一章 琴子

第1話

「どう、タマ……ばっちり決まっているわよね」


「ええ、おかわいらしゅうございます」


「そしてこれね」


 琴子はえび茶の袴の上からバンドをした。バンドには梅の紋章のバックルがついている。琴子がこれから通う、梅野女学校の校章だ。


 それにブーツを履いて、琴子の機嫌はうなぎ登りである。


「お、ハイカラだね」


「あ、お兄様。では、琴子は勉学に励んでまいります」


「……ああ。なんなんだい、そのしゃべり方」


「土地の言葉じゃ東京の女学生さんになれないべ」


「ほー……」


 清太郎がちょっと呆れ気味にしているのも目に入らず、琴子は意気揚々と女学校へと向かった。




「それでは転入生を紹介します。天野琴子さんです。東京には来たばかりだそうですので皆さん親切にしてさしあげてね」


「よ、よろしくお願いいたします」


 ずらりと並んだ賢そうな、育ちの良さそうな同級生たちを前に、琴子は緊張の頂点にいた。


「あちらの席へどうぞ」


「は、はい」


 なるべくなまりの出ないように短く琴子は答えて、さっさと自分の席についた。そして授業の間もジッと真面目にしていた。


「――ねぇ」


「は、はいっ」


 授業が終わった休み時間のことである。くるりと振り返ったのは前の席の生徒である。セーラー服を着て、地毛なのか、ゆるいウェーブのかかった髪をリボンでまとめてとても同い年とは思えないくらい大人っぽい。


「私、万喜。東雲万喜。よろしくね」


「はい……天野琴子です。万喜……さん……万喜さんと呼んでいいですか」


「いいわよ。琴子さん」


 にこっと笑うと万喜の頬にえくぼが出来る。急に親しみ易さを感じて琴子はほっと胸を撫で降ろした。


「……あなた、かわいいわ」


「かわ、かわいい……ですか」


「ええ、お人形さんみたい」


 チビだ、寸足らずだとばかり言われていた琴子は、そんな風に褒めて貰ったのは初めてだ。


「私、かわいいものが大好きなの」


「あ、あはは……ありがとうございます……」


 万喜の言葉に、琴子が顔を真っ赤にしていると、少しハスキーな声が琴子の頭の上から降って来る。


「万喜、あんまり転入生をからかうんじゃないよ。困っているじゃないか」


「ああら、思ったことを言ってるだけよ」


 そう万喜をたしなめる声の主を見て、琴子は度肝を抜かれた。


「私は美鶴。西条美鶴。よろしく」


「は、どうも!」


 彼女は白いリボンタイのついたブラウスにズボン姿……つまり男装をしていたのだ。髪も耳の下くらいで切りそろえている。


「……あの、聞いてもいいですか」


「どうぞ」


「その格好……学校でなにか言われませんか?」


「ああ……三日に一回は文句を言われるね、ははは」


 琴子の質問に美鶴はなんでもない、といった感じで笑い飛ばして見せた。


「でもね、みんな言うんだ……似合ってるって。君はどう思う?」


「へ!? あの……似合っています……」


 琴子からしたら羨ましいくらいの長身に、すんなりとした手足を見せつけるようなズボン姿。確かにこれ以上ないくらい似合っている、と琴子は思った。


「倒錯的よねぇ……ふふふ」


 そんな目を白黒させている琴子の反応を見ながら、万喜はそう言って笑っていた。


「は、はい……」


 こくこくと頷きながら、琴子はこれが東京なのか、これからどうすんべと心の中で叫んでいた。




 ――梅野女学校。


 創立は女性宣教師によるミッション校で、単なる良妻賢母の育成機関としてではなく、英語や西洋式マナーなどを含めた先進的な女子教育を目指していた。この学校において、校則はひとつもなく、おのおのの持つ聖書に従い日々をすごせ、との院長の言葉のみが生徒を統率していたのである。


「――と、いう訳で私の心の聖書にはズボンを履くなと書いていなかったのさ」


「は、はあ……」


 琴子は美鶴のその説明を聞きながら、それでも大変に勇気のあることだ。と思った。教室を見回しても、そのような生徒は居ない。唯一万喜がセーラー服を着ているだけである。琴子の田舎の女学校とはまるで違う……。これが東京なのか、と琴子は思った。そしてそこに、この二人が大変変わっているだけだと教えてくれるものは居なかった。


「万喜さんはどうしてひとりだけ洋服なの?」


「私の家は百貨店なの。これから洋服はどんどん広まってきっとみんな着るようになる。とても合理的で動きやすいもの」


 そう言ってじーっと琴子を見てくる。


「あ、あの……?」


「学校が終わったらお茶をしない?」


「え……いいんですか?」


 琴子はさっそくお友達ができた、と心の中で拍手した。


「ええ、おしるこはお好き……?」


「おしるこ……好きです、ええ」


「じゃ、きまり」


 という訳で放課後は万喜と美鶴とお茶をすることになったのだった。


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