20.半竜人族の少女、命を懸ける。

ウォルが目を開けると、自分が横たわっていたベッドの白いシーツが目に入る。部屋の明かりはついたまま。

窓の外は完全な闇ではなく、少し青い色が入っていた。眠い目を擦って壁の時計を確認する。その針は日付を超えてすぐに陽が昇ることを示していた。

両手両足に力を入れて起き上がる。

ディースとホールンさんと別れて本当にすぐに眠ってしまったようだ。着ていた服は昨日と同じ。上の羽織りもそのまま。

完全に目が覚めるまで、ウォルは窓の外を見て過ごすことにした。ちょうど窓の縁が広くなっていて腰をかけるにはちょうどいい。

改めて部屋を見てみると、かなりいい所だと言うことがわかった。

大通りを見下ろせる大きな窓に、そこそこの部屋の広さ。圧迫感も感じないし、広過ぎて違和感を感じることもない。

窓から下の大通りを見ていると、人の動きがよくわかって面白い。

殆どが店の開店準備をする店員さん。

ちょうど今首都に到着したらしい隊商キャラバンが大通りを進んでいく。宮殿の近くにある大きな商館に行くのだろうか。

警邏けいらの竜が列をなして飛んでいく。

ギリギリ見えた円門の上。ちょうどウォルが見ていた時に、誘導灯の灯が消えた。

『そういえば、向こう側にディースの拠点があるはず。』

そう思い出して対角線にある建物を見ると、なんとディースの拠点の部屋がわかる。あの本が置いてある部屋だ。

真っ暗な建物の中で、唯一淡い明かりが付いている。

その真ん中にあるソファにディースが座り、膝の上で本を開いているのが分かった。

ディースは気づいてないのだろう。ふふっとウォルに笑みが溢れる。

ちょっと遠くて見づらいが、多分古代魔術オールド・ソーサリーを使ってしまえば覗きがバレてしまうだろう。ディースやウォルほどの術者は感知や解析に対する反撃カウンター術式を常時展開していることが多いからだ。

ずっとソファに座っているディース。そんなディースを眺めるウォル。

しばらく見ていると、ディースの手が止まっていることに気づく。よくよく見て見ると、首がうつらうつらと動いている。なんと座ったまま寝てしまっているではないか。

ディースでも、ソファで寝ちゃうんだ。

いつまで経っても変わらない光景に、ウォルは一度だけ記憶保存の術式を使う。後でディースの前で投射して揶揄ってやろう。

笑いを漏らしたウォルは動き出す。

部屋のもう一つの扉を開けて湯船があるのを確認し、シャワーからお湯を出して溜め始める。このシャワーの使い方も幻想舎でマスターしていた。喞筒ポンプを使ってお湯を引き上げ、任意に出し入れすることができる。これもエンデアだけが持つ技術。

