無欲のクリスと不思議な貯金箱

小日向ななつ

第1部

0:プロローグ

旅に出るキッカケはとても愉快な理由でした

 世界は美しい。誰かがそう言葉を残した。

 世界は醜い。その言葉を聞き、赤毛の少女が笑いながら言い返す。

 広い世界は案外狭く、狭いと思っていた世界はとても広い。

 そんな奇妙なことがザラに起きるのが世界だ。日常は簡単に非日常となり、非日常もまた脆く崩れやすいものである。


『何これぇー!』


 爽やかな青空に雲がゆったりと流れている。そんな空の下で思いもしない大きな悲劇が起きた。

 王都の中心区画に存在するルヴィア魔術学園の図書室で起きた幻想と呼ぶより奇怪という表現が似合う騒動である。

 そんな騒動を目の当たりにした一人である魔術師のタマゴであるクリスが、困惑しながらその光景を見つめていた。

 視界に入るのは明るく、赤毛のポニーテールが似合う元気な友達。

 最近、胸の発育にちょっと悩みを持つ女の子リリアが、赤いブタの貯金箱という姿になぜかなっていた。

 一体何が起き、どうしてこんなとんでもない事態に陥っているのか。

 目の前で起きた出来事なのにクリスは全く理解できなかった。


「あたたたっ……」


 この不可解な事態を起こした張本人が顔を歪ませながら起き上がる。

 シックな雰囲気が似合うトンガリハットを被った女教師は、頭を打ったのか押さえていた。

 垂れ下がる長い黒髪は艶があり、同性からも羨ましいスタイルを持つ女性でもある彼女はすっかり姿が変わってしまった友達を見て顔を蒼白にさせる。


「え……もしかして、リリア?」

『もしかしなくてもリリアです! 先生、アタシどうしてこんな姿になったんですかっ?』

「え、えっと、それはそのぉー、儀式が失敗しちゃったからかなぁー……」

『儀式ぃっ? 何の儀式をしたんですか!? というか校内は特別な事情がない限り術式の仕様は禁止でしょ!』

「特別な事情はあったんですっ! その、私をフッたあいつにギャフンと言わせるという――」

『恋人に復讐するために儀式をやったんですかっ? アンタ正気ですか!?』


 とんでもない理由で巻き込まれたリリアは泣いた。しかし、そのせいか物珍しそうにして学生が集まり始める。

 やれ喋る貯金箱だ、やれブタちゃんかわいい、やれなんだこれ魔術の失敗か、と大騒ぎが起きる始末だ。

 その騒ぎを聞きつけ、学生達だけでなく教師が集まり始めていた。クリスはどうしようか、と考えてみるがすぐにどうしようもないと結論付ける。

 やじ馬と呼べる人がもう数え切れないほど集まっており、隠すなんてできない状態だった。

 もちろん人が集まれば騒ぎはさらに大きくなる。そうなれば必然的に偉い人の耳にもその騒ぎが届く。


「どうしたんですか、みなさん?」


 妙齢の女性、といえばいいだろうか。歳なんて感じさせない淑女たる麗人が、騒ぎを聞きつけて図書館へ入ってきた。

 ホワイトブロンドの髪が似合い、いつもは優しくみんなを見守っている彼女はまさに聖母マザーと呼ばれるほどの人物だ。

 名前はミーティス。みんなからは親しみを込められ、マザーミーティスと呼ばれている。

 そんな彼女だが、何かを失敗し泣きそうになっている女教師と泣き喚くブタの貯金箱、床に書き込まれた術式に散らばっている魔術書を見て頭を抱えた。


「あぁ、なんてことでしょう……」


 泣きたそうな顔を校長先生であるミーティスは浮かべていた。クリスはそんな表情を見て、思わず声をかける。

 だがミーティスは頭を抱え、ただただ途方に暮れていた。


「あ、あの、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないわ。ああ、なんてことなの。長い間、学園にいるけどが初めてよ……」


 どうやら思っていたよりもとんでもない事態になっているようだ。そう理解したクリスは、泣いている友達に顔を向けた。

 背中には妙な穴がある。貯金箱なのだから、おそらく硬貨を入れる場所だろう。

 しかし、妙なことに取り出す場所がない。それはどうしてなのかな、と考えているとミーティスが手を叩いた。


「みなさん、そろそろ講義の時間ですよ。やじ馬している時間はもう終わりです。さあ、本分を思い出して講義室へ向かってください!」


 その言葉を聞いたそれぞれが受ける講義へ向かっていった。

 まるですっかり興味を失ったかのようにやじ馬は一斉に引いていく。

 クリスがそれを不思議そうに見つめていると、ミーティスが大きく息を吐いた。


「参ったわ、ホントに……」


 頭を抱えている彼女にクリスは同情する。クリスも同じく、友達が姿を変えてしまったことに困惑していた。

 ふと、何気なくこんな事態を引き起こした張本人に視線を向ける。

 すると教師は気づかれないようにゆっくりと移動し、逃げ去ろうとしていた。

 クリスは思わず呼び止めようとする。だがそれよりも早く、ミーティスが叫んだ。


「レミア先生、どこに行こうとしているんですか!」


 呼び止められたレミア先生は、小さく悲鳴を上げて身体を縮こまらせた。

 鋭い眼光をミーティスに向けられ、彼女は一目散に逃げようとする。しかし、立ち上がろうとした瞬間に何かが彼女の足に巻き付いた。

 それは一瞬にして鉛のような重さとなり、レミア先生の動きを止める。

 思わず足元を確認すると、ナメクジのような生物が足を包み込んでいた。


「ぎゃあぁぁぁぁぁ!」

「もう一度質問しますね。どこに行こうとしていたんですか?」

「その、その、講義があって、学生達に教べんを――」

「あなたの担当講義はもう終わったはずですよ? ああ、研究がありましたね。安心してください。たった今、あなたを解雇しますから」


「それだけはぁー! 今仕事まで失ったら私、何を糧に生きていけばいいんですかー!」

「ええい、黙らっしゃい! 何が理由なのか知りませんが禁術に手を付けるなんて言語道断! あなたには然るべき場所に行ってもらって、然るべき処置をしてもらいブタ箱にぶち込んでもらいますからね!」


「牢獄はいやぁー! お願いしますなんでもしますから許してください! ほんの出来心だったんですー!」


 ミーティスは頭を抱えていた。大きな事件を起こし、この状態で無罪放免なんて無理な話である。それどころか下手すれば極刑に値する最悪の事態だ。

 できればどうにかしてあげたいが、犠牲となった学生がいる。どうにかする方法なんてあったら教えてもらいたいほどだった。

 そんな頭を痛そうにしている彼女に、クリスは声をかける。

 するとミーティスは驚き、慌てて振り返った。


「あら、人払いの魔術を使ったんだけど」

「私、そういうのあまり効かないから。それより、リリアは戻りますか?」


 ミーティスは泣いているブタ貯金箱に顔を向ける。

 すっかり姿が変わってしまったリリアを見て、彼女はこう告げた。


「なんとも言えないわ。禁書を解読しないと戻れるかどうかもわからないとしか」

「なら、大丈夫です」

「そうなの。大丈夫なの。ならよかっ……どういうこと?」

「レミア先生が読破しています。解釈違いはあるかもですけど、たぶん解読は楽ですよ」


 ミーティスはレミア先生に顔を向ける。確かに禁書は読んだだけでは禁術なんて発動しない。しっかりと読み込み、暗号を解読し、その内容を理解していないと禁術となっている術式なんて組めない仕掛けだ。

 クリスに言われ、それに気づいたミーティスはダメ教師に目を向けた。

 オロオロと泣いている情けないレミアを見てため息を一度つくと、仕方ないと顔を振って足の拘束を解く。

 そのままかわいそうなブタ貯金箱リリアを持ち上げ、この場にいる者にこう言葉を告げた。


「学園長室でこうなった経緯を聞きましょう」


 こうして騒動は事件となり、これがキッカケでクリスが友達のリリアを元に戻すための旅が始まる。

 世界は思っていたよりも狭く、醜い。だが世界を感じるほど広く、美しい。大変だがどこか楽しい、そんな旅だ。

 しかし、この時のクリスは旅をすることになるなんて、考えもしてなかった――

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