浅葱幕振り落とし

NEMAWASHI

「待って……待って!」


 七緒は驚いた。まるで瞬きをするみたいに、一瞬で景色が入れ替わった。耳を劈く爆撃音も、火薬の匂いも、魔法のように姿を消した。代わりに目の前に広がるのは、ひたすら静かで、仄暗い夜の闇。


「此処はどこ……?」


 一見すると秘密の『地下通路』に似ているが、此処にはわずかではあるが、明かりがある。それに扉や、建物も。七緒は今、見知らぬ路地裏に立っていた。


 辺りを見渡す。七緒のすぐ隣に、黒フードの男が立っていた。

『瞬間移動』。

あるいはそれに似た、この男の『能力』だろう。顔がすっぽりフードに覆われているので、口元しか覗けない。全身黒ずくめの男……よく見ると、背丈は七緒よりもうんと低く、少年のようだった……に向き直り、七緒は声を震わせた。


「貴方は誰……?」

「此処に、『道花師』が住んでいます」


 黒フードは、七緒の言葉には意を介さず、軽やかに喋り始めた。声が高い。やはり少年だろう。七緒のすぐ後ろにある古びた木製の扉を指差し、ほほ笑んだ。


「長旅ご苦労様です。オ……七海さんは此処で『花』を受け取り、今後の作戦を練るのが良いでしょう。それではご武運を」

「待ちなさい!」

 スーッと、煙のように消えようとする少年に、七緒は叫んだ。


「貴方は誰なの!? 此処はどこ!? 一体どうやって……」

「そんな一遍に質問されても……」

 少年は可笑しかったのか、ぷっと吹き出すと、上半身だけその場に止まった。七緒は険しい顔のままだ。少年が肩をすくめた。


「……ぼくは、政府に隠れて『無能』と呼ばれる人々を手助けしている、とある地下組織の一員メンバーです」

「地下組織……」


 そういうがいることは七緒も知識として持っている。『無能』は人間だと言い張る人たち。崇高なるナントカカントカ(忘れた)というご大層な大義を抱え、全人類の『能力の解放』を謳う集団。七緒は警戒を解かなかった。目の前の少年が本当のことを言っているとも限らない。一体どんな理由があって、自分を此処に連れて来たのか。


「オ……七緒さんも、今回の件で、気がついたんじゃないですか?」

「何……なんて?」

「『無能』は人間だということを」

「……!」


 少年は口元に笑みを携えたまま捲し立てた。


「良いですか? 能力のあるなし関係なく、彼らは元かられっきとした人間なんです。『無能に人権がない』なんて、一部の特権階級がでっち上げた、都合のいい大嘘なんですよ。彼ら上空国民は能力があるのを良いことに、本来庇護するべき弱者を切り捨てに走っている。挙句奴隷まで作り上げて、中間層も管理統制、そして自分たちだけに権力と富を……」

「長々とご高説をどうも……。宗教の勧誘なら他所でやってもらえるかしら」

 七緒は目を釣り上げて少年の上半身に詰め寄った。


「これは宗教なんかじゃない、ぼくらは真実を」

「”今回の件で”って言った?」

「え?」

「貴方……私をつけてたのね? ”今回”のあの、殺戮ショーを見てた……知っていたのね。知っていて、見過ごした!」

「…………」

「貴方は大勢の『無能』を見殺しにしたのよ! ななかちゃんも……何が『無能』を手助けする地下組織よ! 言ってることとやってることバラバラじゃない!」

「ぼくは……」

 いつの間にか七緒の目が潤んでいた。少年が少したじろいだ。


「ぼくは……仕方なかったんだ。大いなる目的のために……。事実、貴方は道中、疑問を抱いたはずだ。彼らは本当に、蔑まれて当然の存在なのか? と」

「何よ……!」

「……てっきり、ぼくらの考えに賛同してくれるものと」


 七緒はゾッとした。ななかと過ごした日々。確かに概ね、その通りになった。だが、何処までが計画されたものだったのだろう? 七緒が遭難することも、大勢の『無能』が襲われることも、彼らにとっては想定内のことだったのだろうか?


「……近々大きな戦いが起きます」


 少年が気を取り直して、本題に入った。


「ぼくらの仲間に、未来を知っている者がいる。恐らく戦争になるでしょう。『無能』が人権を取り戻すための戦争です。ぼくらは今、その準備をしているんです」

 戦争……。確か河童某も、そんなことを言っていた。

「……それで? 私に何の関係が?」

「まだ分からないんですか?」


 少年が身を乗り出してきた。その頬は、興奮からか少し朱が差している。


、この戦争の指揮を取るんですよ。七海七緒さん! 遠くない将来、貴方が偉大なる革命の指導者になるんです! 虐げられてきた者たちを『解放』するため、七海さんが英雄になって」

 ぱん!

