第6話

 激闘のテニス勝負を終え、早めの風呂を済ませた一同はフサさんの声で食堂に集まった。


「良い匂いね、フサさん」


 万喜が声をかけると、フサさんは嬉しそうに笑い、配膳台を運んできた。


「お客様が沢山いらっしゃるので作りすぎてしまったかもしれません」


 夕食は元コックの新田さんが腕によりをかけたものだ。


 品書きによると、前菜は車エビのジェリー寄せ、それからシャキシャキのサラダ、緑豆のクリームスープに、鯛のポワレ、ビフテキ、手作りのパン、それからチョコレートのムース。


「どれもこれも美味しいね、万喜」


 コンソメのジェリーに普段物を食べている時は静かにしている美鶴が、珍しく感嘆の声を上げた。


「そうでしょ、新田さんは元々浜松で洋食店をしてたのよ」


「へぇ、東京の洋食屋でもここまで腕は良くないよ」


 カリッと皮目を揚げ焼きにした鯛のポワレを口にした清太郎も関心したように唸る。


「ありがとうございます」


 その声が聞こえたのだろう、キッチンからのそりと新田さんが出てきた。


「最近の店は流行りに乗っかって、禄に修行もしてないようなのがやってたりしますから。それにこっちは山間の新鮮な野菜と遠州灘の魚もあるんでね」


「新田さんは上野の洋食店で修行しててね、息子さんに店を譲った後もこうして腕を振るってくれるのよ」


 一同はなるほどそれは大したものだ、と目の前のご馳走に舌鼓を打った。


 量もそれなりにあったが、それは若い胃袋には太刀打ちできない。


 ぺろりと平らげる皆の様子を、新田さんとフサさんはニコニコしながら眺めていた。


「おなかいっぱーい」


 万喜もいつも以上に食べてしまった。


 やはり友人達と賑やかな食卓を囲んだからだろうか。


 食後の紅茶をいただきながら、皆その後は居間でゆっくりと寛いで過ごすことにした。




***




 翌日、チッチッと可愛らしい鳥の声と何かの気配で万喜は目覚めた。


 いつもと違う天井に、一瞬ここがどこだか分からなくなる。


 時計を見ると九時半をちょっと過ぎたころだった。とても熟睡していたらしい。


「そっか……私、御殿場にいるのね」


 朝日の差し込んでいるカーテンを開くと、朝靄にかすかに霞む庭を眺める。


「ちょっと琴子さん、朝食も前なのにどこいくんですか」


「そっちにね、行きに小川があるのが見えたのよ」


「みんなが起きてからにしましょうよ」


 琴子と雄一が、言い合いをしながら庭に出ている。


「おーい」


 万喜はそんな二人に二階から声をかけた。


「だったら朝食は小川で食べましょうか?」


「あら、万喜さん。それは言い考えね」


「ちょっと待ってて、フサさんに言ってくる」


 万喜は部屋を出て、キッチンへと向かった。


「ねぇ、フサさん。今日の朝食は近くの小川でいただきたいのですけど」


「あら、いいですわね。では籠につめましょうね」


「ええ、お願い」


 万喜はそれから急いで部屋に戻ると、寝間着からワンピースに着替えた。


 今日のワンピースは黄色の小花柄。


 きっと木々の緑に映えて見えるはず。


 それから顔を洗って、寝癖がちょっとついているのを水をつけて直す。


「さぁ! 皆さん朝ですよー」


 万喜がすっかり仕度を調えてもまだ寝ている人たちの部屋をノックして回りながら、下の階に下りる。


「万喜さん、フキさんがこれ用意してくれたわ」


 琴子の声に目を向けると、食堂に可愛らしいハンカチで覆われた籠が二つ置いてある。


 ぺらりとめくって中を見ると、炒り卵とレタスを挟んだものとチーズとトマト、それからイチゴのジャムを挟んだサンドイッチが入っていた。


 それから、届いたままの瓶入りの牛乳。


「ふぁぁ、おはよう」