お湯が溜まるのを待つ間にトイレに行き、服を脱ぐ。

鏡の前で、ウォルはふと足を止める。腕の鱗が心做こころなしかはっきりわかるように思えたのだ。

腕の外側に三列に鱗が生えている。今までは少し柔らかいような感触だったのに、触ってみれば爪と当たってカチカチと音がするほどに硬い。

確かめてみると、脚の鱗も腕のように硬い。だがそれらと違って顔の鱗は今まで以上に皮膚と一体化したようでほぼ触った感じで分からなかった。

これも後でディースかホールンさんに聞いてみよう。もしかしたら竜力が高まっているのかもしれない。考えられる理由としてはそれくらいだ。

湯船からお湯が溢れる寸前で気付き、お湯を止める。そのままお湯の中に滑り込んだ。

「はぁーっ…。」

お湯の温かさと程よい圧力。手先足先の冷えがなくなっていく。

昨日一日の疲れからやっと解放されたようだ。

お湯に身体を任せて目を閉じる。

なぜか分からなかったが、ウォルはふとディースの眼を思い出す。

初めて会って、古代魔術オールド・ソーサリーを教えてくれた時、幻想舎から離れる際、石を手渡してくれた時。そして昨日会って魔術ソーサリーの話をしている時。

暗い目の中に何か吸い込まれてしまいそうな感覚を覚える。

ロノは“世界龍ルイン”様が好き、シャレンはホールンさん銀角龍が好き。

じゃあ私もディースを好きになっていいかな…。

そこまで考えたウォルは咄嗟に首を振って記憶を消そうとする。

「だめだめ、そんなこと考えちゃいけないの。」

自分に諭すように声を出し、ウォルは頭を洗うために洗髪剤シャンプーに手を伸ばす。


風呂から出たウォルは、『“ボックス”』の中から服を取り出す。

昨日二龍ふたりに買ってもらった服でもいいが、今日も実験をしたりするのなら慣れていて動きやすい服を着た方がいいかと踏んだのだ。

タオルで濡れた髪を乾かしながらベッドのある部屋まで戻る。窓の外を見ると、さっきよりも人通りが増しているように感じた。

ディースの姿は…もう無かった。

寝室に行ったのか、はたまた宮殿の方に仕事をしに行ったのか。

ディースやホールンさんが迎えに来てくれるのはおそらく陽が登り切ってからだろう。

髪を乾かして整え終わったウォルは、少し散歩をしてみようと部屋を出る。

せっかくの首都の朝。下に降りるための昇降機エレベータに乗った。

まだ陽が登り切っておらず、薄暗い首都。それでもウォルが思った以上に人通りがあった。それでも流石に昨日の夜と比べれば人通りは格段に少ない。

開店準備をしているお店を眺めながら、ウォルは円門の方に歩く。

ちょうど人が並んでいるお店がある。その入り口まで行ってみると、外に出されているメニューからカフェだということが分かった。

せっかくなのでゆったりした朝を過ごしてみるのもいいかも。

ウォルは並んでいる最後尾まで戻って自分もその列に加わった。

「貴女もカフェに?」

ちょうどウォルの前に並んでいたおばあさんが話しかけてきた。

「はい。お姉さんはいつも朝ここに?」

「あらあら、お姉さんだなんて。老人の扱いを心得ているわね。

 ええ、いつも朝ここの朝食を食べるのよ。」

ウォルにしてみれば“幻想龍”であるステアを基準にしたので、このおばあさんでも格段に若いのだろうと口に出したのだが、思わぬ方向に転がった。

「貴女、あんまり見ないけれどここは初めて?」

「はい、昨日首都に来たばかりなんです。

 朝の散歩をしてみようと思って、いい店があったから立ち寄ってみたんです。」

「ならちょうどいいわ。もしご迷惑でなければ一緒に朝食をどう?」

ディースには石で後から連絡をすればいいか、と判断して頷く。

