凍結惑星 ~こおりのほしのねむりひめ~(Ver.02)

京衛武百十

浅葱

 その日、清見きよみ村の砕氷さいひの一人、浅葱あさぎは、十三歳を迎えた記念として命を賭した決意をしていた。一人前の砕氷さいひとして認められる為に、高度五百メートルを目指す為だ。


 砕氷さいひとは、人間が暮らす町や村の上を覆う、厚さ数キロの永久凍土や氷を砕いてそこに埋もれた先人達の知恵や技術を掘り出し、社会に貢献する技能と勇気を兼ね備えた者に与えられた称号である。

 そんな砕氷さいひを両親としてこの世に生を受け、自身も砕氷さいひとしての人生を目指した女性、それが浅葱だった。

 浅葱色の瞳を持って生まれたからそう名付けられた彼女は、自らの髪も浅葱色に染めて短く刈り、厳しい修業をこなし砕氷さいひとなった。

 強い意志を秘めた浅葱色の瞳を真っ直ぐに正面に向けて、しかし口数は少なく端的に用件のみを口にする浅葱は、零度以下に過冷却された海でさえ平然と泳ぐ土竜海豹もぐらあざらしの皮を何重にも編み込んだ、鎧のような防寒具を纏い、氷点下三十度の中で居眠りさえする懐炉鹿かいろじかの毛皮のフードとマスクと手袋を身に付けて、出発を見送ってくれた師である重蔵じゅうぞうに「行く…」と短く告げて深々と頭を下げて、天蓋のような永久凍土へと踏み入る為のやぐらを黙って登って行く。

 その彼女の防寒具のフードには、浅葱色の手斧のような工具を持つ手が描かれていた。これは、防寒用の装備を身に付けてしまうと殆ど外見上では個人の区別がつかなくなってしまう為に、一目で誰かを識別できるように描かれるものである。ちなみに彼女の師である重蔵のフードに描かれているのは<紅い鬼面>だった。

 なお、師に向かって『行く』とだけ告げるのは我々の感覚では失礼に当たるように感じるかもしれないが、寒くてあまり口を開けないこの世界では、長々と喋るという習慣が失われてしまい、語彙もそれに合わせて減ってしまったので、実はこれで普通なのである。

 また、彼女が身に付けている防寒装備は、それだけでも二十キロを超える。そこに、永久凍土を掘り進める為の様々な道具や、永久凍土内で野営する為の装備品を含めると、その重量は四十キロを超えることさえある。浅葱はそれを身に付けたまま高さ百メートルの櫓を登り、代々の砕氷さいひ達が掘り進めた永久凍土の氷窟へと足を踏み入れた。


 氷窟は縦横無尽に掘られ、別の場所から掘り進められたいくつものそれと内部で繋がったりもして、仮設の照明により灯りはあるものの完全に迷路と化していた。知識のない者がそこに踏み入ると、二度と出られなくなるとさえ言われている。入り口付近の氷窟の中の気温は平均マイナス十度前後。これでも町や村の平均気温マイナス十五度よりは僅かに暖かい。永久凍土が天蓋のように人間の住む世界を覆っている為に、人間の活動によって暖められた空気が入り込んでいるからというのもあるだろう。

 しかしそれも、氷窟の奥へと進めば状況は一変する。ほぼ岩盤のような永久凍土によって再び空気は冷やされ、百メートルも進めば氷点下二十度を下回ってくる。奥へ進めば進むほど気温は下がり、やがて迂闊に空気を吸い込めば一呼吸で肺が凍って死に至る、氷の地獄となる。

 だがそれですら、砕氷さいひにとっては自宅の庭で遊んでいるようなものでしかない。彼らの本領はさらにその奥、氷点下五十度の、空気中の水分さえ凍って埃のように宙を舞う、氷獄ひょうごくと呼ばれる区画でこそ発揮されるのだった。彼らはそこで更に凍土を掘り進め、氷に封じ込められた<遺跡>を発掘することこそが目的なのである。

 まるで病のように人間達の住む領域を無慈悲に侵す氷から逃れ、人間達はいくつもの地下都市を作って暮らしてきた。しかしそれらも次々と氷に蝕まれ更に地下へと都市を築いていくことで、永久凍土の中には、何層もの地下都市が眠っていたのだった。そしてそこには、既に失われてしまった知識や技術が残されている。

 地熱によって氷の浸食は遂に止まったが、多くの知識や技術は氷の中に取り残され、現在は地熱発電によって得られる電気と、それを基にしたモーター、および地熱が生み出す蒸気を基にした蒸気機関がほぼ唯一のエネルギーと動力だった。

 町や村には網の目のように蒸気を送る為のパイプが走り、暖房や、機械の動力として利用されていた。

 だが、それを維持できるだけの知識や技術が失われ、特に、地熱発電所の設備を維持管理できる技術者の不足は深刻であり、おそらく今の地熱発電所が致命的な故障で停止すればもはやそれを直すことさえできないとみられてもいる。そしてそれは長くても数百年以内には起こるだろうとも言われていた。

 そうなればもう、僅か七万人しか残されていない人間達も皆、生きてはいけまい。

 その事態を回避する為、少しでも遅らせる為、とにかく役に立つ知識、技術、道具の発掘が望まれているということだった。

 それを目指す浅葱は、躊躇うことなく氷窟を進む。マスクとフードで覆われた隙間から辛うじて目だけを覗かせて、自身の体重とさほど変わらない装備を身に付けて、自らの体温で温めた空気を肺に取り入れながら、師である重蔵が掘り進めた氷窟へと辿り着いた。