 その時、大あくびをしながら清太郎が階段を降りてきた。


「涼しいせいかね。ぐっすり眠ってしまった」


 それから少し遅れて美鶴も降りてくる。


「万喜、もうちょっとゆっくり寝かせてよ。休みなんだから」


「何言ってるの、もう十時よ。さぁ行くわよ!」


 万喜は籠を持つと、美鶴の腕を掴んで小川に向かった。


「うーん、気持ちいい」


 ひやりとした朝の空気と、木々の青い香り。それを胸いっぱいに吸い込んで、脇の小道に入っていく。


「ここでしょう?」


「そう!」


 急に開けたところに川が流れている。


 近所の人が通るだけの簡単な木の橋があるだけの素朴な風景だった。


「そこにござを敷きましょう」


 雄一が裏の小屋から持って来たござを小川の近くに敷いた。


 そこに籠を置いて中身を取り出すと、みんなそれぞれその上に座った。


「それでは、いただきます」


 みなで野外で朝食なんて、とても特別な感じがすると思いながら、万喜はサンドイッチにかぶりついた。バターのたっぷり使われた洋風の炒り卵がとても美味しい。


「んん、琴子さん。ことさら美味しいように感じるわ」


「そうね、万喜さん」


「二人とも、牛乳を忘れているよ」


 美鶴がコップに注いだ牛乳を渡してくれた。


 それを受け取ってぐびぐびと飲み干しながら、琴子は思い出したように言った。


「そう、うちね牛乳配達の契約をしたのよ。健康にいいし、背が伸びるんじゃないかって……」


「あら……」


 万喜はまたか、と思った。


 琴子は自分の身長が少々小柄なのを気にしすぎる。今で十分可愛らしいのに、と。


「だけど女中のタマが気味悪がって飲まないから余ってしまって。ほら日持ちもそんなにしないでしょう」


「それならお料理に使えばいいのじゃない? 洋食には牛乳を沢山使うわ。新田さんに聞けばいいんじゃないかしら」


「ああ、そうね! ありがとう!」


 そんな風に談笑しつつ、サンドイッチをすっかり食べ終わった頃に、フサさんがポットに入った紅茶を持って来てくれた。


「美味しい……」


 美鶴は紅茶をすすりながら、小川の流れを眺めている。


 そんな美鶴に万喜は声をかけた。


「ねぇ美鶴さん、ちょっと入ってみない?」


「え、危なくないかしら」


「大丈夫。とても浅い川だし、流れだってゆっくりよ」


 では、と腰をあげた美鶴をきっかけに、皆、靴と靴下を脱いで裾をからげて小川に足をつけた。


「わぁ、気持ちいい」


 と美鶴が言うと、雄一は流れに指先をつけて、確かにと頷いた。


「ひゃあ! 冷たい!」


「はは、琴子は大げさだな」


 大声を出した琴子を清太郎が揶揄う。


「お兄様、これでもそんなこと言える?」


 それに意趣返しするように、琴子は水の中に両手をつけて、水鉄砲を繰り出した。


「あ、馬鹿。やめろって」


 清太郎は手を振って琴子の攻撃を躱す。


「ははは……」


 皆、その様子がおかしくて、思わず笑ってしまった。


「なにやってるんですか?」


 ――その時だった。


 声のした方向を見て、万喜は息を飲んだ。


「どうしてここにいるの、みのる!」


「お知り合いなの? 万喜さん」


 そう琴子が聞いてくる。


「あー……えっと……上の弟……」


 万喜がそう答えると皆、上の道にいる男の子を見た。


 切れ上がったまなじりと、つんと小さな鼻が万喜によく似ている。


「こんにちは、みなさん。東雲穣です。姉は皆さんにご迷惑はおかけしてませんか?」


「こんにちは……」


 皆、突然の闖入者に驚きながらも、川の中から挨拶をした。


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