魔王を崇拝する教団 6

 屋敷へと戻り、一夜が明けた早朝。

 招集を受けた俺は、エリザベスさんの待つ執務室を訪ねた。部屋の真ん中にあるローテーブルを挟み、エリザベスさんとリディアが向かい合って座っている。

 それと、部屋の隅にはエリスを含めた使用人が何人か控えていた。俺の視線に気付いたエリスがぺこりと頭を下げる。それを横目に、俺はエリザベスさんへと視線を向けた。


「お待たせしましたか?」

「いいえ、ちょうどいいタイミングですわ。話があるからそこに座ってちょうだい」


 エリザベスさんが示したのは、リディアの隣。だけど俺はその言葉に反して足を止め、エリザベスさんに向かって頭を下げた。


「……アルトさん?」

「申し訳ありません。リディアの護衛を任されていたのに、その役目を果たせませんでした」

「そ、そんな、アルトさんのせいじゃないよ!」


 そう言ってくれたのはリディアだ。

 だけど、俺はエリザベスさんからリディアに危険が迫っていると聞かされていた。だから側にいるようにと言われていたのに、リディアの側を離れてしまった。

 俺がもう少し警戒していれば防げたことだ。と、頭を下げ続ける。

 ほどなくして、エリザベスさんが「頭を上げてください」と口にした。それに従って頭を上げると、彼女は凪いだ瞳で俺をまっすぐに見つめていた。


「たしかに、リディアから目を離したことは失態ですね。ですが、事情はリディアから聞いています。それに、貴方がいなければリディアは助けられなかったかもしれません」

「でもそれは……」

「結果論、ですか? たしかにそうかもしれません。でも、貴方がリディアを救ってくれたことに変わりはありません。ですから……」


 エリザベスさんが立ち上がり、俺に向かって深々と頭を下げた。


「アルトさんに娘を救われるのはこれで二度目ですね。ホーリーローズ伯爵として、そしてリディアの母として、貴方に感謝します」

「あ、いえ、そんな。頭を上げてください。さっきも言いましたが、俺はミスをしました。それに、助けたのは護衛として当然のことをしただけですので……っ」


 慌ててお願いすれば、エリザベスさんは頭を上げて「謙虚なんですね」と微笑んだ。直後、今度はリディアが立ち上がった。


「お礼が遅れたけど、私とエリスを助けてくれてありがとう。貴方は当然のことだって言うけど、貴方がいなければどうなっていたか分からない。だから、感謝しているわ」


 リディアが頭を下げ、背後に控えているエリスもまた頭を下げる。それを目にした俺は、今更ながらに二人を救ったのだという実感を抱いた。


「……どういたしまして。二人が無事でよかったよ」


 これは俺の本心だ。

 その言葉に二人は頭を上げたのだけど――


「あら、娘のお礼は素直に受け取るのね?}

「えっ。いや、それは……」

「ふふっ、冗談よ」


 エリザベスさんはクスクスと笑う。

 どうやら、からかわれたらしい。


「勘弁してください」

「ごめんなさい。貴方達をみていると微笑ましくてつい。でも、もうからかわないわ。だから、席に座りましょう。いくつか話があるの」

「分かりました」


 今度は素直にリディアの隣に座る。

 ほどなく、メイド達の手によって、テーブルの上に紅茶とお菓子が並べられた。そのティーカップを片手に一息を吐いて、横目でリディアを盗み見る。


 さっきの様子から、誘拐事件を未然に防げなかったこと自体は怒っていないと思う。だけど、魔王を崇拝する教団や、崇拝される魔王に対する感情は別だ。

 俺が知らない幼少期のことに、俺と出会ったときのこと。そして今回のこと。その三つの出来事と、リディアの司祭に対するあの苛烈な態度。なんとも思っていない――なんて楽観できるはずがない。むしろ、相当な恨みが募っているとみるべきだ。


 ……はあ。

 リディアをどれくらいベタ惚れさせれば、俺のことを見逃してくれるかなぁ?

 分からないけど、先は長そうだ。なのに、俺の正体を知る魔族が逃げてしまった。なんとかしないといけないんだけど……と、そんな風に考えながら、視線をエリザベスさんに戻す。


