第23話 撮影と最後の絞り込み

「セルカ棒って……え、あの自撮り用の?」

「そう。あれの、最大進化版って感じ……だね!」

「うわっ!」


 溜めて言い切った「だね!」にタイミングを合わせて、彼はその先端をグイッと引っ張る。内側に入っていた部分がどんどん伸びていき、俺達の身長をあっという間に追い越して、まだ大きくなっていった。


「高さ四メートル、手頃な値段の中じゃ一番長いヤツなんだ。これで撮れば、二階からの写真に見えるからね。それじゃこのBluetoothリモコンのボタンを、と」


 海さんは風を気にしつつセルカ棒の向きを変え、手元のボタンを何度も押している。説明してくれたところによると、スマホの音量調節ボタンがシャッターになるのを活かして、Bluetoothで無線接続してシャッターを切っているらしい。

 ナイスアイディアだと思うけど、マンションの近くで棒を伸ばして写真を撮っているので、傍から見ると盗撮に間違われる気がする。ストーカーで盗撮、海さんのイメージが危ない。


「うん、これなんか良さそうじゃない?」


 セルカ棒からスマホを外して見せてくれた写真にはチェーン店の屋根や道路標識が映っていて、確かにマンションの二階あたりから撮ったように見える。


「じゃあこれを送ろう」


 続いて彼はインステのアプリを開き、DMを打ち始めた。海さん、スマホで文字を打つのが女子高生並に速い。



『ホントですか! ひみつ堂の近くってことは、前に私が住んでた家からもめっちゃ近いですね笑 ちなみに、前のマンションのベランダから撮った写真です!笑』



「うまくいけば、向こうからも写真なり家の情報なり貰えるはずだ。仲良くなりたい人と共通点があれば、共有したくなるからね」

「貰えなかったらどうするんですか?」


 俺の質問に、彼は具問だとでも言いたげにチッチッチと指を振った。


「今日は諦めて、次回チャンスを狙って聞き出そう。毎回そんなにうまくいくわけじゃないよ。ストーカーは一日にして成らず、だね」

「ストーカーって言っちゃってるじゃないですか!」

「まあ今のは言葉の綾だよ。おっ、返信が来たよ」


 彼がスマホを俺の方に傾けたので、覗き込んでみる。そこには低層階からの写真が添付されていた。



『わっ、ありがとうございます! 映ってる薬局、よく行くところです(笑) せっかくなので私も、ベランダからの写真お見せしますね!(笑)』



「よし!」


 海さんが胸元で小さくガッツポーズする。少しずつ陽が沈んできているけど、まだ景色がはっきり判別できるので助かった。とはいえ。


「よく見ると、特徴的なものは映ってないな。ここから探すのは至難の業だ」


 さっきまでのテンションとは打って変わって、彼は細く長く息を吐く。写真には店などが映っておらず、標識や幾つかの建物が映っているだけだった。


「この辺りを歩いて見つけていくと暗くなりそうだし、最悪続きの捜査は明日以降に回すか……」


 落胆する海さん。今日で完結しないとすると、さっき話していた通り、明日DMを再開しなければならない。連日執拗に住所に関わることを訊いていたら怪しまれるだろう。彼の気落ちももっともだった。


