06. 大地の神殿


 「足元が悪いから空から行こう」とニゲルが言って、龍の姿で手に乗せて運んでくれた。

 できれば背に乗りたかったのだけれど、「雨が降っているから、俺の体の下でタオルを被っていなさい」と却下されてしまったのだ。


「背中に乗りたかった……」


 神殿についてもほおを膨らませてぶーたれるわたしの頭に、人の姿に化けなおしたニゲルが触れる。輪郭をなぞるような優しさで何度もなでられていると、心のとげがぽろぽろ落ちていくようだった。

 ニゲルは不思議。隣にいると落ち着かないのに、同時に心が丸くなる。


 へへっと笑った私のほおを、プルウィアが横から引っ張った。


「移動方法なんか何でもいいでしょ。そんなことより神殿を見なさいよ。どう? 何か思い出せそう?」

「特には何も……」


 広い神殿に、見覚えは全くなかった。

 十段くらいの階段に囲まれた、広い広い台座。竜の姿に戻ったニゲルはすごく大きくて、頭だけでわたしの胸くらいまでの大きさがある。そのニゲルがとぐろを巻いて寝そべれる広さだ。

 台座の上には石造りの白い屋根がついていて、壁はない。太い柱だけが等間隔に並んでいた。


 広い台座にはびっしりと細かい模様が刻まれている。細かすぎて、じっと見つめていると頭がくらくらしそうだ。儀式のための魔法陣だとニゲルが教えてくれた。

 魔法陣の中には二つの円がぽっかりと空いていた。そこに何かを置けと言っているみたいに。


「ステラ、そちら側の円に立ってみてくれるか?」

「こう?」


 言われるがまま、円の中に入る。ニゲルももう片方の円の中に立った。

 少しドキドキしたけれど、何も起きない。


「儀式のときは、こうして立って二人で魔法陣を起動するんだ」

「へえー」

「それで、どうだ? 儀式はやれそうか?」

「どうやって魔法陣を起動すればいいの?」

「胸の前で、両手で三角を作ってごらん。その三角と、床の三角形を重ねるように覗いて」


 両手の親指と人差し指を合わせて形を作り、腕を伸ばしてみる。床の三角形はすぐに見つかったから、覗くことは難しくない。


「穴を通して魔力を注ぐんだが……そういえばステラ、魔法の使い方は覚えているか?」

「ううん、忘れちゃった」

「そうか……」

「ごめんね。そこから教えてもらってもいい?」

「教えるのはいいが、魔法を覚え始めていきなり儀式は負担が大きすぎるだろうし、今回の儀式は俺一人でやったほうがよさそうだな」


 ニゲルが困り顔になって息をつく。プルウィアも「まあそれが無難ね」と頷いた。


「一人でも儀式ができるの?」


 龍の王様一人で儀式ができるなら、巫女は何のためにいるんだろう? 首を傾げたら、


「それはね、兄様あにさまがすごいのよ」


 とプルウィアが胸を張った。腕を組み、ふふんと鼻を鳴らしている。ニゲルは鼻高々な妹に困ったような笑みを向けた。


「俺の他にも、一人で儀式をこなせた王はいると思うよ。ただ皆が皆、一人で儀式ができる王ばかりではないから、しきたりどおりに巫女の手を借りることにしている。巫女は不要だと人に思われては、いつか困る王が出るかもしれないからね」

「一人で大丈夫? 大変じゃない?」

「先代の巫女に逃げられたときは一人でやっていたし、ステラが心配することはないよ」


 魔法陣の円から出て、ニゲルがわたしの頭をそっとなでた。また子供扱いされたけれど、あたたかい手が心地いい。


「階段の周りをぐるっと見て回ったけど、〝くろいおばけ〟らしきものは見つからないわね。兄様あにさま、地下室はどこにあるの?」

「ああ、開け方を教えよう」


 プルウィアを連れてニゲルが柱の一本に近づいていく。柱の根本あたりにあった小さな出っ張りを押すと、柱の中にぽっかりと穴が開いた。下に続く急な階段の奥には暗い闇が広がっている。


「明かりはあたしがつけるわ。一人で先に降りて様子を見てきていい? 兄様あにさまは来ないでよね」

「ああ、探偵さんの好きにどうぞ」


 プルウィアが指を一振りすると、光の帯が天井に伸びて貼り付き、明るくなった。階段は途中で折れ曲がっているようで、踊り場の一部が見える。

 黙って降りて行ったプルウィアの背が見えなくなり、わたしはニゲルに顔を向けた。


「いいの?」

「何が? 後で降りてみればわかるが、本当に掃除用具以外には何もないよ。どうせすぐに呼ばれるさ」


 ニゲルの予想どおり、すぐにプルウィアがわたしを呼んだ。

 急な階段を、転ばないように一歩ずつ降りる。踊り場を二回抜けると、小部屋が見えた。窓も扉もない、四角い箱みたいな部屋だ。奥に木でできたシンプルな三段の棚があって、木製の桶とちりとり、二枚の雑巾が置かれていた。棚には箒が立てかけてある。