 と音が弾けた。気がつくと七緒は、少年の頬を打っていた。


 バカ言わないで。大勢の人が死ぬことを、そんなに嬉しそうに言わないで。


「ここに!」

 少年も負けじと声を張り上げた。


「ここに二つの選択肢がある。一つは……」


 ①つは、抗って闘う。


「有能無能問わず、大勢の人が犠牲になるでしょう。場合によっては、何百万何千万が死ぬかもしれない。それでも、この聖戦に勝てば『無能』は解放される。人間が、人間らしく生きるための戦いです。それとも『無能』は、このまま黙って殺されてれば良いんですか?」

「…………」

「もう一つは」


 ②つは、何もしない。黙って現実を受け入れる。


「……その場合、戦争は起きません。でも、『無能』は報われません。世界は今のまま。平和のままです。その一部の人々のために作られた平和の裏で、人間扱いされない何かが、奴隷が、家畜が、知らぬ間に何百万何千万と殺されていく。そんな平和です」


 正しい戦争と、間違った平和。

 貴方ならどちらを選びますか?


「私……は」

「……次に会う時は、良い返事を期待してますよ。ではまた」

「待ちなさい!」


 ハッとして、彼女が手を伸ばした時には、少年の上半身は、煙のように消え失せていた。薄暗い路地裏に静寂が押し寄せる。一人取り残され、七緒は途方に暮れた。


 ……今の出来事は、本当に現実なのだろうか?


 まるで夢を見ているようだった。それも、ひどい悪夢だ。

 戦争。道花師。地下組織。奴隷解放。聖戦。

 先ほどまでの会話の節々が、ぐるぐると頭の中を回り続ける。


 それから七緒はゆっくりと後ろを振り返った。

 そこには燻んだレンガの壁と、古ぼけた木製の扉があった。

 そう。

 あまりにも荒唐無稽な話が続いたのですっかり忘れていたが、

 少年はこうも言っていた。もしこれが現実で、少年の話が本当なら……


 


 がちゃり。


 と、不意に向こうから扉が開いて、七緒は飛び上がった。


「どうしたの?」

「……!」

「何の騒ぎ?」


 部屋の明かりがほんのりと路地に漏れ、七緒の影を細長く伸ばした。

 扉の向こうからひょっこり現れたのは、草臥れた顔をした男だった。歳は四十歳くらいだろうか。白衣を来た中年男性が、七緒の姿を見かけ、右手でメガネをずり上げた。


「あれ? 君……?」

「あ、あの」

「どっかで見たことあるねえ?」

「あの! 貴方が『道花師』ですか?」

「え?」


 七緒が問いかけると、男は吃驚して、

「そうだけど……」

「え……」

 その返事に七緒も吃驚した。


 道花師。探していた、あの。実在したのか。

 もっとこう……

 赤い服を着た、恰幅のいい白髪のお爺さんをイメージしていたが。


 いやいや。この男が嘘をついている可能性もある。

 あの黒フードの少年の手先かもしれない。

 まだ、敵か味方かも分からないのだ。


「君は?」

「私……私、七海七緒です」

 七緒は気を取り直して言った。


「私、花を……道花師あなたを探してて。あの、六道六太って奴と一緒だったんですけど」

「ああ、六太くん」

 六太の名前を出すと、男は嬉しそうに顔を綻ばせた。その様子を見ると、二人は以前から知り合いだったようだ。首輪はないので、『無能』ではなさそうだが。さしずめ辺境の地で自分の研究に没頭する、変わり種の科学者といったところだろうか。


「それでこんなところまで来たの? へええ。じゃ、機械羊駝スーツも一緒かい? 六太くんは今どこに?」

「あ……死にました」

「死んだ??」

 せっかく元の位置に戻したのに、男のメガネがまたずり落ちた。


「死んだって? そりゃまたどうして?」

「河童を捕まえようとして……それで、一緒に地獄に転がって行って」

「ふぅむ。何を言っているのか良く分からないが、とりあえずお入り。寒かったろう……」


 その一言で、七緒は、自分がひどく疲れているのだと思い出した。白衣の男が、七緒を家の中に招き入れてくれた。ちょうど東の空が煌々と、浅葱色に染まっていくところであった。

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