第32話 そうは問屋が卸さない


「ポップコーンもっとちょうだい」


 抱えていたからのカップを見せつけるように振ってみた。そうすると、新しいポップコーンの入ったカップを持って城崎がやってきた。


「あんまり食べると消化不良をおこすよ」

「チーズ味だ」


 新しく渡されたのはチーズ味で、さっきまで食べていたのはキャラメル味だ。映画館で映画を見ようとしていたら、ものすごく混んでいて、どうしたものかと考えていたら城崎が声をかけてきたのだ。


「株主優待シートで観るかい?」


 そんな甘いお誘いをされてしまってはついて行くしかない。蒼也は食べたかったポップコーンを買って城崎について映画館に入って行った。そうして案内されたのはボックス席で、隔離された一坪程の広さの部屋だった。赤ちゃんがいても観られるようになのか、ベビーベッドも設置されてトイレもついていた。一スクリーンに二枠あるようで、隣の部屋にも誰かか入っているのが見えた。


「映画は楽しい?」

「うん、これ観たかったやつ」


 蒼也は城崎の方を見ずに答える。ポップコーンだってカップの中を見ないで手を突っ込んで食べている。そんな蒼也に城崎がペットボトルをさしだしてきた。


「はい、サイダー」


 頬の辺りに炭酸の弾ける感じがして、耳にはちいさな炸裂音が聞こえてくる。ちょうど喉が乾いていたから蒼也は受け取るとそのまま飲んだ。鼻に抜ける爽やかな香りがなんとも言えない。実家にいた時には出来なかった。

 喉を鳴らして飲んだあと、右手で握りしめたペットボトルの置き場所を探す。ゆったりとした一人がけのシートにはサイドテーブルがあったから、そこにペットボトルを置いてみる。しかし、蓋のないペットボトルは何だか不安に見える。


「蓋するね」


 そんなことを言って城崎がペットボトルに蓋をしてくれた。随分と至れり尽くせりだ。


「わぁ」


 ちょうど城崎がペットボトルを置いた時、派手なアクションシーンで主人公が地面に転がり泥にまみれていた。それを観て蒼也は思わず前のめりになる。室内が暗いから、蒼也の顔にはスクリーンからの光がまばらに当たる。その横顔を眺めながら隣の席に城崎が腰掛けてた時、背後で扉が開く音がした。

 スクリーンに釘付けとなっている蒼也はそれに気づく様子はなく、シートから聞こえてくる音と振動に集中している。城崎は蒼也に気づかれないようにゆっくりと立ち上がると、静かに扉へと向かった。

 天井付近だけ区切るようにされているから、扉の辺りだけはそれなりに明るい。城崎はそこに立つ人物を確認すると軽く眉間に皺を寄せた。


「  ぉ  」


 相手が口を開いた途端、城崎が人差し指を口に当てた。その仕草と表情をを見て直ぐに口を閉じたからよしとしよう。


「何か御用でしたか?」


 言いながら城崎はわざとらしくスマホの画面を確認する。着信の履歴は一つも見当たらない。そうしてため息をつきながらスマホをポケットにしまうと、相手が口を開いた。


「ごめんなさい。特に用がある訳ではなかったのだけど、姿を見かけたので……」


 何を言っているのだろうか。城崎は内心盛大に舌打ちをした。映画館の前にいたのはもう一時間以上も前になる。偶然を装うにしては時間がかかりすぎだ。


「あなたには、興味のない映画でしょう?」

「そんな、今話題の作品じゃないですか。人気の俳優が主役を務めてますし」

「麗子さんの好きな俳優は違ったと思いますが?」

「あら、目の保養にはなりましてよ?」


 そう言いながら下から探るような目線を向けられるのは気分のいいものではなかった。だいたい、株主優待を使って貸切で使用しているのに、どうして麗子が入ってきたのか。答えは簡単で、麗子が末端とはいえ二階堂の姓を持っているからだった。だから映画館のスタッフも麗子をこちらに通してしまった。実際のオーナーでは無いけれど、やはり二階堂の名前をチラつかせればどうとでもなるものだった。


