第38話 確信

 哉太の話は、由美にとって驚くべき内容だった。にわかには信じ難いが、嘘を言っているとは思えない。それに、最初から疑うつもりなどなかったのだ。


「んー、誰も覚えていないっていうのは困ったね。対策するにも、私達でやるしかないもんね」

「信じてくれるのか?」


 驚きと安堵の入り交じった表情を見せる哉太。無理に引き止めて良かった。布団へ横になった由美は心から思った。

 力を使い過ぎて消えたはずだった前任の代人が現れた。しかも、荒魂を操り由美や一般人を襲わせていた。すぐさま現状把握と対策を検討すべき、とんでもない異常事態だ。由美の個人的な事情からしても、聞き捨てならない。

 しかし、哉太によれば、組織の者全てが一笑に付したそうだ。必死の訴えに対しそんな扱いをされたら、彼でなくても心が折れてしまうだろう。


「相棒の言うことだもの、信じるよ」

「そっか」


 そのなんでもない相槌は、張り詰めていたものが緩むような、柔らかい響きだった。畳の敷かれた部屋に、一時の沈黙。気まずさはなく、どこか温かみすら感じられた。由美は時折訪れる、哉太とのこの時間が好きだった。

 

「でも、私もさっぱり覚えてないんだよね」

「どこまで認識がある?」

「うーん、ひさに……あの人がいたなんてことは全く」


 由美は言葉を途中で止められて良かったと、内心ほっとしていた。哉太の前でかつての相棒の名を気軽に口にするのは、良いことではない。親しみを示すようなあだ名であれば、なおさらだ。哉太は久隆は敵と判断し、由美はそれを信用しているのだから。

 

 少年が口の中で小さく「ありがとう」と言った。少女はそれを聞き逃さなかったが、気付かない振りをした。自分だけが哉太の味方である現状に、少しだけ高揚している。不謹慎が過ぎる自覚はあるため、表に出ないよう気を付けなければならない。


「文化祭の時に《調》を受けたなんて覚えてないし、哉太が実戦で《操》を使ったことも」

「そうか、佐々木と山根さんのことは?」

「紗奈子も佐々木君も、普通の荒魂に襲われたって……あれ?」

「ん?」


 由美は自分の話していることに違和感を覚える。辻褄が合わないのだ。思い出せない部分と重なり、どうにも気持ちが悪い。


「なんで、紗奈子達は幕森にいたんだろ? 家は学校から逆方向なのに。それに、荒魂に襲われたなら、怪我で済むわけがないよね」

「おそらくなんだけど、奴が《操》で呼び込んだんだと思う。あと、二人を襲ったのは無兆だった。これもたぶん奴が操っていた」

「人に使えるの?」

「俺だって由美に使った。やってやれないことはない気がする。組織の皆も由美も、奴が何かやったんだんと思う」

「そっか」


 本人は断定を避けているが、哉太の言葉には納得できるところが多い。仮に意思や記憶を操れるとして、その要素が多いほど矛盾は発生するものだ。《伝》で繋がって会話をしていたくらいなのだから、辻褄が合わない部分も出てくるだろう。


「紗奈子を人質にしてまで、私を連れて行こうとしたんだよね」

「だな」


 由美の記憶にある、優しくて強い《久兄》とは別人のようだ。いっそのこと、似ているだけの他人だとでも思ってしまいたい。しかし、由美には理由のない確証があった。《操》でも誤魔化しきれない何かが、心の中にあるのかもしれない。


「何のために、そんなことをしたんだろう」

「それが、俺にはわからないんだよ」

「《伝》の中だったなら、哉太は聞いていないもんね」

「山根さんを助けるために《操》を使わされたから」


 由美へ《伝》を使うため、友人を利用し哉太との接続を一時的に切らせた。詳しく聞けば聞くほど、久隆は周到な計画をしていたことがわかる。彼の目的は一体何だったのか。


「わからないし、わかっても曖昧なことばっかりだね」

「だな」

「私が思い出せればいいんだけど」

「仕方ないよ。信じてくれただけでも嬉しい」

「うん、ありがとう」

 

 感謝の言葉を境に、再びの沈黙。久隆の目的については、これ以上考えても仕方のないことなのかもしれない。今必要なのは、次への対策だ。前回目的を達成できなかった久隆は、確実に別の手段を講じてくる。戦いは前回よりも厳しくなるだろう。

 哉太の言う通り、組織内で誰も取り合ってくれないのであれば、二人で事を運ばなければならない。

 

 ただ、新月の夜に対する備えと並行して、由美は気がかりなことがいくつかあった。荒魂や久隆との戦いに比べれば大したものではない。さらに、自分から言い出すのは非常に恥ずかしい内容も含まれる。


「あのね」

「ん?」

「紗奈子と佐々木君、入院してるんだよね。哉太はお見舞い行った?」

「いや、バタバタしてたし、由美は寝込んでるしで」

「じゃぁ、一緒に行こ。明日には動けると思うし」


 由美にとってはこれが精一杯だった。自分のことながら、あまりにも遠回しな発言だと思ってしまうくらいだ。本当に言いたいことは、この先にある。


「そうだな。告白の結果とか、聞けるといいな」

「うん、そうだね」


 哉太の返答に、由美は少しだけ心が軽くなった。代人として戦うことは重要だ。しかし、それ以外にも矢辻 由美としての人生も重要だと思いたい。優子が半ば強引に学校へ通わせた意味が、少しだけわかるようになった気がした。


「じゃぁ、俺は一旦帰るよ。話し過ぎても休まらないだろ」

「うん、もうちょっと寝ておくよ。寝すぎてちょっと体痛いけど」

 

 制服の哉太が畳から腰を上げ、横に置いてあったコートを手にした。由美としては寂しく思うが、まずは回復するのが先決だ。「ここにいてほしい」と言いそうになるのを堪え、想い人の背を見送る。


「そうそう」

「ん?」


 襖の手前で、哉太が立ち止まる。何かを思い出した様子だった。


「振られた直後だから、あれなんだけど」

「あ……」

 

 哉太が何を言おうとしているのか察した由美は、背筋に電流でも流れたのかと思った。戦いの場とは違い、生死に直接関わるような内容ではない。しかし、それに匹敵するほどの緊張を感じた。


「悪い気は、しなかった」

「え」

「じゃ、また明日来る」

 

 由美の反応を待たず、哉太は逃げるように部屋を後にした。流石に今度は追いかける気になれない。遠ざかる足音に聞き耳を立てるだけだ。


「うーん……」

 

 悪い気はしないという発言は、どういう意味だろうか。思わず頭まで布団を被った由美は、しばらく眠ることができなかった。

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