第2話 探偵事務所へ

「これ、お願いします」

「はい、百円になります!」


 二限は休み。生協の書店で午後受ける授業の教科書を買った後、横の売店でおにぎりを買う。お弁当からチルドカップのコーヒー、スナック菓子まで売っているが、生協オリジナルのねぎ塩豚のおにぎりは、ピリッとした辛みがあって何度もリピートしてしまう。


「んん……」


 迷った末、スマホでチャットアプリを開き、赤都のページまで行く。やりとりは先週俺から送った「また飲もうぜ」というお誘いに「OK」というウサギがサムズアップしているスタンプで返事をしている先週のやりとりで止まっていた。


『大丈夫? 具合悪いなら差し入れとか行くからな!笑』


 最後の「笑」に少しの照れ隠しを込めて、チャットを送ってみた。おにぎりを頬張りながら画面をちらちら見るものの、既読のマークはつかない。大抵こういうのは見てると更新されないんだよな、と思い液晶を裏返しにしてみるものの、食べ終えてすぐひっくり返してしまい、自分のせっかちさに思わず苦笑してしまった。


 SNSを見れば何か分かるかな、と考えたものの、よくよく考えてみると赤都のアカウントを知らない。リアルでしょっちゅう会う仲間なので、別にアカウントを知る必要もなかった。電話番号は知っているが、もし実家に帰っていたり病院だったりすると着信が入るのも都合が悪いだろう。

 結局、今の俺にとってはチャットだけが唯一の彼との連絡手段だった。






「……来ない」


 三限、四限と終え、一六時を回っても返信どころか既読もつかず、キャンパスの図書館近くに設置されたベンチに座って首を傾げる。陽光は少しずつ燃え始め、薄墨色になっていく空を赤く染め上げる。日が短くなっていることを実感した。


織貴おるき、お疲れ。何、待ち合わせ?」

「おう、まあ、そんなもんだな」


 図書館から出てきたクラスの友人と挨拶を交わし、諦めてスマホをネルシャツの胸ポケットにしまう。まだ送ってから五、六時間だ、何か日中に用事があれば返事が来ないことも十分考えられる。でも、相談でも雑談でも二日に一回はやりとりをしていたのに急に来なくなったことに関する疑念と不安がどうしても心に巣食ってしまい、大丈夫だと自分に言い聞かせることができないまま帰路についた。


 家に帰って、鶏むねとカット野菜の野菜炒めで夕飯を済ませ、部屋の真ん中に置いたテーブルの高さを上げる。天板の下にあるレバーで学習机の高さにもこたつの高さにも調整できる一人用テーブルで、気分によって椅子と組み合わせて使っていた。


「んじゃ、やるか」


 力なく呟きつつ、明日の講義に向けて読めと言われていた教育心理学の教科書を捲るものの、あまり頭に入ってこない。災害時に家族の安全が分からないと人間は冷静な判断がくだせない、という研究の話を休日流していたAMで聞いたのはいつだっただろうか。結局、指示されたページまで文字だけは読み、あとは気がかりをごまかすため、動画配信サービスのバラエティー番組を一気見して眠りに就いた。





 翌朝、十月七日、金曜日。今日は授業がないので、俺は赤都の家に来ていた。何度か遊びに来たことのある、彼の一人暮らしの低層マンション。一階の俺の家に比べて二階の彼の家は床が暖かく、羨ましいと言いながら夜通しゲームをしたのを思い出す。


 エレベーターがないため、オートロックのないエントランスを入ってすぐの階段を上がり、二階の彼の部屋に向かう。向かいがけにサッと横目で見た彼の郵便受けにたくさん広告が入っていたことは、頭の埒外に置いた。何か変なことがないか、細かいところまで気になってしまう。高校二年のときに怒りと恐怖の中で身に着けてしまった癖は、三年以上経っても変わらなかった。



 ピンポーン



 部屋のインターホンを押すが、何の反応もない。ピンポン、ピンポンと緊張で鼓動が速まるかのようにインターバルを短くして押していくが、いつものようにドタドタと廊下を掛けてくる音は聞こえなかった。


