魔王と聖女は互いに惚れた弱みを作りたい 9
リディアのダンスの稽古に付き合う。それはつまり、リディアを自分のパーソナルスペースへ引き込むことだ。だからドキドキさせられてなるものかと警戒をしていた。
でも、リディアはそんな俺の警戒を軽々と飛び越えてきた。
具体的に言うと、前屈みで俺を見上げる仕草を多用してくるのだ。
肩出しのブラウスを身に着けているのに――だ。
もちろん、先にも言ったように、リディアが身に付けているブラウスは、決して胸元が大きく開いたようなデザインじゃない。肩が出ていることを除けば、比較的大人しいデザインだ。
でも、だけど、いくらなんでも前屈みは危険だと思うのだ。
実際、服の隙間から胸元が見える――なんてことにはなっていない。でも、見えそうにはなっている。少なくとも、俺がそう思う程度には。
しかも、リディアの上目遣いが可愛くて、そこから目をそらすと胸元が視界に入ってしまう。もうなんというか、もし狙ってるのならあざとすぎると思う。
いや、さすがにそれはないと思うけどさ。
なんにしても、リディアの反撃には凄まじい破壊力があった。
っていうか、隣り合うように計算して攻めたら、正面に立って攻めてくる。この世界にパーソナルスペースなんて概念があるとは思えないんだけど……偶然なのかな?
……いや、もしかしたら、偶然じゃないかもしれない。隣に立たれるとパーソナルスペースに入られて警戒するから、無意識に正面に立つようにした。
そんな可能性ならあるかもしれない。
――とか、色々考えていたのはダンスの稽古が始まるまでだ。
「ほ、ほら、アルトさん。そこは私の動きに合わせて」
「あ、ああ、分かっては、いるんだけどさ」
ダンスの種類はワルツだった。
ゆったりとしたテンポに合わせ、互いの身体を密着してステップを踏む。
そう。互いの身体を密着させるのだ。
具体的には、互いの背に腕を回すような体勢。
――って言うか、近すぎるだろ!?
パーソナルスペースがどうのってレベルじゃない。抱きしめ合っているよりはまし――レベル。当然、リディアからいい匂いがするし、温もりだって伝わってくる。
なんなら、俺がステップを覚えていないせいで、互いの身体がぶつかったりする。
しかも超至近距離で、俺はリディアを見下ろしている。その視界の下の方には、リディアの胸元が必然的に映り込む。なのに、視線を外すと、いまの俺はステップが分からなくなる。
こんなの、どうしろって言うんだよ!
しかも、なんかリディアも恥ずかしそうだ。
なんなの? そんなに恥ずかしそうにするなら、なんで俺を稽古相手に選んだ?
意味が分かんない。まさか、俺とダンスが踊りたかった……なんてことはないはずだ。なにか、他に理由があるとしか思えない。
たとえば……そう。
俺が逃げられないよう摑んで、いままさに殺すタイミングをうかがっている、とか。
いや、さすがにないな。俺を殺す機会ならいくらでもあった。少なくとも、現時点では俺を殺そうとはしていない。そもそも、俺の正体には気付いていないはずだ。
だとしたら、俺が落とそうと頑張ったあれこれが効いている? その結果がこの稽古だとしたら……リディアは俺に惚れている?
俺の好みを体現した彼女が……俺に? もしそうだとしたら、それはなんて……い、いや、そう判断するのは時期尚早だ。落ち着け、冷静になれ。
そもそも、これは命を懸けた戦いだ。
ちょっと好意を抱いた――程度ではダメだ。俺がリディアの天敵、魔王の後継者であると知ってもなお、命を奪えなくなるほどの恋心を抱かせなくちゃいけない。
でも、それがどの程度の恋心なのか分からない。分からないなら、ただ全力で惚れさせるしか方法はない。だから――と、俺はリディアに笑いかけた。
「ダンス、思ったよりも面白いな」
「……ほんと?」
「ああ。相手がリディア、だからかな?」
「~~~っ。わ、私も、アルトさんと踊るの楽しいよ」
強烈なカウンターを喰らった。やっぱり真正面から戦いを挑むのは無謀だ。ひとまず、いまはこの状況を切り抜けるのを優先してダンスに集中しよう。
そうしてしばらくステップの練習に集中する。
「だいぶ様になってきたね。次はアルトさんがリードして見る?」
「え? いや、俺はまだちゃんとはステップを覚えてないぞ」
「大丈夫、私がアルトさんに合わせるから」
リディアがなんの気負いもなく言い放った。
ダンスの基本はリード&フォロー。つまり、男性のリードを女性がフォローする。男性がどんなステップを踏んだとしても、それに追随するのがフォローする、ということ。
でも、そこまで踊れる人はまずいない。決まったルーティーン、あるいは決まったステップを踏む。リード&フォローは、その大枠にそうのが一般的だ。
なのに、リディアはステップの踏み方すら知らない俺に合わせるといった。
本当にそんなことが出来るのか?
