ホタカ先生の痛み①

「うん……。分かってる。大丈夫だって。もう僕も風霞も子どもじゃないんだから。うん。じゃあ、また」


 父さんからの電話は、の内容だった。

 敢えて言うなら、電話越しの父さんの声は、思いの外冷静に聞こえた。

 先日のやりとりが、影響しているのかは分からない。

 僕はそんな父さんの思いの丈に応えるために、心ばかりのエールを送った。

 我ながら、長男が一家の一大事に投げかける言葉としては、最適解だと思う。


 電話口の父さんは、何度も何度もしつこいくらいに『お前と風霞には苦労を掛けない』と念を押してきた。

 あの時、病室でも感じたことだ。

 父さんたちには、親としての矜持のようなものが一応は残っているらしい。

 しかし、こちらとしてはそんなことを言われる度に、胸が締め付けられるというか、惨めに思えてくる。

 は、一体何だったのか、と。

 もっとも、父さんたちもソレを自覚しているのだろうから、これがまた質が悪い。


 父さんたちが人の親であることを忘れられないと言うなら、僕にも未練はある。

 だから、出来ることなら水に流したい。

 でも、無理だった。

 僕はあの時、父さんたちのあの醜態を目に焼き付けてしまった。

 今思い出しても、それなりに衝撃的な映像だった。

 脳内から消せと言われても、容易ではない。

 そんな自分自身に、心底驚いている。

 少なからず失望しているということは、僕はまだ彼らに……、父さんたちにを期待しているのかもしれない。

 

 いずれにしても、今更何を言われたところで全てを帳消しにはできない。

 そう考えれば、父さんたちには申し訳ない限りだ。

 

 僕が電話を切ると、灯理が心配そうにこちらの様子を窺っていた。

 風霞に至っては、既に達観したような表情となっている。

 

「風霞たちのお父さん、なんだって?」


 灯理は眉をハの字に下げながら、聞いてくる。

 これでもかと惜しげもなく緊張感を晒してくるあたり、灯理にとっても他人事ではないようだ。

 むしろある意味で、僕以上に当事者意識が強いのかもしれない。


「……ご想像の通りだよ」


「そっか……」


 灯理は蚊の鳴くような声で返答する。


 さて。ここから、僕たちはどう動くべきなのだろうか。

 そもそも、これ以上僕たちに出来ることがあるのか?

 兎にも角にも、因縁の糸が複雑に絡まり過ぎて、元を辿ることすら難しくなっているのが現状だ。

 まずは、一連の事件について一度整理する必要がある。


 事実として、麻浦先輩の父親は僕の父さんたちの会社に恨みがあった。

 まず麻浦先輩の父親は、社労士という身分を利用して役員と繋がり、復讐するための糸口を探る。

 そこで役員と公金詐取の件や児童ポルノの件といった、互いの秘密を握り合うポーズを取ることで、より深く会社の内部事情にアクセスできるようになった。

 裏帳簿の存在も、その過程で知ることが出来たのだろう。

 ここまでは最低限の下準備であり、序の口だ。


 次に協力者だ。

 一人は能登。これは元々付き合いがあったから比較的簡単と言っていい。

 理由も、能登から聞いた通りで間違いはないと思う。

 実際、能登自身も手を組んではいけないヤツと組んだと言っていたが、麻浦先輩の暗躍によって、家庭が救われたことは紛れもない事実だ。


 次に小岩。むしろ、こちらが肝だろう。 

 殊寧やその友人の灯理の危機を察知した小岩は、風霞をスケープゴートにしようと画策する。

 小岩が僕に吐いていた嘘の中で、一番大きな部分はココだ。

 灯理をダシに、僕たちの行動を上手くコントロールする腹積もりだったのだろう。

 

 そこまで話が付けば、後は簡単だ。

 まずはそのとやらを利用して、僕を貶し、周囲から孤立させる。

 そうすることで、僕と風霞の距離を遠ざける。

 

 その後、会社の裏帳簿の情報を税務署に告発。

 会社が窮地を迎えたとなれば、後はどうとでも崩せる。

 家計が危ういともなれば、例え子どもでも心はぐらつく。

 特に風霞のような素直な子なら、尚更だ。

 実際、彼女は家族の誰に相談するでもなく動いた。

 もしあの時、僕が風霞を露骨に避けて居なければ、もっとマシな道を選べていたかも知れない。 

 まぁ今更それを言ったところで、後の祭りだ。

 結局僕たちは、最初から最後まで、麻浦先輩たちの筋書き通りに動いてしまったのだから。


「それで……、これからどうするんですか?」


「トーキくんは、どうしたい?」


 僕がホタカ先生に問いかけると、彼女は間髪入れずに応える。


「随分と勝手な言い草ですね。ここまで引き込んだのはアンタでしょうが……」


「でも、どの道キミはこの一連の事件に巻き込まれる運命にあった。ううん。キミは既に巻き込まれていた。それこそ私と出会うずっと前から」


 一々言われずとも、分かる。

 確かにホタカ先生と出会わなければ、僕はずっとのままで居られたのかもしれない。

 飽くまで他人事のように振る舞い、成すがままその場その場で取り繕いながら生きていけたのかもしれない。

 けど、もう戻れない。

 僕は触れてしまった。気付いてしまった。

 風霞の、小岩の、能登の、婆ちゃんの、灯理の、そして自分自身の痛みに。に。


 しかし、だからと言って……。

 それに気付いたからと言って、僕たちに何が出来る?