「この後は?お時間ありますの?」


 そう言って麗子は気安く城崎の体に触れてくる。正直それを鬱陶しいと思いながらも、城崎はやんわりとその手を自分の体から離した。


「まだ観終わってませんし、予定もあります」

「じゃあ、ご一緒してもかまわ     っ」


 麗子の目線が定まらなくなりアチコチを見遣る。そうしてゆっくりと顔を動かし、シートの方を見た。あかりの消えた室内には、スクリーンの方を向いたシートが五つ。ガラス越しにスクリーンに映し出された映画が見える。シートに座っていないから、室内に設置されたスピーカーから映画の音楽が聞こえてくるだけだ。

 室内が暗いから正確には分からないが、少なくとも麗子の表情からは、先程の城崎を誘うような妖艶さは無くなっていた。


「   なにか?」


 城崎はゆっくりと室内の状況を確認しながら麗子に声をかけた。なにか肌にチリチリとしたものを感じるが、別段城崎にとってそれは嫌な感じがするものではなかった。だが、麗子は違ったらしくスクリーンを、否、一つのシートを凝視している。


「ど、なた、か  いらし、て?」


 麗子の顔を見ればなにか焦っているような感じがした。瞳は落ち着きなく揺れている。


「予定があると言いましたよね?」


 城崎が麗子の耳元で低い声で伝えれば、麗子は踵を返して部屋を後にした。扉を閉める音が少々したが、それでも映画館の扉であれば遮音の為で許容範囲とするしかない。

 城崎は顎に手を当て考える。こんな時は何をして機嫌を取ればいいのだろうか。今までの経験からはどうにも対処方法が分からない。何しろ無自覚であるから、そこをピンポイントで指摘するような態度を取れば、更に不機嫌になることは予想が着いた。


「ごめんね。うるさかった?」


 シートに近づきできるだけ腰を落として声をかける。跪くのではなく、あくまでも目線を合わせるかのような姿勢をとる。


「別に」


 ほんの一瞬、視線が城崎に来た。だがスクリーンはクライマックスを迎えているから激しく画面が切り替わり、音も派手になってきていた。蒼也は体をシートに埋めるようにして座り、臨場感を満喫するかのようにスクリーンを凝視していた。

 仕方なく城崎は隣のシートに浅く座った。蒼也の様子を見ているのだが、あまりにもその表情が動かない。流れる映像や音楽に反応を示しているようには到底見えなかった。そうしているうちに、映画が終わりガラス窓の向こうが明るくなった。個室の方もそれに合わせて明かりがついて蒼也の顔がハッキリと見えた。

 静かに城崎の喉がなる。

 無自覚にその特性を纏ったオメガがそこにいた。

 乞うことへの衝動に駆られながらも、アルファとしての矜恃がそれを許さない。否、今それをしたところで無意味だと理性が理解する。


「映画楽しかった。ありがとう」


 そう告げると、蒼也は立ち上がった。無自覚に流されるフェロモンに城崎の欲が反応する。押さえつけでも今すぐに手に入れたいという衝動を抑えつつ、城崎はゆっくりと立ち上がり蒼也の腕を掴んだ。


「ご飯、食べに行こうか?」


 表情の抜け落ちた横顔を見つめる様は滑稽に見えることだろう。アルファがオメガに縋りついているのだから、見世物にしかならない。幸いなのはこの部屋が一般席より高く設置されていて、そちらからは角度がついて見えにくくなっている事だろう。


「腹減ってないから」


 蒼也がそう言って城崎の手を振りほどこうとした時、タイミングを合わせて城崎が一歩踏み出し間合いを詰めた。


「カフェで軽食ぐらいならどうかな」


 振りほどかれなかった腕から手を取り城崎は蒼也の顔を覗き込む。だが蒼也は眉間に軽く皺を寄せ、空いている方の手で城崎を押し返した。


「この匂い嫌いだ」


 蒼也にそう言われて城崎の手が緩む。驚いた顔をしているうちに蒼也がトビラにまでたどり着いた。ドアノブにかかった蒼也の手を城崎が上から押えた。


「お願いだから」


 城崎に言われて蒼也が下から睨みつける。だが半開きの口からは何も言葉が紡がれない。


「蒼也くん、機嫌直してくれないか?」


 城崎に言われて、蒼也がハッとした様な顔をして、そうして頬の辺りを歪ませた。アルファを拒絶するフェロモンが濃くなったことに、自然反応してしまった城崎は、オメガを押さえつけようと反射的にフェロモンを出してしまった。


「  っ、んなっ」


 何かを払い除けるように腕を動かしたあと、蒼也の背中が扉に当たり、そうしてそのままズルズルと床に体が沈んで行った。

 

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