6-2


 さらりと、話題を変えられてしまったが、マリア先輩が笑顔で承諾してしまったので、俺もそれに倣うしかなかった。


 そして翌日の授業終了後、俺は竹内研究室の前にいた。八巡神社に行くということは、柳の家に乗り込むと言うことだ。まさかあの時、杏に俺をすんなり譲ったのは、柳がこうなることを見越していたのではあるまいな。それにしても、神社の娘に成りすまして人の家に棲みつくなんて、最近の貧乏神は度胸があるというか、図々しいと言うか。でも、柳だから許されるんだろうな。そんなことを考えながら、ドアをノックする。すぐに二人の声で返事があった。マリア先輩に先を越されたようだ。


「失礼します」

「イツキ、遅い」

「すみません。でも、定刻前ですよ?」


 そんな日常会話をぶった切るように、竹内先生がショルダーバッグを手に立ち上がる。


「行くぞ」

「ジンジャー」


 まるで遠足前の小学生のような天真爛漫さだが、やはりマリア先輩は神社と発音できずにいた。


「その前に、君。マリアと一緒に、缶コーヒーを五人分買ってきてくれ」

「はい。種類は何が?」

「一任する」

「はあ。分かりました」

「賄賂ですね。行ってきます」


 マリア先輩が悪戯っ子みたいに笑う。どうして賄賂が覚えられて神社が覚えられないのか、はなはだ疑問である。俺はその疑問を頭の中に残したまま、先に出ていったマリア先輩を追う。階段をリズミカルに降りていくマリア先輩の髪の毛が、ふわり、ふわりと揺れている。まるで、天使が舞い降りたかのようだ。この容姿で日本語が崩壊しているなんて、詐欺だ。いや、この容姿だから日本語が崩壊気味でも、笑って済まされているのだろうか。


 マリア先輩は外に出て、生協に入る。大学内のコンビニのようなところだ。それにしても、賄賂とはどういうことだろう。缶コーヒーの棚には、様々なコーヒーがあった。新商品や期間限定などの文字が躍っている。


「これでいいんじゃないですか?」


俺は百円くらいの、普通のコーヒーを手に取った。ちなみにブラックコーヒーだ。マリア先輩は、人差し指を立てて、メトロノームのように振った。


「ちっ、ちっ、ちっ。甘いね、イツキ」

「ブラックですけど?」

「賄賂だから、コレくらいじゃないと」


俺の渾身のボケをマリア先輩はスルーして、お高めの新商品の缶コーヒーを手に取った。そして、いっきにまくし立てるように言った。


「プロフェッサーと神主さんはブラック。ヤーと娘はラテ。イツキは微糖かな?」


 俺はここに来てようやく、賄賂が何を指しているのか理解した。差し入れだ。場を和ませるために、こちらが用意したコーヒーでも飲みながら、話をするのだろう。何年も実地調査に訪れているから、相手の好みも分かっている。しかし何故、俺が微糖派だと分かったのだろう。そんな俺の心を読んだように、マリア先輩は笑った。


「顔に書いてあるから」

「微糖派だとは、書かないと思いますよ?」


 マリア先輩は竹内先生から貰ったお金で、笑いながらレジで会計を済ませ、エコバッグに五本の缶コーヒーを入れた。俺がさりげなくそのバッグを持つと、マリア先輩は突然俺に抱きついてきた。


「スパシーバ♡ イツキは優しいね」


その光景を、柳と竹内先生が冷めた目で見つめていた。


「たらし、だな」

「たらし、ですね」

「え? 俺?」

「イツキ、たらしー」


 俺の味方は、何処だ。


 いつの間にか俺が「女ったらし」認定を受けた後、俺たちは柳に先導されて神社に入った。ここから実地調査本番だと思うと、緊張する。こんなに大きな神社を統括しているのだから、威厳があって、自分にも他人にも厳しい人なのだろう。取り繕った笑顔や手管では、全く動じず、全ての人の本性をお見通しといったところか。


「お帰りなさいませ。お嬢様」


 参拝客にお守りを売っていた桜が、俺たちに気付いて寄って来た。


「ああ。先生も」


 毎年実地調査に来ているだけあって、アルバイトの巫女さんにまで先生の顔が知れている。さすがに教授なだけある。体質のせいでコミュ障だった俺とは、比べ物にならない。俺の高校までの大学の教授のイメージは、知的だが堅物で、いつも偉そうに椅子にふん反り替えって難しい本や論文を読んでいるという、かなり偏ったものだった。しかし実際に大学に入ってみると、どの先生もユーモアがあって知的で、難しい本や論文は読むが、それ以上に他人とのコミュニケーション能力に長けており、自分のフィールド調査を大事にしていた。竹内先生もそうなのだろう。だからこそ、毎年違う顔ぶれの学生を家にあげて、大事に保管している物や話を聞かせてくれる。どれもこれも、竹内先生を信用しているから出来る調査だ。


「森田さんは、御在宅と聞いたが?」

「私、呼んできます。桜ちゃん、先生たちを客間に通してあげて」

「分かりました」


柳が鳥居の奥に行くと、桜が「こちらです」と別の棟に案内してくれた。神社の境内からは見えない位置に、家が建っている。大家さんの家も一人暮らしにしては大きくて豪華だったが、ここは別の意味で圧倒される。大きくて立派な平屋で、日本家屋としての威厳がある。神社と地続きだから、余計にそう思うのだろうか。



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