「いいんですか?ご一緒しても。」

「もちろん。この老人の話し相手になってちょうだい。」

ちょうどその時カフェが開いて、人の列が流れ出した。

「二人よ。」

そのおばあさんが店員に指を二つ立て、特等席なのであろう窓ぎわのテーブルに向かう。

注文を取りに来た店員に、おばあさんは軽快に答える。

「私はいつもの。この娘は…。貴女は何にする?」

「じゃあ私もその『いつもの』を!」

ウォルはメニューを見なかったが、この人が頼むものなら間違い無いだろうとそのまま頼んでしまう。

「私は灰竜グレイのキャロリア。

 若い頃は無茶をしたものだけど、今は引退して窓ぎわ暮らしよ。」

「あの、ウォルです。」

「ウォルちゃんは…竜?竜人?竜人にしては鱗が少し不思議な感じね。」

「父が竜人の半竜人なんです。」

「あらそうなの!綺麗な鱗ね。

 昨日ここにきたと言っていたけど、何かその理由があるの?」

ウォルは首都に来た目的を掻い摘んで話す。

「“死眼龍”のところで古代魔術オールド・ソーサリーの研究を。」

「“死眼龍”様の。ウォルちゃんは優秀なのねぇ。」

ここで『いつもの』が運ばれてくる。パンと目玉焼き、サラダにベーコンとそれにスープがセットになったモーニングだ。

二人は早速食べながら、キャロリアさんの過去のことについて話をする。

「キャロリアさんは何の仕事をしてたんですか?」

「私?私はねぇ、軍で諜報員をしてたのよ。」

「諜報員!?」

「そうは言っても人間の国で暮らすだけなんだけどねぇ。

 私は危険な地域に関わらなかったけど、定期的にその国で起こったことを報告するの。」

キャロリアさんは北西の人間の国にいたらしい。戦争もなく比較的安定した地域で、現地でも物知りおばあさんとして人気だったのだという。

若い頃は竜の中でもいち早く人の形態をとることを覚え、その練度は龍に褒められる程だったとか。その後は“影鎗龍”という国の諜報部門を管轄する龍の一人に師事し、トップの成績で訓練所を卒業。諜報員として活躍する。男勝りですぐに手が出る性格で、貶してきた上官の竜を叩きのめしたこともあったらしい。

「あの時は楽しかったわねぇ。」

そう言って満遍の笑みを浮かべるキャロリアさん。

朝食を食べ終わった二人は、食後のコーヒーを飲んで落ち着く。

キャロリアさんはブラックのコーヒーだが、ウォルはカフェオレにしてもらった。

朝陽が登って辺りが明るくなってきた。



「うわぁーーっ!!」

「逃げろ!」

「衛兵は!?」

突然響く怒号。円門の方から走ってくる人がカフェの席に座るウォルからも見えた。

「何事だろうねぇ。」

キャロリアさんとウォルはカフェの外に出る。

そして、カフェを出てすぐに目につく、暴れる赤色の龍。ウォルにはその龍力の大きさからすぐに龍だと判断することができた。

「まさか!“赤煌龍”様だよ!?」

龍が我を忘れて暴れている。その姿は暴力の化身。

キャロリアさんをはじめそれを目撃した人々は『龍が暴れる』という想像もできない事態に呆気に取られている。

思わずウォルは走り出す。その龍の方に。

のたうち回るように暴れる龍。まるで急に目の前が暗くなって錯乱しているようだ。

その巨体は大通りを突き崩す。踏み出した脚が地面を破り、今、その尾が建物に当たって崩壊を引き起こす。

動かした翼が風を起こし、周囲の店の硝子ガラスを粉々にする。

「グゥゥゥ!」

赤い龍が頭を地面に打ち付ける。それは道を粉砕するだけでなく衝撃波を発生させて逃げ惑う人々を襲う。それに吹き飛ばされて地面に倒れ込む人たち。かなり距離があったので飛ばされただけで済んだ人が大半のようだ。

