痛みを知ったその先で④

 彼にそう告げられた瞬間、体中から嫌な汗がじんわりと湧いて出てきた。

 僕はどうしても、その続きを聞きたいとは思えなかった。


「ローカル紙って怖いよね! 社会部の人間をちょっと洗い出せば、誰が書いたかなんて、割りと簡単に特定できるんだから! 少数精鋭が裏目に出たって感じかな?」


「…………」


「そりゃあ、別法人かなんてちょっと調べれば分かることだよ? だから大丈夫だって高を括ったのかもしれないけどさ。でもね。所詮、人間なんてイメージの動物なんだよ。一瞬でも、レッテルが貼られたらそれまでさ。実際そこから派生して、根も葉もない噂が立ったんだ。検察にはもっと慎重でいて欲しかったよ……」


 イメージの動物、か。

 確かにその通りだ。

 一度空気が醸成されてしまえば、誰も本質を見ようとしない。

 それを強く実感していたからこその、僕に対してのあのなのだろう。


 その後の彼の話によると、事件の後、彼の父親は顧問社労士を辞任。

 担当していたゼネコンの業績も、一時的に落ち込む。

 会社を引き合わせたことに責任を感じた彼の母親は、失踪してしまう。

 家族はすぐに捜索願を出すも、数日後に隣県のダムで水死体で発見される。

 検死の結果、入水自殺だったようだ。


「一応、キミのお父さんもフォローしとくとさ。多分、上から相当詰められたんだと思うよ。俺はその手の業界に詳しくないけどさ。商売である以上、どこも一緒なんだよ。きっと……」


 そう語る麻浦先輩の表情は、どこか割り切れない想いを制するかのようだった。


「前の事務所での経験もあるだろ? ましてや今回は身内が死んでるんだ。親父でなくとも、になるんじゃないかな?」


「……それから復讐を誓った、と?」


 僕が聞くと、麻浦先輩はコクリと首を小さく縦に振る。


「向こうは向こうで後ろめたさがあったんだと思う。事件の後、『ウチの顧問社労士に』って、親父に誘いがあったらしいんだ。ホント、どういう神経してんだって話だよね! 親父もさ。最初は断るつもりだったんだ」


「だった?」


 僕の聞くと、麻浦先輩はゆっくりと頷く。


「顧問の話を持ってきた人の話を聞いたら、ちょっと事情が変わったらしくてね。何だろ? から壊す的な?」


「内側、ですか? えっと、じゃあ児童ポルノの……」


「御名答! 流石、燈輝くんだ!」


 僕が反射的に呟くと、わざとらしく褒めそやしてくる。

 なるほど。漸く話が繋がった。


白浜しらはまさんって言うんだ。小岩くんのお父さんと一緒に、経理周りを担当しててね。その人から、提案されたらしいんだ。顧問を引き受けてくれたら、会社の裏帳簿を渡すってね。いやぁ! ちょうど良い時にちょうど良い人が居たもんだ、ホント!」


「えっと、その白浜さん? が何でわざわざそんなこと……」


「あれ? 灯理ちゃんから聞いてない? 白浜さん、会社以外にも個人的に事業もやってるって」


「それは、聞きました」


「それでさ。同業の経営者の人から事業買収の話があったらしいんだ。ほら。事業に失敗して、多額の借金背負ったみたいなこと言ってたろ? 買収後は、別のグループ企業の役員として迎え入れられる、みたいな話があったんだって」


 そういうことか。

 だから、わざわざ会社を売るような真似が出来たのか。

 とは言え、ほとんどマッチポンプのようなものだが。


「……でも良くそんな負債だらけの事業、引き受けましたね」


「鋭いね。もちろん、ってわけじゃなかった」


「えっと、それはつまり……」


 僕がそう聞いたと同時に、麻浦先輩はニヤリと無言でほくそ笑んだ。


「ホントどれだけキミのお父さんの会社、恨まれてんのさっ! まぁマスコミなんてそんなモンなのかな? ねぇ、燈輝くん」


 麻浦先輩は嬉々とした表情で、問いかけてくる。

 事態は既に、誰も収拾できないほど拗れている。

 率直にそう思ってしまった。

 痛みは果てしなく連鎖し続ける運命にあるのか。

 もしくは、誰もが少しずつ痛みを受け入れた結果、というだけなのだろうか。

 