 砕氷さいひ個人が掘り進めた氷窟は、その本人と本人から許諾を受けた者だけが更に掘り進めることが許される。そこで遺跡が発掘された場合は、受け持った砕氷さいひの功績となるからだ。重蔵もかつてそこで大型の電気ヒーターを掘り当て、蒸気の届かない地域に追いやられていた者達にぬくもりを届けたこともあった。その電気ヒーターを設置した場所は、今は親を亡くした子供達の保護施設となっている。この功績によって重蔵には永世名誉町民の権利が与えられたりもした。

 浅葱も、そんな師を誇りに思い、彼のそれに比肩する発掘を行いたいと心に願っていた。それによって発掘中の事故で死んだ両親にも報いたいとも考えて。

『氷点下四十八度……今日はまだ条件がいい。行けるところまで行きたい……』

 腕に付けられた温度計に目をやった浅葱はそんなことを思い、更に氷窟を進んだ。だがその時、彼女は自分が手を付いた氷窟の壁に違和感を感じ立ち止まる。

『なに…? この壁、動く……?』

 それは、ほんの僅かな、普通に触れただけでは気付かないような感触だっただろう。彼女自身、これまで何度かここには手を付いた筈だが特に気にしたこともなかった。なのに今日はそれを察してしまったのだ。

『まさか…空洞がある……!?』

 それに気付いた瞬間、彼女は自分の血が激しく体の中を駆け巡るのを感じた。


 永久凍土の中の空洞。それは、かつての地下都市の施設の一つである可能性が高い。しかも氷で埋め尽くされたのではなく空洞の状態で残っているとすれば、そこに残されているものもそのまま使える可能性がある。だとすれば、これは非常に大きな発見だ。ましてや十三歳を迎えたばかりの自分がそんなものを見付ければ、これ以上の手柄はない。

 だから彼女は決断した。まずは本当に空洞があるかどうかを確かめる必要があると考え、手斧に似た、しかし手斧であれば刃になっている筈の部分が細かい四角錐の棘の集まりになっている<びしゃん>と呼ばれる工具を取り出し、それで壁をカツカツと叩き始めた。これによって凍土や氷を砕き、穴を掘るのである。実に気の遠くなるような作業だった。なお、<びしゃん>は本来、石やコンクリートの表面を加工する為の道具であったが、それが岩のように硬い凍土を削る為に転用され、やがて現在の専用の工具へと変貌していったのだが、その辺りの経緯も既に伝わっていない。


 また、余談ではあるが、浅葱のフードに描かれている<浅葱色の手斧のような工具>は、まさにこの<びしゃん>を表したものである。更に言うなら、重蔵の<紅い鬼面>は、彼の砕氷さいひの仕事に対する姿勢を表しているそうだ。

 壁を叩き始めてから一時間。浅葱はそこに亀裂が入っていることに気が付いた。それと同時に、彼女は自分の中に湧き上がっていた熱が一気に冷めていくのを感じた。

『ただの亀裂だった…?』

 こんなところに本当に空洞があったのなら、師である重蔵やそれ以前の砕氷さいひ達が気付かない筈がない。やはりそんな美味い話はないということか。そう思いながらもせめてその亀裂の端まで辿り着いてやろうと彼女はなおもそこを掘り進めた。


 結局、半日かけて屈んだ状態でやっと入れる穴を一メートルほど掘ってみたが、亀裂はもはや凍土の模様と区別がつかなくなり、無駄骨だったと思い知らされたのだった。

「くそっ!」

 つい八つ当たりのようにしてガツン!と思い切り凍土を叩いてしまい、浅葱はハッとなった。あまり乱暴に叩きつけると<びしゃん>の寿命は一気に縮む。使える資源や道具が限られているこの世界で道具を雑に使うとか、<一人前の砕氷さいひ>にはあるまじき行為だったからだ。ましてや彼女が使っているそれは、師である重蔵から受け継いだ大切なものである。なのに……

 そんな自分を恥じ、彼女はフードで完全に顔を覆ってその場にうずくまってしまった。

『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!』

 十分ほどそうして、手足が凍りつきそうに冷たくなってきたことを感じ、浅葱はようやく我に返った。

 再び氷窟を進もうと、落ち込んだ気分で穴から這い出そうとした彼女が体を起こす為に手を付いた瞬間、その部分がゴッ!と音を立てて崩れ落ちた。

「え…!?」

 と声を上げたその時にはもう、彼女の体は闇へと吸い込まれるように突然開いた穴へと落ちていく。

『……死…!?』

 死を予感し目を瞑った彼女だったが、しかし次の瞬間、ガン!と聞いたことのない音を立てて自分の体が何かにぶつかるのを感じたのだった。

「な…なに……?」

 状況が掴めず混乱する浅葱は、そこが真っ暗な空間であることだけは認識することができた。音が響いているのだ。明らかに氷窟よりも広い空間だった。ポケットを探ってハンドライトを取り出す。握ることで内蔵された小型発電機を回しLEDライトを点けるタイプのライトだった。ぐっぐっと何度も握るとウィーウィーと発電機が回る音と共にLEDが発光。暗闇を辛うじて照らすことができた。

「……なにこれ…?」

 LEDのささやかな光の中に浮かび上がったそれに、浅葱は言葉を詰まらせた。

「死体…?」

 ようやくそれだけを口にした彼女の視線の先には、壁にもたれて立ったまま氷漬けになったかのように固まった人影があったのだった。


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