「……あれ? 海さん、その写真、よく見せてください」


 俺はスマホを借り、ジッと見つめる。奥に見える、少し大きめの戸建てらしき建物。その入り口に付けてある変な看板に、見覚えがある。


「この看板、前にこの辺りを散歩したときに見つけた気がします」

「オル君、ホント?」


 頷きながら記憶を遡る。高校のなりすましの事件以来、人と関わることを避けて始めた散歩や一人旅。その経験を役立てられるかもしれない。


「これ、ウサギっぽいけど、確か……」


 やや暗いからシルエットしか分からない看板。異常に尻尾が垂れ下がってるウサギに見える。でも、あの時も同じことを思っていたはずだ。


「耳に見える部分は……クワガタ! そう、クワガタのハサミだ! これ、ファーブル昆虫館ですよ!」

「あっ、僕も名前は聞いたことあるよ。ありがと、オル君、助かった!」


 フランスの学者であり「昆虫記」があまりにも有名なファーブルに由来した、昆虫の魅力を学べる博物館。その建物だった。


「これは……千駄木にあるね。行ってみよう」

 千駄木の、この建物が見えるマンション。だいぶ候補は絞られた。





「あの三つが候補だね」


 谷中から歩くこと十分。俺たちは千駄木のファーブル昆虫館近くに来ていた。クワガタと虫を探している男性のシルエットが目立つ看板を背にマンションを探すと、三棟のマンションが見える。このどれかに、仁衣香さんはいるはずだ。


「どうします? 海さん、写真で仁衣香さんの顔分かってるんですよね? ここで見張ってたらいつか出てくるんじゃないですかね?」

「オル君、ちょっと待って。それじゃ本当にストーカーだよ!」

「これまでのは何なんですか」

 ダメだ、彼のオッケーの基準がよく分からない。


「こういう時は、ドンピシャで当てに行くしかないんだ。まずはこの三つのマンションを調べよう」


 そして海さんは、何食わぬ顔でそれぞれのマンションを覗いていく。どれもエントランスがオートロックになっているから建物の中には入れないものの、宅配ボックスや駐輪場、ゴミ捨て場などを念入りにチェックしていた。


 そして全て確認し終えると、満足気な表情を浮かべ、スマホのロックを解除する。


「ほいじゃ、DM送ろっか」

 そう言って、彼は恐ろしいほど速い指捌きで文章を作っていった。



『わあ、ファーブル昆虫館ですね! 一度も行ったことないですけど笑 千駄木のあの辺りって、新しいマンション多くていいですよね。友達も近くに住んでるけど、宅配ボックスあったり二四時間ゴミ出しできたりしてすごく羨ましいです。通販で紅茶買うこともあるので、受け取ったり捨てたりが便利な方がいいなって。クローバーさん、家でも紅茶飲むなら、オススメのお取り寄せティー教えますよ!』



「これで分かるんですか?」

「うん、一応絞り込めるようにはしたつもり。あとはうまい返事が来るのを祈るだけだね」

 ふうっと大きな息を吐く海さんに、俺は「あの」と声をかける。


「今回の件でずっと気になってたことがあるんですけど……」


 そして、自分の考えていたことを話す。探偵でもない、ただの大学生の俺の話を、彼は真剣に聞いてくれた。


「どうですかね?」

 全部聞き終えた海さんは、やがてニッと笑い、ゆっくりと首肯した。


「オル君、鋭いね。僕も同じこと考えてたよ」

「え、じゃあ……」

「最後に言うつもりさ。おっ、返事が来たよ」


 通知音をオンにしていたらしく、ポンッという音がスマホから響く。



『そうです、昆虫館です! 私は大学の友達と一回だけ行きました。もう行かなくていいかな……笑 うちのマンションはやや古いので、ゴミはいつでも出せますけど宅配ボックスはないんですよね(涙) お取り寄せティー、気になります! ぜひ教えてください!』



「よし、ベストな返事だ! マンションは確定だね」


 海さんは一番近い「アーバンエステート」という三階建てマンションのエントランスに向かいながらホッとしたように溜息をついた。


「いつでも使えるゴミ出し場があって宅配ボックスがないのは、このマンションだけだ。後は……」


 オートロック手前のエントランスを入り、右手にある集合郵便受けを指差しながら確認する。


「ポストに黒鉢の名前はない。名前が空欄なのは二部屋だけど、さっきのベランダからの写真を見るに一階はなさそう。ってことは多分この部屋だね」


 二○六という部屋番号を写真に撮り、スマホを薄いコートのポケットにしまう。


「すごい、本当に特定できた」

「まあ、部屋まで分かったのは運が良かったね。どうしてもの場合はDMで階数とか聞こうと思ってたよ」


 じゃあ黒鉢さんに報告だね、と彼は笑い、寒そうに手を擦り合わせた。

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