男女の夜





 お見合いしたその日の内に結婚までを済ませてしまった男女。



 その名も…神楽夫婦。



 旦那政宗は定時きっかりに仕事を終わらせて帰宅する。普段ならジムで筋トレを一時間、その後サウナで汗を掻き帰宅するものの、今日からは直帰。




 閑静な住宅街に、一際目立つホワイトハウス。庭に敷かれた人工芝、よく分からない大きな噴水。実家で飼っている犬が遊びに来た時用の犬小屋は、未だ未使用。




 厳重なバリケードの柵は暗証番号付き。因みに『1122』結婚記念日だ。それをピッピと入力し終えると、素早くスマートに開閉して玄関までの道筋を辿る。




 指紋認証又はパスコードで施錠可能なハイセキュリティな扉を開ければ、既に並べられたピンヒール。



「…。」



 政宗は何かを言いかけた。それは、(ただいま)の言葉。だがしかし、思い留まり言うのを止めた。



 無言のまま靴を脱ぎ、シューズクローゼットに今日の革靴をしまいつつ、嫁の無駄に高いヒールを二本の指で釣り上げて、序でにしまう。



 棚に置いた後は、嫁の靴に触れた指先の匂いを確認し、無臭である事に安堵した。



 その後、リビングへと足を運ぶと、ふわりとスパイスの香りが政宗の鼻腔を擽ぐる。




(今夜はカレーか…)



 政宗は幼少の頃から実家で食事を担当してくれた年配女性が作る料理が大好物だった。


 仕事の付き合い以外は、お袋の味しか口にしない政宗は、実家に我儘を通し、その女性をこのホワイトハウスに引き抜いてしまったのだ。



 もうかれこれ二十年以上の女性も、未ではいい齢…休みなく働いてくれる事に感謝しつつも、ある不安が頭を過っていた。







 終身雇用だが、果たしていつまで働いてくれるのか…。



 自身は二十代の若造。相手は親の親世代。神楽組では下請けの職人で腰の曲がった爺さんが、未だ現役で工事現場に立っている。



 だがしかし、相手は女性だ。





 足取りはキッチンへと進むと、立ち止まってしまった。



 新婚生活始まって五ヶ月弱、嫁のエプロン姿を見たのは初。



 否…家で嫁の姿を見たのは、昨日と今日で二度目。




「あら、おかえりなさい。」


「…ただいま。」



 ぶっきら棒に返事する。仁王立ちしてお玉を片手に、使用人が作ったであろうカレーを火にかける姿は、あの雪乃からは想像がつかない光景だ。



「なに突っ立ってんのよ、さっさと着替えてきたら?」



 大変棘のある雪乃の口調に、政宗は離しかけた意識を取り戻すと、軍隊の如く回れ右して二階へと上がっていった。




 旦那政宗が去った後、雪乃は温め終えたカレーを皿に装うと、パタパタと足音を立てて四人掛けのダイニングテーブルに対角線になる様セッティングしていく。



 次に冷蔵庫の野菜室から葉物を取り出すと、それらを適当に千切り盛り付けオリジナルのドレッシングを掛ければサラダの完成だ。



 この時、雪乃は失敗している事実に気付いてはいない。








 白金家の生粋のお嬢様は、幼少期の頃からお茶にお琴、生け花に数カ国の外国語を学習し、とても有能な女性へと成長は致しましたが…彼女も政宗同様に、実家では家事の一切を手に付けた経験は無く…。



 実家の母から嫁入り用で頂いたプレゼントのエプロンは、可憐な娘にぴったりな鮮やかな花柄の生地だ。




 それを空いた隣の背凭れに掛けて着席すれば、軽装に着替えて戻ってきた政宗の動きを密かに観察する。




「いただきます。」と手を揃えた政宗は、まず初めにスプーンを手にし、カレーを口に含ませる。



まあ何も言う事なしの百点満点の味わいだ。




 政宗は安心して、次はいつもと違った歪な盛り付けのサラダを食べようと箸に持ち替えた。



 すると斜め向かいから感じる熱い視線に気付いてしまう。



 直前で箸を止め、雪乃の方を向けば…




「どうぞ食べて?」と妙に御機嫌である。



「ああ…。」と恐る恐るレタスをひとかけ持ち上げて口に運ぶと、初めの咀嚼でガリガリとした不快感を得た。




 ん⁉︎と、政宗は咄嗟に手のひらに吐き出し、何も無くなった筈の口の中を舌で確かめる。



 ジャリジャリ…ジャリジャリ…。



「どうかした?」


「いや、砂が…。」


「え、本当に⁉︎あらやだ…せっかく作ったのに、」



 雪乃痛恨のミス…野菜はしっかり洗いましょう。本日より教訓となる。



 そして雪乃の発言で、政宗はこのサラダが嫁の初手料理だと気付くのである。







 結局のところ、雪乃の意向でサラダはそのまま残す事になった。



 随分と静かな食事を終え、後片付けを始めた両者は、真っさらになったテーブルに再び集まる。




「…さて、妻は旦那に料理を作る。これは見事クリアね。」


「ん、どこが。」



 昨夜の某会議と同様に、険しい顔したこの夫婦。



 世間が思い描く世紀のビッグカップルかれらは、華やかだが厳しい家元を離れ、人間味のある生活を送っているのだと勝手に想像し続けている。





「今日は趣味の時間・・・削り・・・、嫁が待つ家に直帰してきたぞ。」



「言い方が気に食わないけど、まあ良しとしましょう。」






 互いが調べた夫婦の意味。共働きの癖に、専業主婦の仮定の動きをしてしまうアホ二名…。




 両者共に、本日成し遂げた報告会を繰り広げて、何故か御満悦なのである。





「あ、言い忘れてた。」


「なにを…」


「お風呂にする?ご飯にする?それとも私にする?」



「やっぱりそれはお約束なのか?飯は食ったし、風呂に入って読書したいんだが」




 至って真顔で繰り広げられるこの劇場。この夫婦は大真面目なのである。








 夫婦の新婚生活は、引っ越し当初からすれ違いの日々。



 家の事業が締結し、戸籍が書き換えられただけ。嫁入りした雪乃は神楽を名乗るが、旦那と過ごす時間は、合計したって一日にも満たない。




 今世紀最大の美男美女夫婦の子供はどんな子だ?と二人が知らず知らずのうちに世間で騒がれている『第一子は男女どちらなのか』論争。




 皆様申し訳ございません…この男女、初夜も未だの夫婦でございます。




「あなた明日は何時に起床する予定?」


「朝は五時だ。」


「随分と早起きなのね…折角だから起こしてあげるわ。」




 起きれるかどうかは後にして、一般的な夫婦は、妻が旦那を起こすらしい。



 雪乃は自分が思っていた時間よりも早いことを知ると、目を泳がせながら今夜は早く寝ようと心に誓ったのであった。




 第二回夫婦会議が終了し、やっと趣味の時間を取り戻した政宗は、風呂上がりに書斎に籠り、昨晩読み掛けていた漫画を読み進めた。




 一方で雪乃は政宗が入った後、長湯に浸かり、風呂上がりはフェイスパックを貼り、リビングでテレビを鑑賞しながらストレッチに励む。



 本日知った情報では、今季の恋愛ドラマが熱い。とのこと、




「ほほ〜う。ふむふむ…。」



 木曜日の今日は、不倫を題材にしたドラマだった。



 夫婦が出てくるが、なんにも参考にならない。…とは、口が裂けても雪乃に言えない。





 


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