように使われるとは思ってもみなかった。


「テロリスト共め、なんて連中なんだ……」


芸術品へのリスペクトがまるで感じられない。

彼らにとっては、人を惹きつけるためのアイテムでしかない。


だから、彼らは繰り返す。

人々の目につく芸術品を傷つけて、自分たちの要求を押し通す。

自分たちの主張を通すためなら手段を問わないテロリストと何が違うというのだろう。


今も屋敷にバリケードを張り巡らし、マーギット氏を待っている。

彼らの手には小麦粉が握られている。


食糧危機を訴えているのに、食べ物を無駄にするのはどういう了見なのか。

そんな問いかけをしても無駄だ。矛盾していても彼らの中では理論が成立している。


しかし、屋敷を囲む野次馬の中には怪盗を待ちわびている人々がいる。

『美術品を守ってくれ!』といった投稿が相次いでいるのも知っている。

味方はまったくいないわけじゃない。


世論は怪盗を名乗る不思議な男を支持している。

予告状通りに『辰砂の夢』を盗まないでどうして怪盗が名乗れようか。


「さあ、やろうか」


スマホを切り、フェンスに足をかけて飛び跳ねた。

信号機や街路樹を軽々と飛び越える。道を行く人がわっと顔を上げる。


コスモスのブーツは数分間、重力を無効にする。

その間は自由自在に移動ができる。この星にはない技術だ。


街角に止まっているトラックの荷台で台上前転、数日間でできたファンへのサービスも忘れない。拡声器で騒ぎ立ているからか、野次馬が町中から駆けつけている。

ゆがんだ正義を振りかざすエコテロリストの眼中に怪盗はない。


だから、彼らの背中も軽々と超えて門を越えた。

耳をつんざくような怒声が響いている。

マスコミが現地で取材を行い、カメラが回っている。


カメラに軽く手を振って、屋敷の窓を開けて転がり込んだ。

地下のエレベーターホールに『辰砂の夢』はある。

階段を音もなく駆け下りると、正面に真っ赤な絵画がある。

質素な木製の額縁に収められており、値打ちがあるようには見えない。


「この絵を見た途端、突然笑い出したり絵を壊そうとしたり……様々な人間を見てきたんだ。最も、君はすでに手遅れかもしれないがね」


くつくつと笑いながら、男が会議室から出てきた。


「初めまして、かな。誰が何を言おうとプロジェクトを止める気はないよ。

これは必要悪なんだ、分かるだろ?」


会議室からグレースーツの男、マーギット氏が出てきた。

ロングコートの不審者を見ても、少し眉を動かしただけだった。

ガードマンが彼を取り囲む。


「俺は怪盗です。予告状通りに絵をいただきに来ました」


「誰かと思えば、あのトンチキな男か」


「玄関前はテロリストに包囲されています。

俺が目を惹きつけている間に裏口から逃げてください」


「警告のつもりかね?」


「裏手に人はほとんどいませんから、気づかれずに脱出できるかと」


「そうしてくれるのはありがたいが、私が逃げた後は?」


「『辰砂の夢』を回収するだけです」


「やるべきことはやるんだな」


「俺は怪盗です。テロリストと一緒にしないでいただきたい」


「プライドだけは一人前か、悪くない」


マーギット氏は横柄に笑う。


「芸術品などいくらでもくれてやる……命には代えられんからな。

怪盗だろうが何だろうが、しょせんはただの悪党だ。それだけは忘れるなよ」


彼はくるりと背を向けて歩き出した。

姿が見えなくなると怪盗は絵画を壁から外し、わきに抱えた。


さて、ここからが正念場だ。来た道を戻り、玄関の扉を蹴破った。

マスコミのカメラ、警備隊のライト、テロリストの拡声器が一斉にこちらを向いた。アナウンサーのマイクを奪い取り、カメラにゆびさした。


「おい、クズども! 見ているか!」


あたりがしんと静まり返った。コスモスの顔は誰も知らない。

目の前に突然現れた黒いロングコートの男は、不審者そのものだ。


「『辰砂の夢』はこの怪盗コスモスがいただいた!

無駄な抵抗は今すぐにやめて道を開けろ!」


絵画を頭上に掲げると、一瞬遅れて喝采が上がる。

令和の怪盗は実在した。美術品は守られた。

野次馬やアナウンサーが興奮し、騒ぎ立てる。


「ただのトンチキ野郎だと思って油断したな? 

もっとおもしろいものを見せてやる」


怪盗はコートのボタンを外し、内側を見せる。

手を離すと絵画は中へ吸い込まれていった。

コートの内部はどんなものでも保管できる異次元空間に繋がっている。

絵画の安全は保障されている。

そのまま手を突っ込み、両手で小さなボールをいくつも掴んでいた。


「見世物の真髄をその身に刻め! 今宵、お前たちがショーの一部となるのだ!」


テロリストに向かってボールを投げつける。

爆発音が何度も響くと、彼らは宙に浮く透明なボールの中に閉じ込められていた。

透明なボールは叩いてもびくともしない。

時限型の捕獲器だ。設定した時間が来るまでボールは開かない仕組みになっている。


ボールの中から何もできず、ただテレビのカメラに晒され続けた。警官に全員捕縛され、ボールごと回収された。


怪盗コスモスは姿を消し、誰にも捕らえられなかった。

芸術品を守った義賊として、その名を馳せた。


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