僕の痛み⑤・回想

「あのさ、お兄ちゃん。今週の土曜日、空いてるかな?」


 能登との一件から、2日が経った。

 その後、決定的ながあったわけではない。

 むしろ、こちらが不気味に感じてしまうほど平穏無事に過ごしている。

 能登が話していた噂についても、どうにもリアリティに欠けるらしく、警戒していたほど広がりを見せていない。

 手前勝手ながら、そのまま風化していけばと虫の良いことを考えていた。


 そんな中、風霞が早々と今週の予定を押さえようとしてくる。

 キッチンで夕飯の準備をする僕の傍らで、ミルクの入ったマグカップを両手で支えながら、気まずそうに見つめてくるあたり、彼女も僕と同じ心持ちであることに間違いはなさそうだ。


 それにしても、心外だ。

 『あるかな?』などと聞いてはいるものの、そう尋ねる風霞の瞳には、どこか確信めいたものを感じる。

 家事やら見舞いを除けば、僕に予定がないことなんて風霞自身が良く知っているはずだ。

 だからと言って、それを隠し通そうともせず、こうして申し訳程度の疑問符でお茶を濁してこられるのも、それはそれで癪に触るというものだ。

 仕返し、というわけでもないが、僕は掟破りの逆質問をしてしまう。


「……急になんだよ?」

「えっ。いや。ちょっと付き合って欲しいんだよね。はは……」


 どこかバツが悪そうに笑う彼女を見て、嫌な予感というか、何かを直感してしまう。


「……もしかして、麻浦先輩関連、か?」

「あ、分かっちゃった? なんかさ。ウチのクラスにその麻浦先輩? と仲が良い子が居てさ。これも何かの縁だから、一緒に遊ぼうって。だからお兄ちゃんもどうかなって」


 やはりか。流石に想像がつく。

 ココ数日のゴタゴタと、この風霞のぎこちなさを見れば。

 風霞としても、クラスメイトとの関係もあるから断り切れなかったのだろう。


 しかし、まぁ。

 さしたる予定があるわけではないのも事実だ。

 たった一人の妹に対して、嘘を吐くのもそれはそれで据わりが悪い。

 だから、僕は彼女の要請に首を縦に振らざるを得ない。


「……いいよ。場所はどこだ?」

「へ?」


 僕が応えると、風霞はあっけに取られたような顔をする。


「『へ?』じゃないだろ? 場所はどこだって聞いてるんだ」

「あ、そっか。ごめん……。場所は駅前のカラオケだよ」

「カラオケって……。またエラく急だな」

「だ、だよねっ! ホントに……」


 そう言うと、再び風霞の表情は沈む。

 しかし、次の瞬間には意を決したように僕に向き直る。


「お兄ちゃん? 無理しないでいいよ? 何かさ。私上手く言えないんだけど、凄い嫌な予感するんだよね」

「まぁ……、嫌な予感がするのは僕も一緒だよ」

「だよねだよねっ! だからさ。麻浦先輩には私が言っとくからさ。土曜日は私一人で」 

 

 風霞は、まるで僕のその反応を待っていたかのように話し出す。


 でも、それは駄目だ。

 この風霞の様子を見るに、事態が良い方向に進んでいるとは思えない。

 偶然とは言え、ある意味で僕が招いた面倒ゴトだ。

 詳しいことは分からないが、この先風霞を矢面に立たせるわけにはいかない。

 

「いや。僕も行く。行かなきゃだめ、だと思う」

「そ、そう……」


 そう呟く風霞は、どこか口惜しそうな様子だ。

 その反応はないだろう。

 せっかく風霞への被害を最小限に抑えようというのに。

 しかし、ここで腹を立てたところで何も生まない。

 無闇やたらな諍いは起こすべきではない。


「……とりあえず、詳しい時間が決まったら教えてくれ」

「う、うん。分かった」


 それだけ言い残すと、風霞は下を向きながらそそくさと自分の部屋に戻っていった。

 僕はそんな彼女の後ろ姿を見て、思わず溜息を漏らしてしまう。

 

 しかし、分からないのは麻浦先輩の目的だ。

 あの人は一体何がしたいのだろうか。

 底知れぬ恐怖を感じながらも、僕はいつものように盛り付けされた料理を食卓に並べた。

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