第9話


 顎の谷の部族にとって、というよりも竜を崇めて生きる部族にとって、竜神官が特別な存在である事は繰り返し述べたと思う。

 しかし部族の民にとって、特別な役割を担うのは何も竜神官だけではない。

 例えば、……顎の谷の部族では竜神官が兼任しているが、集落の長というのは間違いなく特別な役割だ。

 そして長と並ぶ程に重視される役割が、部族の民にはあと二つ存在してた。


 一つ目は、『命の母』や、『母達の母』と呼ばれる役割で、これは女性のみが担う事ができる。

 これは僕の知識でいうところの産婆、助産師にあたり、彼女の発言は集落の長や竜神官といえども、決して無視はできない。

 何故なら竜を崇める部族の生き方では、多くの子が死ぬ。

 それは別に、第一の試練だけが問題ではないのだ。

 衛生的と呼ぶには程遠い暮らしや、未発達の医療は子供の命を簡単に奪ってしまう。


 それ故に、多産は部族にとっての命題だ。

 先日、アメナが言われたという、『一人でも多く子供を産む為に、早く自分と結婚しろ』との言葉は、流石に竜神官に向かって吐く言葉ではないけれど、部族の価値観から大きく外れたものじゃない。

『自分と』って部分が物凄くダサいが。

 まぁ話が逸れたけれど、その多産を助ける命の母は当然ながら強い権力を有しており、また女性達の声を取り纏める代表者でもあった。


 二つ目は、『竜供りゅうぐの担い手』。

 他の部族の作法は知らないが、顎の谷の部族では年に二度、西と東の御山の主である竜に供物を捧げてる。

 食べ飽きてるだろう魔物ではなく、人間の手で育てた家畜を供物として。

 その供物となる家畜を育てるのが、竜供の担い手の役割だった。

 ちなみに竜供の担い手は、竜に相応しい供物が用意できなかった場合、自らの身を以て代用する事になるという。

 故に、竜への供物の担い手を名乗り、その覚悟に相応しい敬意と権利を手にしていた。


 ……とはいえ、竜にとって人間が捧げる供物なんて、一口で飲み込んでしまえる程度の代物でしかない。

 つまり竜にとっては、人間が敬意を払っている確認でしかないのだろう。

 なのでおおよそ供物に関して竜が不満を漏らしたなんて話は、少なくともオレの知る限りではなく、竜供の担い手が自らを代用とする事も、滅多になかった。


 そう、滅多にないのだ。

 逆に言えば、稀な事ではあるけれど、皆無じゃない。

 それだけに竜供の担い手は、竜への捧げものに相応しい家畜を育てるのに必死となる。

 竜は供物に不満を言わなくとも、……同じ人間はその供物に関して、時に粗探しをして引き摺り落とそうとするから。



「頼むよ竜神官、もうアンタにしか頼めないんだ」

 そう言って自分の額に拳を当てるのは、部族で竜供の担い手を務めるマリク。

 その動作の意味は、貴方に角が生えますように。

 竜神官に対して、貴方は竜になれる人だと称えたり、貴方が竜になれる事を願ってると示す、深い敬意を表す仕草。


 確かに竜神官は特別な存在だけれど、竜供の担い手であり、またオレよりも年上でもあるマリクが、そこまで謙るとは珍しい。

 どうやら彼は、かなり深刻に困ってるらしい。


 部族は主に狩猟で糧を得ているが、乳や毛を得る為に羊や山羊の飼育もしている。

 これは人間用の家畜ではあるが、羊飼い達を統括するのも、竜供の担い手の役割であり、権利の一つだ。

 家畜の乳や毛は、竜供の担い手を通して部族に供給されていた。

 食事の関係上、竜神官にはあまり関係のない話だが、家畜の乳は子が育つ助けになるとされており、多くの者が欲してる。

 その供給を握るのだから、竜供の担い手が持つ権利は、やはり大きいと言えるだろう。


 だが最近、そんな家畜を狙って、大きな狼が飼育地近くに出没するようになったそうだ。

 既に羊にも山羊にも数頭の被害が出ているらしく、その狼の討伐を、マリクはオレに頼みたいらしい。


 もちろん単なる狼、獣の討伐なら、集落の狩人に任せればいい。

 先程も述べたが、部族は主に狩猟で糧を得ており、大人の男の多くは狩人であり、戦士である。

 ただの獣が相手なら、或いは弱い魔物が相手でも、彼らに任せれば十分だろう。


 しかしマリクは既に集落の狩人達には巨狼への対処を頼んだが、成果はあまり上がらなかったという。

 狩人達は狼を狩れず、羊や山羊の被害は減りこそしたが、なくならなかった。

 つまり家畜を狙う狼は、ただの獣ではなかったという訳だ。


 また狩人達も、いつまでも狼ばかりを追い掛けてはいられない。

 彼らは彼らで、部族に狩った肉を提供する仕事がある。


「被害が羊や山羊だけに留まるならまだいいさ。でも、竜に捧げる牛に被害が出たら、最悪の場合は俺が代わりに食われる事になってしまう!」

 マリクの嘆きに、オレは頷く。

 竜への供物は毛の少ない家畜が良いとされ、キチンと手入れを受けた牛が最上と言われていた。

 その牛に大きな被害が出た場合、確かに彼が己の身で代わりを務めなければならなくなるかもしれない。


「その時はオレがマリクを祭壇まで連れて行くさ」

 冗談めかしてそう言えば、マリクは泣きそうな程に顔を歪める。

 あぁ、今のは少し、酷かったか。

 他ならぬ竜神官にそう言われては、死刑宣告に聞こえてしまったかもしれない。


 彼の生きる道は竜に続いてる訳じゃないけれど、だからといって喰われて終わって良いとはオレも流石に思わなかった。

 特に僕は、理不尽に抗えず、無力に命を失う怖さを知ってるから。


「もちろん、そんな事にはさせないから、安心して朗報を待っていて」

 少しでも優しく聞こえるように、強めに僕を意識して発した言葉に、マリクは頷き、安堵にその場にへたり込む。


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