ウォルは隈なく周囲を観察する。

周囲にいた人の大半は逃げおおせたようだが、ウォルはその龍の足元に赤い服を着た子供達の一団がいることに気づいた。

龍の脚で死角になって、衝撃波からは難を逃れたようだった。

『“颶風の箭サイクロン・ダート”!』

古代魔術オールド・ソーサリーを展開して一気に加速。

龍の身体の合間を縫って、固まって怯える子供たちの元へ。

「掴まって!逃げるよ!」

そう声をかけながら何人かを抱える。

さいわいにして子供達の数は七。二回の移動で救助できそうだ。

「ちょっと痛いけど我慢して!」

ウォルは指輪で筋力を強化して、四人を一気に移動させる。

カフェまで戻り、キャロリアさんに四人を預ける。

「子供達をお願いします!」

「わ、分かったよ!」

素早く反転して龍の方へ戻る。ちょうどその時残った三人の頭上に龍の脚が迫っていた。

間一髪で掻っ攫い、再びカフェの方へ。

「先生、先生が…!」

「先生?」

ウォルに抱えられたその子供は暴れている龍の方を指差す。

「レドル先生…。」

なんとその龍はこの赤い服を着た子供達の舎の主人だったようだ。

だとすると子供達を連れて歩いていた時に突然暴れ出した!?突発的なものであるようだ。

「何事だ!」

「状況は!?」

竜と竜人の衛兵が駆けつけてくるが、ウォルはそれを制止する。

「衛兵下がれ!相手は龍だ!無駄に犠牲を増やすな!」

火事場の馬鹿力、いや、馬鹿意志と言うべきか。

「一般人の避難を優先しろ!」

その怒気を含んだ少女の声にその緊迫した状況を感じ、無言で従う衛兵達。

先程の衝撃で倒れた人たちを起こして離れた場所に連れて行く。


まだ暴れる龍の周囲には人がいる。建物がある。龍をウォル一人で無力化することはできない。

ならばそれができる他の龍が来るまでになんとか抑え込んでいればいい。

『“拡大する音マグニフィケイト・サウンド”』

ウォルは一気に龍の眼前まで飛び上がる。

「レドルさん!聞こえてる!?力を制御しなさい!」

「ヴォロロァー!!!」

突如龍の目の前に浮かび上がった少女から発される大きな声。周囲にいた人の視線を集める。

だがその声は龍の叫びにかき消されてしまった。

ネェェーッ!!小さぎ者!!」

ウォルの目に龍の口に龍力が集結していくのが見える。それは現実でも赤い光球となって顕現していた。

まずい!

『“撃斥の龍鱗ドラゴンズ・スケイル”!』

放たれるは龍力の奔流。この世界で最も高威力と言われる攻撃の一つがウォルを襲う。

目の前に半透明の楯が現れる。それがウォルに到達する直前にその前に割り込んだ楯だったが、赤い奔流を受けて一瞬でひびが入る。

『受け切れない!』

そう判断してウォルは左上に飛び退く。目の前の楯が割れる。

難を逃れたかに見えたが、無情にも咆哮ブレスは目の前の標的を追尾する。より上空に逃れようとするその小さな存在に。

ちくしょうっ!

『“投げ槍ジャベリン”!』

ウォルは即時展開を用いて無理やり作り出した簡単な攻撃をそれに放つ。

生成されると同時に咆哮ブレスにぶつかって霧散する槍。だがそれは小さな効果を発揮する。

角度にして数度、ほんの少しだけその流れを屈折させたのだ。強大な光熱線がウォルの右肩と髪の毛を抉る。

槍を使って屈折させていなければウォルの心臓を正確に射抜いたに違いない。

その瞬間左手の金属の腕輪ブレスレットと首にかけた黒い石が輝く。

だがそれに気づいている余裕などウォルには無い。

この龍はウォルに向かって攻撃する時に声を発した。まだ意識を持っているんだ。

だがその意識も錯乱に呑まれている。今のこの龍は自らの意思で周囲を傷つけてしまう。

だったら…沈んでもらうしかない。

強烈な痛みに耐えながらも、ウォルは術式を構築していく。

こんな痛み、慣れっこだ。

久しぶりの身体が傷つく感覚。あの時のように痛覚を遮断し、目の前の龍に視線を向ける。次に龍が動けば即座に反応できるように。

『“天星の眼スター・オクルス

 “渦風の砦サイクロン・フォートレス

 “撃斥の龍鱗ドラゴンズ・スケイル”↗︎改良インプルーヴ↗︎“龍楯の球陣スフェイアスケイル

 “豊穣の雨レイン・フォース

 “旱天の傘ドラウトパラソイア

 “蜘蛛の鎖陣チェイン・サークル”↗︎改良インプルーヴ↗︎“渦球の宙鎖チェイン・セレスティアル

 “気の圧槌エアプレッシャー

 “寒雨の奪ヒートスティール”』

そして奥の手。

『“歪天秤の審判ディストード・ライブラ

 “底無しの水瓶アンリミテッド・アクアリアス”』

ウォルと龍を包み込むように風が発生する。

シェーズィンでは外側の暴風から内側を守った風。だが今回は内側の戦いから外側を守るために。そして半透明の菱形の盾が風の内側に隙間なく張られていく。

回復の術式を受けてウォルの傷が少しづつ治っていく。だがその回復術式が龍に当たることは無い。

羽ばたいて飛びあがろうとする龍に天体の鎖が巻き付いた。それは両端の一番大きな天体が地面に繋がれ、龍を上から押さえつける。

さらには大気の圧力が龍を押さえ、その鎖を支援する。

周囲が急激に冷えて龍の熱を奪う。龍の纏う赤い力が少し弱まった。

そして奥の手の術式はウォルが一から構築したもの。

いかに古代魔術オールド・ソーサリーに深い知見を持つ龍といえど、この術式に対応することは不可能。ディースとホールンさんという実力者にすら、その二つの術式を使えば勝てるとウォルは踏んでいた。

歪天秤の審判アンバランス・ジャッジメント”はまず相対する双方の術式展開時の力を全て均等に割り振る。その上で拮抗した天秤を術者の方に傾ける。即ち使用した時点で確実に有利を取れるという代物。

格下に使うと術者が不利になるが、今の相手は龍。その効果は如実に現れる。

注意点とすれば、適応されるのが術式展開時の力だと言う点だろうか。相手がそれ以上に力を込めれば容易くその有利は覆されてしまう。なので本来は相手との応酬が拮抗した時に展開するのが最適。だが今回は相手の力を削ぎにかかることを優先した。これで無理やり相手の力を下げたのだ。

底無しの水瓶アンリミテッド・アクアリアス”はウォルの作り出した最強の対龍術式。

それは効果範囲内の相手の龍力を奪って蓄積し、ウォル自身の龍力として供給する。相手の龍力に比例して吸収量も多くなる。龍がその種族に由来する力で攻撃や防御、その他行動をすればするほどウォルにとっての力に変換されていくのだ。ただし、一気に龍力を吸収するわけでは無いので吸収しきるまでの時間が必要。

さらには、龍力の権化である二つ名持ちの龍の力を全て吸収できるわけがない。竜人やその辺の竜であれば容易に無効化できるのだろうが…。やはりここでは相手の力を可能な限り極限まで減らす目的で展開している。

これら二つはウォルがディースと試合たたかった時から構想を練り、ようやく作り上げたもの。その複雑さは最も複雑と言われる空間系統の術式の十倍以上。さらにそこに数多の守りの術式を追加して反撃カウンター術式では打ち消せず、解析術式でその効果を探れないようになっている。

ウォルは瞬時に思考する。

原初の言葉オリジンズ・スペル】を使われたら、拘束をはじめとする古代魔術オールド・ソーサリーの術式は粗方が一瞬で解ける。奥の手の二つならば一拍は持つだろうが、それに匹敵する新たな術式をその間に展開することは困難だ。

原初の言葉オリジンズ・スペル】が使われることを防ぐには、圧力と痛みを加えて錯乱と激怒の状態にさせておくしかない。

ウォルの拘束と防御が破れて今ここで暴龍が解き放たれれば、他の龍に抑え込まれるまでに確実に死人が出る。私が諦めるわけにはいかない。

ディースから蘇生不可能な力を使う龍もいると聞いた。今目の前にいる龍がそれに当てはまるかは分からないが、二つ名持ちの龍なので可能性が無い訳では無い。

龍の身体が赤く光る。龍力の発散。

囲んでいた殆どの楯が割れるが、それによって勢いを殺された赤い力は旋回する風にかき消される。思惑通りだ。

先程の楯割れ具合からその龍の出力を計算していた。あの咆哮ブレスは防げないが、通常の龍力の発散は展開してある術式の作用も相まってほとんど無効化できる。

『“星屑の光芒スターダスト・レイ

 “撃斥の龍鱗ドラゴンズ・スケイル”<強化リィンフォース<“龍鱗の三重陣トリプルスケイルズ

 “界断の天球スペースドーム”』

撃ってきたならば打ち返すまで。お返しとばかりに龍の周囲に浮いた星から光が放たれる。

「ヴロロロ…!」

龍が痛みから声を漏らす。

その光線は半数以上が龍鱗と常に放出される龍力の前に弾かれたが、いくつかは微弱ながらもダメージを与えている。

さらには円形に囲む楯が三重の強固なものに。そして球状の薄い膜も展開される。

龍は発散で敗れなかった防御を突破しようともう一段階その力の強さを上げるはず。ウォルもそれに合わせて防御を三重にして対抗する。

抑え込む少女、抗う龍。

周囲の人々は逃げることもやめてそれに見入っていた。衛兵すら武器を取り落としてそれを眺めている。

龍は身体の随所に光線を受けた傷が目立ち、宙に浮く少女も治りきっていない肩に、目、鼻、口から血が垂れている。もう限界が近いのだ。回復の術式を重ね掛け、思考加速に反応速度向上の術式も展開済み。

ズン!