俺はいきなりバックステップを踏む。ダンスのステップとは言えない、ただのバックステップ。だけど――リディアはそれに遅れることなく付いてきた。
マジか――と驚きながらもターン。サイドステップを踏み、それからさっき覚えたばかりのナチュラルスピンターンをおこなった。
リディアはそれらに完璧に合わせてきた。
すごい――と、心の中で喝采を上げた。
同時に理解する。これ、たぶん、剣での戦いと基本は一緒だ――と。
相手の動きに対応した動きを返す。それは、剣で斬り結ぶときの動きと変わらない。違うのは、あくまで合わせることが目的で、相手の動きを潰す訳ではない、ということだ。
でもこれならいける。
近接戦闘や身体能力を司るスキルレベルが軒並み6。――聖女には遠く及ばないけれど、超一流の域に達する能力を持ついまの俺なら合わせられる。
「なんとなく分かってきた。次はリディアがリードしてくれ」
「分かった。じゃあ――行くよ」
リディアが俺に変わってリードを始める。
大きな一歩、きゅっとフローリングの床をならして半回転。いきなり俺の知らないステップだ。しかもワルツのリズムは一定だから、一歩が大きい分だけ動きが早くなる。
一歩を踏み込んだと思ったら、サイドステップを踏む。反応に遅れそうになったそのとき、リディアが俺の腕を軽く引き、それに合わせて重心を移動させた。
そうか――重心や視線を見ればいいんだ。近接戦闘のようにフェイントはない。素直に、リディアの動きを読み取って――ここ。
「……え? アルトさん、いまのは……?」
リディアが目を見張った。
知らない順序――ルーティーンに組み込まれた、知らないステップ。次になにが来るかまったく分からない状態で、俺がリディアと同時にステップを踏んだからだ。
「さすがアルトさん。そこまでフォローできるのは一流の人でも珍しいよ」
「リディアのリードが上手いからな」
素人の動きは逆に読みにくかったりする。近接戦闘のスキルが低いにもかかわらず、リディアのリードがここまで分かりやすいのは、ダンスのスキルが高いからだ。
でも、それは俺がキャラメイクで習得したスキルじゃない。
努力家――なんだな。今更ながらに、俺がこの屋敷に来てからもずっと、リディアが様々な習い事に打ち込んでいることに思い至った。
聖女として習得可能なスキルがすべて10。上限を突破する能力を秘めているとはいえ、人類的には伝説のレベル。そんな能力を持ちながらも努力を怠らない。
ひたむきな努力家で、明るい性格のリディアが、本当に俺を殺そうとするだろうか?
もちろん、俺が魔王の後継者として覚醒――というか、悪事を働いたのなら分かる。でも、俺が魔王の後継者という称号を持っている、なんて理由だけで俺を殺そうとするだろうか?
……しない気がする。
もしかしたら、読まなかった説明になにか書いてあったんじゃないか? 聖女が天敵で、序盤から俺を殺す可能性がある。その一文を見た俺が、誤解しているだけかもしれない。
分からない。
でも、いまだけは――
「リディア、もっと難易度を上げてくれ」
「言ったね? じゃあ――試してあげる」
いたずらっ子が顔を覗かせた。リディアは『どこまでついてこれるかな?』とばかりにステップを踏み始める。それは大胆で、だけどとても優雅なワルツ。
いつしか、俺の中からリディアに対する恐怖が抜け落ちていた。同時に、自分の理想の女の子と密着しているという意識も抜け落ちた。
そうして残ったのは、ただ純粋に楽しいという思い。リディアのリードに合わせて踊る俺は、たぶんこの世界に来てから初めて、心から笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます