第9話

「さぁ、午後は歩いてみようね」


 午前中は基本と乗り方だけだったが、今度は実際に馬に乗って歩いてみることになった。


 あの雑誌のご令嬢のように優雅に乗りこなすことが出来るだろうか、と万喜たちはわくわくしながら馬場へと向かった。


 まず、経験者だからと万喜と穣が馬に乗った。


 二人はとことこと馬を歩かせた後、速歩でぐるりと馬場を回って見せた。


「わぁ、すごい」


 佐々木さんたちに手綱を持って貰いながらだけども、見事に馬に乗った二人を見て皆は歓声を上げた。


「ねぇ、万喜さん」


「琴子さん? なあに」


「ありがとう、こんなに楽しい体験ができるなんて万喜さんのおかげだわ」


「そんなことないわよぉ」


 と、言いつつ、万喜はまんざらでもない気分だった。




 楽しい乗馬の時間はあっという間に過ぎていく。


 半日かけて交代交代に、それぞれ馬に乗って歩くところまでは体験することができた。


「ねえ、雄一さんかっこよかったわよね!」


「琴子さん、そんなに大きな声で恥ずかしいよ。そんなこと言ったら清太郎さんは初めてなのにあんなに乗れて凄かったよ」


 琴子は雄一が馬に乗っている姿がとても気に入ったのか、帰り道でもずっとそのことを話している。


「あら、お兄様はきっと明日は筋肉痛になってるわ」


「琴子! ……まあ否定できないけど」


 全員楽しそうにしているのを見て、万喜はほっとした。


「また来年も来ましょう。そしたら今度は牧場の周りを馬で散策できるわ」


 万喜がそう呼びかけると、美鶴は是非と頷く。


「穣、あんたは遠慮してよね」


「どうしてですかお姉様」


「どうしてって、あんたも来年はお友達と来なさいよ」


 もう中学生だというのにどこまでお姉ちゃん子なのだ、と万喜は呆れた。


「だって穣はお邪魔虫じゃないの」


「そんなことないわよ……」


「琴子さん、あんまり甘やかしては駄目よ。すぐに調子にのるんだから」


 見ると穣は不満だらけの顔をしている。


「だったらお姉様だってお邪魔虫じゃないか」


「なんでよ」


「だってお姉様以外のお友達は婚約者と来ているんでしょう。お姉様がもうちょっと遠慮したらふたりっきりでいられるのにさ」


 穣の言葉に、万喜はガンッと殴られたような気分になった。


 私が邪魔だというのか。弟のその言葉は、いつでも場の中心でいたい自分には大変にショックだった。


「……ちょっと私その辺を歩いてくるわ」


「万喜さん?」


 急に立ち止まった万喜に、琴子がびっくりした顔をして駆け寄った。


「穣くんはちょっと口を滑らしただけよ」


「だとしても不愉快だわ。みっともなく怒ってしまいそうだから……お願い。せっかくの旅行をいやな思い出にしたくないの」


「……わかったわ」


 琴子は先に行っていた一同に、万喜はちょっと一人で散歩をすると言いに言った。


 しまった、という顔をしている穣がちらりと見えたが、万喜は見ないふりをした。




 別荘に帰る道の手前で、万喜は別の道に向かった。


 静かで少し暗い林を歩いていると、むかついていた気持ちがだんだん静まってくる。


 すると、穣の言ったことも少しは分かるような気がする。


 本当なら万喜はもう少し雄一と清太郎に配慮をするべきでもあるのだ。


 でもわざわざ仕事だってある清太郎まで誘ったのは、自分たち三人の友情を見て貰いたいという気持ちがあったから。


「だってこれからどうなるか……わからないじゃない」


 いずれ籍を入れて夫婦となるのと違って、万喜と琴子と美鶴とは学校を卒業したら毎日会うこともない。


 もしかしたら人生の中の一瞬で消えてしまうかもしれないその関係を、これから彼女たちと過ごすだろう誰かに見て貰いたかった。


「ああ、でもやっぱり腹が立つわ」


 お邪魔虫は万喜の方だと言った穣はある意味鋭い。


 万喜だけが、卒業後どうするのかまだ決まっていないのだ。


 ふらふらと足下が定まっていない自分はみんなの中で浮いているのはなんとなく感じていた。


「結婚……かあ」


 万喜にはいまいちピンとこない。


 万喜は自分がわがままで自分勝手なところがあると自覚している。


 そんな自分と連れ添ってくれる人なんているのだろうか、と思う。


 できれば……許されるなら今のまま、いつまでも遊んでいたい。それが万喜の正直な気持ちだった。


「……っ」


 気がつけば、万喜の頬に一粒涙がこぼれていた。


 こんな辛気くさい自分の姿なんか、友人たちに絶対見せたくない。


 万喜は鼻をすすると、わざと大きな声を出した。


「そんなの無理か!」


 気持ちも落ち着いてきたし、万喜がそろそろ引き上げようかと思った時だった。


 道の先に誰かが蹲っている。


「こんなところに誰……?」


 この道の先に民家なんてあったかしら、と万喜が訝しんで足を止めると、万喜に気づいたその人物が顔を上げた。


「Please,help……」


「えっ」


 万喜の前で倒れている人物は、青い目に茶色い髪の――外国人だった。


「どうしましたか……えっとhow can I help you?」


「Oh, good. I'm actually hurt, and I need your help.」


「あっ、ええと」


 万喜は早口の英語にしどろもどろになった。


「ごめんなさい。英語は得意じゃないの」


 申し訳なさそうにそう言うと、その男性はああ、と言った。


「大丈夫、日本語できます」


 その流暢な日本語に万喜はほっとして、改めてその男性を見た。


 彼の近くには自転車が転がっている。


「もしかして転びましたか?」


「ハイ、足痛くて立てません」


 万喜はちょっと考えた。


 彼を放ってはおけないが、とても支えて歩けそうにない。


「今、助けを呼んで来ますから……ちょっと待っててください!」


 万喜はそう言い残して、別荘に向かって駆けだした。

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