重い音と共に地面が割れて亀裂が四方に走る。龍の前足が一つ立ち上がる。

それを拘束していた星の鎖が切れたのだ。

すぐさま近くの盾が動いて物理的にその動きを止めようとする。その間に新たに三本の鎖が作られる。

押さえ込みに成功したかに思われたが、突如として緩んだ鎖の隙をついて龍が首を上げる。

再びそのあぎとに集まる龍力。先ほどよりも溜めが長い。

それを止めようと鎖が、光線が、槍が飛ぶが、顔や首が傷つくことを意に介さず龍は光球を作り続ける。

その龍の顔以上に巨大になった赤い光球は再びウォルに放たれる。

それはウォルと大通りを薙ぎ払い、宮殿の中心に直撃する位置取り。

無理だ、防げないし逃げられない。

『“放出の壺ファイアベイス”』

ならば自らを犠牲にしてでも後方への勢いと力を弱めなければ。

自分は一度なら致死攻撃を免れる。ウォルは左手の紐飾りを前に突き出す。

展開した反撃カウンター術式に咆哮ブレスが到達。もちろんそれで吸収し切れるわけがない。

ウォルの前に紐飾りから出現した赤橙色の文字が浮かぶ。

ウォルを赤い光が覆う。

ああ、私が死ぬときはこんな光景や意識なんだ…。ウォルは限りなく加速された思考の中で自覚する。

身体を赤い光が焦がす直前、その文字の力を受けて、光が消滅した。

だがその咆哮ブレスの余波でウォルが張った防御の術式は全て解かれてしまっている。今や龍を抑え込んでいる鎖も、その身体に巻きつく一本だけだ。

反撃カウンター術式発動。

吸収した分だけの咆哮ブレスを撃ち返す反撃カウンター術式。細い光が龍に向かって伸びる。

龍の顔面に直撃し、衝撃を与える。だがそれは少し首を逸らしただけに過ぎない。

龍の目がウォルを捉える。

両脚で立ち上がり、『次こそは逃さない』そう言っているようだった。

一瞬龍は思案する。再度咆哮ブレスを撃ち込むか、体当たりをするか。己の牙で食いちぎってもいい。

その一瞬を逃さず、ウォルは叫ぶ。ありったけの力を込めて。

自分の力を初めて認めてくれた龍。あの自分を見つめる黒い眼差しを思い出して。

「ディース!!!」


『任せろ。』

そう声が聞こえた気がした。

目の前に滑り込んできたのは赤い龍よりもひとまわり大きい漆黒の龍。

黒龍はその腕で赤い龍の首を掴み、勢いをつけて地面に叩きつける。

赤い龍は暴れてその腕を除けようとする。だがどれだけ暴れても、首を押さえつけているその拘束を解くことはできなかった。

「万物は我が眼前にて終わりを迎える。死眼!」

ディースの左眼が黒紫に輝く。

ウォルは急に力を失って、自由落下しながらもその眼を見ることができた。

ああ、綺麗な眼。

良かった、誰も死んでない。幸い余波で怪我をした人もいないようだ。

ウォルが地面にぶつかろうというその瞬間、黒いローブを羽織る人物が飛んでくる。

人の姿になった“死眼龍”がウォルを両手で抱えて受け止める。

ウォルはその人物の左目が潰れて血を流しているのに気づいた。

薄れゆく意識の中で手を伸ばし、古代魔術オールド・ソーサリーを展開する。

「“回生の聖域リザレクト・サンクチュアリ”。」

顳顬こめかみに触れていた手がゆっくりと落ちる。

“死眼龍”の腕の中で半竜人族の少女は力を失った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る