 矢も楯もたまらず、電話番号を探して通話ボタンを押す。コール音を聞きながら心を落ち着けるが、それが三回、四回と繰り返されるうちに、「出ないだろうな」という諦めが頭の中を埋め尽くす。



 ガチャ

「あっ! もしも——」

「おかけになった電話をお呼びしましたが、電波のとどかない場所にいるか……」


 結局聞こえてきたのは機械的な女性の声だけで、赤都には繋がらない。彼と連絡を取る手段は潰え、何らかリアクションを待つしかなくなった。そして、それが当面返ってこなそうな予感もしていた。



 何事もなければいいけど、今や何事もないという可能性の方が低い。身内に急病やご不幸でもあって実家に帰っているのだろうか。でも、月曜から金曜まで、どこかで少しでも時間があれば一言くれるはずだ。一緒に取っている授業で早速提出予定の課題もあったし、今朝元クラスメイトから飲み会の連絡もあったのに、全く連絡がない。嫌な想像ばかりがかさを増していく。



 警察に相談? 大学には緊急連絡先を提出している? でも、友人の男子大学生が数日連絡が取れないくらいでは、まともに取り合ってくれないだろう。


 自分が心配しすぎなのだろうか。でも、実家の住所も連絡先も知らない相手と連絡が取れないとき、一体どこまで放っておけばいいのだろう。そしていざというときは誰に相談すればいいのだろうか。赤都にもっと近しい友人、は知らない。サークル、も入っていない。あとは全く違う人、例えば人を探すのが得意な……


「あっ」


 ふいに、昨日の一限で聞いた男女の会話を思い出し、俺はすぐさまスマホを取り出して、キーワードで検索をかけた。





「こんなところにあるのか……?」


 家と学校の最寄り駅、王子駅から京浜東北線で一駅の東十条駅で下車し、改札を出た。何かのドラマの恋敵役が「王子にはなれないから」という理由で東十条という苗字になっていた、という豆知識を思い出す。


 「東十条銀座商店街」と銘打たれた商店街には激安の肉屋から老舗の和菓子屋まで多くの店が並んでいる。老若男女が入り混じって歩き、昼前にも関わらずしっかり活気づいていた。



 そんな商店街の途中で曲がり、住宅街へ。スマホには「東十条 探偵 人探し」で検索して出てきた探偵事務所の住所が地図アプリで表示されている。ホームページもあったが、事務所名と住所しか書いていない手抜きのサイトで、表示されているタブは全て「COMING SOON」となっていた。



「多分この辺りに……あった」


 住宅に囲まれた、薄クリーム色の古めかしい三階建てのビル。看板も何も出ていないものの、一階の郵便受けには「須藤すとうかい 探偵事務所」と書いてある。


 少しだけスマホをいじってから階段を上がり、事務所のある二階へ。昔ながらのすりガラスのはめられた茶色いドアの上部に「須藤海 探偵事務所へようこそ!」といやにポップな文字で書かれた紙が貼られていた。インターホンがあるわけでもなく、まるで高校の部室の入り口のようだ。


 どうしよう、本当に探偵事務所なんだろうか。騙されていないだろうか。半信半疑でしばらくドアの前をウロウロしたものの、他に手立てはなく、半ばヤケで勢いよくドアを叩いた。



「はい! はいはーい!」


 近所から回覧板を回されたくらいの軽いトーンで返事をしながら、ドアの奥からバタバタと走ってくる音がする。やがて内鍵が開き、しっかりとシワのあるワイシャツにボサボサ髪の男性が顔を出した。


 身長は俺より七、八センチは確実に高い。一八〇は優に超えているだろう。全く太っている部分がなく、胸元から足下まで同じ幅のため、余計に長身に感じられる。


 年齢は二十代後半くらいに見える。青縁のハーフリムのメガネをかけており理知的に見える一方、目に若干クマができているため健康的な暮らしではないようだ。


「お待たせしました、須藤海ストーカイです! どうぞ中へ!」

「あ、はい……」


 俺がノックした以上の勢いで案内され、俺は「ささ、どうぞ」という声に引っ張られるようにして中に入った。

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