 こんなことを言ったら元も子もないが、既にありとあらゆる面で手遅れだ。

 最悪の事態は、こうして起きてしまったのだから。

 それでも敢えて、このまま悪あがきを続けるとするなら……。


「例えばさ。まずは小岩くんと和解したい、とかさ」

 

 ホタカ先生は答えに窮する僕に対して、ヒントとばかりに提案してくる。


 小岩か。

 果たして、僕たちは元の関係に戻れるのだろうか。

 そもそも、僕たちの間に戻すべき関係があったのか。

 もっと言えば、僕は小岩に幻滅しているのか?

 いや……。むしろ幻滅しているのは自分自身に、だ。

 少なくとも、父さんたちに向けていた感情とはまた違うのは確かだ。


 分からない。

 結局、僕は何がしたいんだ?

 僕には何もない。

 『風霞の兄』『天ヶ瀬家の長男』以外のアイデンティティがまるでない。

 僕はある意味で自分自身が忌み嫌っていたものに、いつの間にか依存していたんだと思う。


 ただそんな何もない僕が、強いて挙げるならば。

 やはり、僕は彼女のことを……、ホタカ先生のことを知りたいと思っている。

 これは単純な好奇心だ。

 彼女の、その希死念慮の正体。

 ただの構ってちゃん、だなんて言うつもりは毛頭ない。

 何故、あんなことを言ったのか。

 そして、何故僕なのか。

 純粋に知りたい。

 野次馬根性だとか、そんな低俗な理由でもなければ、庇護欲だとか思い上がりも甚だしい、一方的で身の程知らずな欲望でもない。

 それだけは自信を持って断言出来る。


「分かりません。そんな難しいこと……」


「そっか。キミはそう考えてるんだね」


 如何にも知ったような口を利く。

 本当に面倒くさい人だ。

 彼女はいつだって、僕を本質から逃してはくれない。


「……駄目ですか?」


「ううん。人それぞれじゃない?」


 普段と変わらない不敵な笑みで、彼女は言う。


「よーし! わっかりましたっ! ここまで頑張ったトーキくんにはご褒美として、美人カウンセラー・安堂寺帆空の全てをお教えすると致しましょう! なおこれを以って天ヶ瀬燈輝・カウンセリング計画、最終章とします! 準備が出来次第、相談室へ来るように!」


 ホタカ先生はそう言うと、勢いよく席を立つ。


「あっ!! ちょっ!?」


 僕の制止を気に留める様子もなく、そそくさと伝票を取り、会計に向かった。

 勢い余って飛び出したせいか、カウンターで店員から受け取ったお釣りを盛大にばら撒いていた。

 僕はその様子を見て、何故か妙な胸騒ぎを覚え、呆然と立ち尽くしてしまう。


 ホタカ先生が店を出た後、隣りに座る風霞にスラックスの脇ポケットを引っ張られる。


「早く行ってきなよ。大事なことなんでしょ? お父さんたちには言っておくから」


 風霞は微笑みながら、優しく僕の背中を押してくる。


「行ってくる……」


 風霞の言葉に、僕はようやく気を取り直し、ホタカ先生の後を追いかけようとした。



「あのさっ! 風霞の兄貴!」



 突如、灯理に呼び止められる。


「こんなことあたしが言うことでもないんだけどさ……。ホタカ先生のこと、助けてあげて……」


 灯理は要領を得ないことを口走る。

 何を言い出すかと思いきや……。

 こちらの気も知らず、随分と彼女に肩入れするものだ。

 

「ホタカ先生を、何から助けるんだよ……」


 僕は、精一杯惚けて応える。


「分かんない……。でもさ。見て、ある程度アタリ付いてるんでしょ? 今の風霞の兄貴を見てたら分かるよ」


 やはり灯理はお見通し、なのか。

 ホタカ先生と灯理の抱えた

 それは恐らく類似しているのだろう。

 ただ生憎、そう念を押されたところで、彼女をそこから救い出すだけの手立てを僕は持ち合わせていない。


「えっと……、ごめん。お兄ちゃん。どういうことかな?」


 状況を飲み込めない風霞が、答えを催促してくる。

 多分こういうところが、僕にはない風霞の強さなんだと思う。


「……灯理。後はよろしく」


「えーっ!? ちょっ!? お兄ちゃん!」


 僕は灯理に説明を丸投げして、ホタカ先生の後を追った。


 思えばここまでが、彼女の筋書きだったのかもしれない。

 マッチポンプと思えば少しばかり癪ではある。


 ただ……。

 これは仮定の話だ。

 もし僕の予想通り、彼女自身が今抱えているの正体に気付いていないのであれば、言行不一致も良いところである。

 他人に対して偉そうに講釈を垂れる前に、まずは彼女自身が自分と向き合うべきだ。

 僕は率直にそう思った。

 だからこそ、僕は彼女のことをもっと深く知る必要がある。

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