「ところで、お話しというのはなんでしょう?」

「あぁそうだったわね。話と言うのは他でもない。魔王を崇拝する教団の信者達を尋問した、第一報を伝えておこうと思って」


 その言葉にびくりと身を震わせた。

 ……いや、大丈夫だ。俺の正体に気付いた魔族はすぐに逃げた。だから、捕らえられた者のかなに、俺の正体に気付いた者はいないはずだ。

 判決を待つ容疑者のような気分で待っていると、リディアがティーカップをソーサーの上に叩き付けるように置いて立ち上がった。


「――お母様!」

「分かっているわ。私が話そうとしたのは、逃げた者達の行方についてよ」


 続けられた言葉に俺は息を呑む。


「――まさか魔族を捕まえたのですか?」

「――まさか司祭を捕まえたのですか?」


 俺とリディアが聞き返したのは同時だった。

 リディアがどうして司祭の行方をこんなに気にするんだろう? やっぱり深い恨みがあるんだろうか? と視線を向けると、同じように振り向いたリディアと目があった。

 ……なんかリディアも俺を探るような目で見てるんだけど、なんでだ? ……いや、いまはそれより、魔族が捕まったかどうかが問題だ――と視線を戻す。

 俺達の問いに、エリザベスさんは首を横に振った。


「残念ながら、どちらもまだ見つかってはいないわ。でも、手がかりならあるの」

「そう、ですか……」


 それはつまり、俺の正体がばれるかも、ということだ。

 だとすれば、座して成り行きを見守る訳にはいかない。


「エリザベスさんにお願いがあります」

「あら、なにかしら?」

「その者達の行方を摑んだら教えていただきたいんです」

「私も知りたいです!」


 俺に続き、リディアも願い出る。

 なんて言うか、司祭に対する執念じみた怨恨を感じるな。ますます、俺の正体を知られる訳にはいかないな。絶対、リディアより先に魔族を捕まえて口を封じよう。

 と、そんな熱意が伝わったのか、エリザベスさんは「お約束しましょう」と応じてくれた。


 その後は、あらためてお礼を言われて話は終了し、俺とリディアは執務室を後にする。そこに、遅れて執務室から出てきたエリスが追い掛けてきた。そうしてエリスは、リディアではなく俺を呼び止めた。廊下に敷かれた赤い絨毯の上、俺はクルリと振り返った。


「エリス、俺になにか用なのか?」

「はい。アルト様、昨日はお嬢様と私を救ってくださってありがとうございました」

「ああ、そのことか。さっきも言ったけど、俺は自分のやるべきことをしたまでだ。だからエリスも気にしないでくれ」


 というか、自分が殺されたくなくてがんばっているだけだ。だから、そんな風に感謝されると申し訳なくなる――と、声には出さずに口にした。


「アルト様ならそうおっしゃると思いました。ですから、アルト様が負担にならない範囲で、しっかりとお礼をさせていただきます、リディア様が」

「――私なの!?」


 リディアが反射的に聞き返す。どうやら、さっきの意見はエリスの独断のようだ。

 やっぱり、ただのお嬢様とメイドという感じではない……と、そういえば、エリスはメイドはメイドでもレディースメイド。いわゆる侍女のような立場らしい。


 まあ、それでも、メイドが主に気軽に話すのはどうかと思うんだけど、この世界ではそれが許されているからなのか、はたまたエリスが腹違いの姉だからか。

 おそらくは両方だろう。

 それはともかく、


「私がお礼をするより、リディア様がお礼をした方が、アルト様は喜ぶと思いましたので。ですから、私からのお礼は、リディア様にお礼をするように仕向けることです」

「……貴方ねぇ」


 エリスの下は今日も絶好調で、リディアは呆れている。出来ればかかわりたくないと他人の振りをしていると、別のメイドに案内されてこちらに歩いてくるヴィオラを見つけた。

 彼女は俺の姿を見るなり駆け寄ってくる。


「あ、アルトさん、無事だったんですね」

「おかげさまで。ところで、ヴィオラさんはどうしてここに?」

「もう、アルトさんったら。先日みたいに普通のしゃべり方でいいですわよ」

「……いいのか? じゃあそうさせてもらおうかな」

「ええ、ぜひそうしてください。それで、私がここにいる理由でしたわね。実はリディア様にお話があって、面会できるようにお願いしたんです」

「あぁ、それで移動中に出くわした訳か。――という訳らしいぞ」


 説明を省いてリディアに教える。

 けれど、視線を向けると、リディアは物凄く驚いた顔をしていた。


「ア、アルトさん、いつの間に、そんな……っ。昨日、あの後? でも、そんなに時間はなかったはずよね? まさか……一目惚? ライバル登場? ――いや、そんなはずは……っ」

「……リディア?」

「は!? い、いいいいえ、なんでもありません! それで、ヴィオラの話ってなにかしら? っておくけど、また難癖を付けるつもりなら許さない――」

「――昨日はすみませんでした!」


 リディアのセリフを遮って、ヴィオラが深々と頭を下げた。それは完全に予想外だったのだろう。リディアは呆気にとられたような顔をする。


「……え?」

「私、本当はリディア様のことを尊敬しているんです。でも、素直になれなくて、いつも心にもないことばかり口にしてリディア様を怒らせて。でも、それじゃダメだってアルトさんに指摘されて、変わろうって思ったんです。だから、その――ごめんなさい!」


 ちゃんと素直に言えたな! と、ヴィオラの頑張りに感動する。これならば、リディアもヴィオラのことを認めるだろう。

 そして、その立役者は俺だ。

 その功績で、魔王を崇拝する教団が起こした一件に対する怒り、その一部でも相殺できればいいなぁと思いながら、俺は二人の様子を見守った。

 

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