「この子が倒れていたのはどこ?」

「階段を降りてすぐのところだ」

「……やっぱり、わたし、階段から落ちたのかな?」


 結構急な階段だし、足場の一つ一つが狭い。ぼんやりしていたら簡単に踏み外してしまいそうだ。


兄様あにさま、この子が倒れていたのと同じように寝ころんで」

「難しいことを言う……倒れたステラを見て、俺が冷静でいられるわけがないだろう。正確には覚えていないよ」

「覚えている範囲でいいからやって」

「はいはい」


 頭を部屋の奥側に、足は階段側に、ニゲルが寝そべる。足からではなく頭から落ちたように見えた。足を滑らせて、床で頭を打ったんだろうか。


「手がどういう向きだったかは忘れたぞ。体の角度も正しいかどうかは保証できない」

「頭が部屋側なのは間違いない?」

「ああ」

「周りに何か落ちてはなかった?」

「さあ、忘れたな。もう立っていいか?」

「……いいわ」


 ニゲルが体をどけると、プルウィアがしゃがんで床を観察し始める。でも白い床には小石くらいしか落ちていない。

 しばらく何かを考えていたプルウィアは、立ち上がってわたしを見た。


「あんた、どこか怪我してない?」

「え? ううん、どこも痛くないよ」


 気になって腕や足に注意を向けてみたけれど、擦り傷一つない。わたしの髪をあちこちめくって、プルウィアが何かを探している。


「この階段から落ちたなら、少なくともすり傷の一つくらいできそうよね」

「そうだねえ。もう治っちゃったとか?」

「まあすり傷くらいなら、兄様あにさまの回復魔法があればすぐに治りそうよね。もしくは、服が汚れてたってマレが言ってし、服をこすっただけだったのかしら」

「さあ……」


 部屋を見回してみても、やっぱり見覚えはない。棚の桶をプルウィアが手に取ったかと思うと、それをわたしの頭にかぶせてきた。


「ひゃあっ、何!?」

「これでお化けに……見えるわけないか」

「どういう確認?」


 茶色い桶の内側は少しだけ湿っていた。まだ乾ききっていない桶は少し匂う。ちょっと嫌な、雑巾の匂いだ。

 わたしは倒れる前に、水拭きでもしたんだろうか。

 そういえば階段と周りの床だけが部屋の端に比べてぴかぴかだ。うん、わたし、掃除にムラがあるね。


 自分の掃除能力に凹んでいたら、持っていた桶を落としてしまった。棚の前に転がっていった桶を拾おうと前に出した足が、大きめの小石を蹴り飛ばした。


 壁にぶつかって転がった白い石が裏返る。床に接していた裏面が赤茶けた錆色に染まっているのを目にした途端――ぞわっと腕が泡立った。

 その色がまるで、乾いた血のように見えたから。隠れていた裏面だということが、余計に気持ち悪く感じた。


 そんなわけない。血なんかじゃないよね、きっと。


 見続けていたくなくて、石をつまんで裏返す。ひっくり返してしまえばただの白い石だ。少し気持ちが落ち着いて、ほっと息をついた。

 桶を棚に戻して振り返ると、階段の踊り場に立ったニゲルをプルウィアが見上げている。


兄様あにさま、試しに壁に隠れて頭だけ出してみて」

「こうか?」

「そしたらお化けに見え……ないか」

「俺の影はどうだ?」

「まあ、どう見ても兄様あにさまの影よね」

「それはそうだな」


 どうしよう。石のこと、言ったほうがいい? でもニゲルを疑っているプルウィアの前で下手に騒ぐのもよくないような気がする。


「……ねえ、ニゲル。わたしは怪我はしていなかったんだよね?」

「ああ、俺が気付いた範囲では。……どうした? どこか痛むのか?」

「ううん。ここで転んだら痛そうだなって思っただけ」

「それならいいが、どこか体がおかしいと感じたらすぐに言ってくれ」

「うん」


 伝えるのはやめておこう。わたしのことを心配そうな顔で見下ろしたニゲルの表情も、声も、わたしには疑えない。茶色いものなら、乾いた血以外にもいくらだってあるのだし。


「プルウィアの気がすんだら、帰っておやつにしよう。ステラの快気祝いだと、マレがケーキを焼いているよ」


 ニゲルがそう言った途端、プルウィアがぱっと組んでいた腕をほどいて階段を上り始める。


「いいわ、帰りましょう」

「マレのケーキはプルウィアの好物だったな?」

「べっ、別にケーキに釣られたわけじゃないわよっ!!」


 早足で踊り場を曲がっていったプルウィアを、ニゲルが笑顔で見つめている。お兄ちゃんっていいなと思わずにはいられない優しい表情だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る