「知りませんよ……」


 僕が応えると、麻浦先輩は『ふーん、そっか』と独りごちる。

 彼が僕の何を悟ろうと、この後に及んで出来ることなど限られている。


「まぁ別にそれは良いんだよ。白浜さんからすれば、是が非でも父さんを引き込みたかったんだろうね。向こうは向こうでこっちの目的に気付いてたし、俺たちもになれば、安心だろ?」


「……垂れ込みされるリスクは格段に下がりますね。普通に考えれば」


「そういうこと。いやぁ! 自分の借金の穴埋めに子ども利用するとか、ホント反吐が出るよね! まぁ、俺たちが言えることではないんだけどさ……」

 

「…………」


「白浜さんは、小岩くんのお父さんに全部押し付けて、難を逃れようとしてたんだろうけど、そうはさせないよ。コッチは諸々、全部掴んでるんだ。なんたってなんだからね!」


 笑いながらそう話す彼の姿に、僕は純粋な恐怖を感じた。

 一体、彼のはどこにあるのだろうか。


「これまで長かったけど、今日で全部終わりさ。もうじき児童ポルノの件も表沙汰になる。そうなれば、買収の話も白紙だろうね。借金までは良くても、流石に前科持ちのなんて、いくらなんでもリスクが高すぎるよ!」


 まさに因果応報だ。

 はこれほどまでに、人を狂わせてしまうのだろうか。

 父さんたちの話を聞いている手前、否が応でも後ろめたさを感じてしまう。

 もし、彼らへの誠意を示す術があるのだとしたら……。

 それはきっと、最後の最後まで『母親の仇』としての立場を貫くこと、くらいなのかもしれない。


「……まぁざっと、これがの目的だよ。通過儀礼って言った意味、何となく分かったろ?」


 なるほど。

 確かに今、彼らを動かしているものの正体は、はっきりした。

 しかし、一連の出来事を語るには足りない気がする。

 これだけでは、他ならぬ麻浦先輩が見えてこない。

 今の僕なら分かる。

 彼は今、建前を話しているだけに過ぎない。


「それなら……、詐欺の件はどう説明つける気ですか? まさか、そのとでも言うつもりですか?」


「能登から聞いたのかい?」


「はい。行きがかり上」


 僕が言うと、彼は『そっか』と小さく漏らす。

 児童ポルノはともかく、この件を糾弾する気は更々ない。

 とは言え、それを確かめない限り、いつまでも本質へは辿り着けない。

 そんな気がした。


「名残、か。確かにそういう言い方も出来るかもしれない。実際、風評被害で事務所の信用が落ちてたわけだしね。でも、親父が仕事を選ばないのは今に始まったことじゃない」


「あの、それはどういう」


「親父ってさ! 何ていうか……、おせっかいな人なんだよ!」


 彼は僕の言葉を遮り、食い気味に話し出す。


「お役所が勝手に決めた基準に漏れて、助成金やセーフティーネットにアクセス出来ずに、をせざるを得なかったなんて話、世の中に五万とあるだろ? 実際、能登の家だってそうなるかもしれなかった。親父はそういう人たちのために戦ってた、なんて言ったら脚色し過ぎかもしれないけど、結果として助けていたことは事実なんだ。例え、世間から悪徳社労士の誹りを受け続けることになっても、ね。だから、どの道いつかはこうなってたんだよ。きっと……」


 麻浦先輩はどこか呆れるように、そう言った。


 能登は、そんなことは言っていなかった。

 灯理の話とも、だいぶ様子が違う。

 恐らく、麻浦先輩はを伝えていなかったのだろう。

 事件が公になった時、少なくとも彼らの被害者としての立場だけは守れるように、と。


「だから、それに関しては完全に別件なんだ。バックマージンなんて、1円も貰っちゃいない。浅はかだとは思うけどさ。俺はそんな親父のこと、本気で尊敬してたんだ」


 逡巡せず、そう言い切る姿を見る限り、彼の言葉に嘘はないのだろう。

 

