第10話 荒鷲たちの記憶

 だから、休むように命じたユウジも士官居住区の狭いベッドへ横たわって目を閉じる。

 眠気はないが、頭と体を休めるには横たわって目を閉じるのが一番だ。

 その休憩を妨げたのは軽すぎる足音だった。男性用居住区で聞く足音にしては軽い。

 そんなに体重の軽い士官に覚えはない。あり得るとすれば、女性の足音だろうか。

 せっかくの休みだというのに、どうしてこんなにも頭を動かさねばならないのか。忌々しく思いながら目を開けると、寝台の前にエルナが立っていた。

 いきなりユウジが起きたことに驚いたのだろうか、彼女は目を大きく見開いていた。


「何の用だ」


「隊長から話を聞きたいんです」


 そんなことか、とユウジは寝返りを打つ。それでもエルナに諦めるつもりはないらしく、近くにあった椅子へ腰掛けて、サイドテーブルに2つの紙カップを置く。

 その一つはカフェラテで、もう片方は甘い香りのキャラメルマキアート。彼の好物を覚えて、それを手土産に持ってきたのだ。

 それに折れたのか、ユウジはもう一度寝返りを打って起き上がる。ベッドへ腰を掛けながら一口コーヒーを啜ると、重い口を開いて何が聞きたいと問いかけた。


「コンメトと戦ったことがあるんですか?」


「ああ。海峡戦争は覚えてるな?」


 エルナは士官学校の教育を思い出す。5年前、北部島嶼同盟と東部連盟の間で戦争が起きた。

 領海の境にあった無人島で鉱脈が見つかった結果、東部連盟がその領有権を主張して出兵。後に海峡戦争と呼ばれる戦争に発展することとなった。

 そしてその時、コンメトは軍事顧問の名目で東部連盟へ援軍を派兵した。ユウジがそこでコンメトと戦っていたことは、その先の言葉を待たずとも知ることが出来た。


「強かったんですか?」


「連携がよく取れていた。片方を追ったと思えば、僚機がケツについてくる」


「昨日の敵はそんなことなかったですね」


「だから、少なくとも主力は正規軍の一線級部隊じゃない。トーシャも分かっているはずだ」


 イリンスキー中将が?疑問を漏らしたエルナへ、ユウジは静かに首肯する。


「その時、俺はトーシャの僚機だった」


 それで、エルナは漸く合点がいった。一緒に飛んだ仲で、それも僚機であったならば親しげにしていてもおかしくはない。

 他の人がいる前では体裁を整えてもらいたいとは思うけれども、階級や年齢の差を超えた絆は、どこか羨ましいとさえ思える。


「とはいえ、向こうも色んな奴がいる。油断すんなよ」


「ええ。エースがリオールの方に送られればいいんですけどね」


「骨のある相手が欲しい」


 カップを置いたユウジの目には、輝くものが見えた。未知なる空への期待なんていう、冒険小説のように希望に溢れるようなものではない。

 どこまでも透き通った、空を映したような眼の中に、無邪気な喜びを隠し持っているようにも見える。

 ユウジは戦いたくて仕方ないのだ。撃墜する瞬間が、敵を殺すことが好きなわけじゃない。ただ純粋に、空で戦うことが好きなのだ。


「そんなに戦いたいんですか?」


 エルナはそう一言だけ問いかける。普通の軍人ならば、命令ならばとかそういう風に答えるだろう。

 殺し合いがしたくて軍人になる奴なんていない。別の理由で入隊して、その結果として殺しに手を染めざるを得ないだけだ。

 それでも、彼は違う答えをするだろう。そういう確信がある。


「ああ。そうだ」


 一言だけで彼の人となりが分かったようにも思えた。イヌワシのような孤高の狩人なんてものではない。

 それはまるで剣闘士のようだ。それでいて、悲壮感は欠片もない。その純真さと自由さだけは、イヌワシと言えるのかもしれない。

 次の言葉を紡ぎだす前に、彼は空になったカップを置いて寝台へ横たわる。タイムリミットという事か。

 エルナは溜息を1つ吐くと、空のカップを手に立ち上がる。

 そこからどう歩いたのかはよく覚えていないが、空になった2つのカップはもう手にはなく、代わりに格納庫で整備される自分の機体を見上げていた。

 近くでは空の弾薬箱に腰掛けたアレッサンドロとイリヤが笑っていて、会話の内容は金属音に掻き消されて聞こえない。

 今日は出撃の割り当てもなく、ユウジのように寝ているかどこかでゆっくりしているかの二択になる。

 近くでは艦隊直掩任務を受けた飛行隊が出撃に向けて準備を進めている。

 格納庫からエレベーターで甲板へと上げられる姿は見ていても意外と飽きが来ない。後は時々、格納庫の隅に置かれているトレーニング器機で体を鍛えるくらいしかやることはない。

 だから、自分からアレッサンドロに声を掛けてみることにした。

 彼もユウジと一緒に戦った経験があるというのであれば、海峡戦争で飛んでいたのかもしれない。それならば、ユウジの人となりをもう少し知っているだろうか。


「サンドロさん」


「よう、特務大尉殿から声かけてくるとは珍しい」


「いいじゃないですか」


 本来ならばアレッサンドロの方が上官であり、声を掛けるのも緊張するところだろう。でも、彼らは気さくに接してくれて、初日から特務大尉なんて呼んで揶揄ってくる。

 まだ着任したばかりで、距離を感じているのも確かだ。

 それでも、少しでも長く生き残れば距離は縮まるだろうか。彼らがどんな人間なのかも、これから知ることが出来るだろう。


「隊長って海峡戦争で飛んでいたんですよね?」


「そうだぜ。俺っちとイリヤも飛んでた」


「じゃあ、隊長も一緒に?」


「もちろんだ。全員イリンスキーの隊で飛んでたんだからよ」


 噂話程度でも知っていればいいと思っていた。それが、全員同じ部隊に配属されていたとなれば大当たりといえよう。


「東部防空軍でしたよね?」


「おうよ。東部連盟とバチバチにやりあってたら、コンメトが援軍寄越して大変だったぜ」


 そこは士官学校で習っているから問題ない。

 そんな戦争の推移よりも気になるのが、彼らがどのようにその空で生きてきたのかが知りたい。

 資料にも残らない、そんな彼らの生き様こそが、今求めているものだから。

 それはただの興味で片付けるには大きくなり過ぎた。今この感情を言葉で表すとすれば、憧憬というのが相応しいかもしれない。

 一癖どころか二癖もあって、それでいて空の上では鋭く、時に優雅に飛んで見せる。

 そんなエースとしての生き様に、興味と共に憧れを抱いてしまった。


「隊長って、その頃からあんなのだったんです?」


 すると、アレッサンドロはイリヤと顔を見合わせて肩を竦めた。どういうことだ。

 サンドロならば笑いながら答えてくれると思っていたのに。まるで隠し事をしているような雰囲気だ。


「意外と口数多くて、ジョークも言う野郎だったんだぜ?」


 開いた口が塞がらない。あの仏頂面で、空を飛ぶこと以外興味ありませんとでもいうかのようなユウジが、口数多くジョークも言うような男だったとは想像もできない。担がれているのだろうか?


「嘘ですよね?」


「ところがどっこい、空が大好きなこと以外は正反対だぜ?」


 人の性格なんてそんなに変わるものでもない。それだけショッキングな出来事があったのだろうか。

 そういった体験で心を壊す者は一定数いる。そういった人間は兵士として前線に立つことは二度とない。

 それでも、ユウジはエースパイロットとしてまだ青空にいる。心を壊したわけでもないならば、何が起きて、どうして変わってしまったのだろうか。

 それを訊きたかったけれども、アレッサンドロとイリヤの眼がそれを遮った。

 2人とも笑顔は浮かべているが、いつもの快活でやんちゃにも見える笑みではない。静かに、悲しみや苦しみを覆い隠すために笑みを張り付けているように見える。

 そんな彼らに声を掛けることは憚られた。エルナの知らない、彼らだけの秘密。

 もしも自分がそこにいたならば、同じような顔をしていたのだろうか。もしも同じ苦しみを味わったならば、彼らとの間に壁を感じなかったのだろうか。

 今はただ、想像に任せるしかない。しばらくはモヤモヤを抱えたまま過ごすことになるだろう。

 きっと、今の浅い間柄では語ってもらえないのだろうから。


 そうして5日の時が過ぎた。あれ以来、彼らの経歴について訊くことは出来ず、トレーニングや機体の整備に日々を費やしている。

 艦隊直掩任務を心待ちにする程に何もない日々が過ぎ去っていて、アラート任務で緊急出撃に備える機会はあったものの、懸念されていたコンメトの攻撃も無かった。

 艦内にはただ気まずさだけがあって、空にいた方が気も楽になるだろう。それでも艦隊直掩任務の割り当てはまだ先で、格納庫の隅に置かれたトレーニング器材で体を鍛えるしかやることはない。

 ユウジとイリヤは見当たらないし、話しやすいアレッサンドロはコックピットでイヤホンを耳に音楽を聴いている。

 とても話しかけられそうにはないし、どんな話題を振ればいいのかも思いつかない。


「どうしたらいいかな、蓮龍」


 隣に鎮座する愛機を話し相手にしてみるけれども、答えは返ってこない。

 ラサンで製造されたFP-89「蓮龍」はこれまでの戦闘機と一線を画する機体で、従来機が胴体前部へエンジンを搭載していたのに対し、蓮龍は後方へエンジンを配する機体なのだ。

 20ミリ機関砲4門を空いた機首へ集中配備したことにより射撃精度も高く、重量物を中心へ寄せた副産物として横転が早くなった。

 そんな意欲的な設計で作られたこの戦闘機は高い機動性と速度性能を備え、瞬く間に北部島嶼同盟軍で正式採用され、改良が重ねられてきた。

 とはいえ、会話機能が搭載されているわけがない。エルナがいくら話しかけようともそれは一方的でしかなく、ただ壁にボールを投げているような気分がしていた。


「おい、特務大尉殿」


 そんなエルナへ、どこからか現れたイリヤが声を掛ける。エルナは驚き、反応が遅れてしまった。


「おいおい、そんなにびっくりするかよ」


「しますよ。どうしたんですか?」


「ヴェルシーニンから伝言。イリンスキーがお前を呼んでるってさ」


「イリンスキー中将が?」


「あの爺さん、話好きだからな。暇潰しだろうよ」

 司令官室にいるぞ、と一言残したイリヤは空の弾薬箱に寝転がる。

 どんな用事かは知らないが、シャワーを浴びてから行こう。そう決めたエルナはタオルを手に取り、格納庫を後にした。

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