「……それは分かりました。でも、それとこれとは話が別です。現にアンタは能登たちを事件に巻き込んだ。それは事実でしょ?」


「そうだね。俺は能登を利用した。能登だけでなく、小岩くんや灯理ちゃんも。彼らの弱みに付け込んで」


「…………」


「親父にはさ。『お前は一切関わるな』って言われたんだ。お前にはがあるんだから、無闇に人の恨みを買う必要はないってさ」


「だったら、何で……」


「今更だって、思わないか?」


 麻浦先輩はそう言うと、鋭い視線を向けてくる。


「ホントはさ。親父は事件が公になる前に、俺のことを親戚に預けるつもりだったらしいんだ」


 なんと言うべきか。

 随分と入念に僕たちを陥れてくれた割りには、あまりにも稚拙な後始末だ。

 彼を思えば……。


「馬鹿みたいでしょ! 親としての体裁っていうの? ホント今更、何考えてんだか……。多分さ。それが親父の限界だったんだと思う」


 怨嗟だけで繋がる結びつきなど、凄惨にも程がある。

 誰しも、そんな道に我が子を引き込みたいとは思わないのだろう。

 それは麻浦先輩の父親も例外ではなかった。ただ、それだけのことだ。


 しかし、それではただの自己陶酔だ。

 実利のない良識など、免罪符でしかない。


「そもそも、俺は最初から親父に全面的に協力するつもりだった。俺にだって、私怨がないわけじゃないしね」


 麻浦先輩は冗談めいた雰囲気で、そう言ってくる。

 そんな彼の不意打ちに、僕は露骨に顔を引き吊らせてしまう。


「ははは! ごめんごめん! でも、100%嘘ってわけじゃない。それは分かるだろ?」


「いや、それは……」


「ホントはもっと上手く出来たのかもしれない。でも俺は……、結局親父に付いていくことしか出来なかった」


「それこそ……、今更ですよ」


「はは。だね! 『最初から全部決まってた』みたいな感じかな? それこそ誰かが泣き寝入りしない限りは」


 麻浦先輩は投げやりに笑って言う。


 泣き寝入り、か。

 それはつまり、痛みを受け入れ続けることを意味するのだろうか。

 まるでホタカ先生の言葉と、逆行するかのようだ。


「まぁ、そんなわけでさ! 俺も親父も、未だに母さんの影を追ってるんだ。何度も言うけど、これは俺たちにとって通過儀礼なんだよ。理屈じゃないんだ」


 落ち着き払い、淡々とそう語る彼の姿からは、ある種の諦観を感じる。

 社会正義に反してまで、真っ向から対決を挑む彼の父親の姿勢は、ちょっとやそっとでは崩れないのだろう。

 例え、それが自分たちを破滅へ導いたとしても。


 惨い話だ。

 麻浦先輩の言う通り、最初から全部決まっていたのだろう。

 端から彼に許されていたのは、母親を奪われたヘイトに対して、真摯に向き合うことだけだった。

 でもこれで、はっきりと分かったことがある。

 麻浦先輩は、一番肝心なことを誤魔化している。

 彼も、また。

 に振り回されている、同志だ。


「本当に勝手、ですね」


「だね。でも……、それを言うならキミたちも、だろ?」


「それは……」


 逆恨みだ、などと軽はずみには言えまい。

 『運命の巡り合わせ』の一言で片付けるには、あまりにも粗暴だ。

 麻浦先輩のはともかく、失ったものが大きいことは確かである。

 

 つくづく、思い知らされる。

 どれだけ平穏に過ごそうとも。

 どれだけ人と関わらずに生きていようとも。

 人の恨みを買わない人生など、存在しないのだろう。


「ごめんごめん! さっきから俺、意地悪言い過ぎだね! 勘違いしないで。直接的には関係ない、キミや風霞ちゃんには悪いことをしたと思っている。もちろん、能登や小岩くん、灯理ちゃんを巻き込んだことも。それは本当なんだ。だからさ……」


 人に弱みを見せないことが至上命題であるかのような麻浦先輩にしては、らしくない。

 やはり、だ。

 彼はここまで生じたゴタゴタの責任の所在を、一手に引き受けようとしている。


 僕自身、分かっていたことだ。

 事態がこれだけ拗れてしまった以上、収拾をつけるのは容易ではない、と。

 ただ、それでも。

 僕のとしての立場で言わせてもらうなら……。

 もう、うんざりだ。

 僕たちは、もう十分に消耗した。

 痛みの連鎖は、今日限りで一先ず終止符を打ちたい。

 それが今の僕の想いだ。

 例え、僕がまた割を食う結論になったとしても。

 彼の言う、泣き寝入りになったとしても。

 だからこそ。

 僕は、彼にを言わせるわけにはいかない。


「麻浦先輩。嘘、吐かないで下さい」

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