エミリアーヌは、おばさんだけど恋したい。

長岡更紗

01.出戻ってきた四十歳

 


 ──お嬢様、どうぞお幸せに。



 そう言って、見習執事のディオンはエミリアーヌを送り出してくれた。

 

 当時エミリアーヌは二十四歳。貴族社会では行き遅れとされる年齢だ。

 だから、そんなエミリアーヌを迎えてくれたフランドルに、両親は手放しで喜び感謝していた。フランドルは侯爵家の一人息子だったから、余計だろう。

 行き遅れ子爵令嬢だったエミリアーヌに拒否権などなく、ぼうっとしている間にいつの間にか結婚させられていた。



 それから十六年の月日が経ち、エミリアーヌは懐かしの我が家……メルシエ家で、両親と兄夫婦に頭を下げることとなった。


「恥ずかしながら、戻って参りました」


 子どもができなかったエミリアーヌは、夫に三行半みくだりはんを突きつけられた。

 四十になっても子のできぬ妻はいらないと、遠まわしにそう告げられたのだ。

 エミリアーヌの周りには誰も味方はおらず、実家に戻るしか道はなかった。


 両親も兄も残念そうに息を吐いたが、「仕方ない」と最終的には納得してくれた。


「どこかの後妻にでも入れたらいいんだがなぁ」


 やれやれと言った感じで父が腕を組んでため息を漏らす。

 ああ申し訳ない、とエミリアーヌは肩を竦めた。

 この年では後妻に入るのも難しいだろう。有力な貴族ならまだしも、ただの子爵の出戻り四十女では、不可能に近い。


「申し訳ございません、お父様お母様」

「誰か、あなたでももらってくれる方がいればいいのだけど……」


 母も困ったように頬に手を当て、沈んだ言葉を出した。


「僕の方で、どなたか良い方がいないか調べてみるよ」


 兄の言葉に、エミリアーヌは顔を上げた。

 おそらく、そんな人は見つからないだろう。いや、見つかってほしくなどなかったエミリアーヌは、年の割に高い声を上げた。


「私、結婚は、しばらく、その……」


 そこまで言うと、両親達の冷たい目が突き刺さって、エミリアーヌは口を閉じる。

 一刻もはやく、エミリアーヌには片付いてほしいに違いない。

 今度は誰のところに嫁がされるのかと思うと、それだけで暗い影が背中に差した。


「旦那様、お嬢様は長旅でお疲れのご様子。この話はまたにしてはいかがでしょうか」


 間に入ってくれたのは、後ろに控えていたディオンだった。


「そうだな、今話し合っても相手がいないことにはどうにもならん。とにかく、貰い手が決まってからまた話そう」


 そう言って父が立ち上がったのを皮切りに、ディオン以外の全員が部屋から出て行く。

 パタンと最後に扉を閉められる音を聞いて、エミリアーヌはようやく息を吐いた。


「大丈夫ですか、お嬢様」

「ディオン……大丈夫よ、ありがとう」


 当時見習い執事だったディオンは、今では家令兼執事という存在だそうだ。

 エミリアーヌよりも二歳年上で、現在四十二歳のはずである。


「お嬢様と呼ばれるのも、おかしいわね」

「お嬢様はお嬢様でございますから。お待ちください、お嬢様と仲の良かったパメラを呼んできましょう」

「あら、パメラがまだいるの?」

「ええ、メイド長になり、みんなに煙たがられてますよ」


 ディオンがそう言って笑うので、エミリアーヌもクスリと笑う。

 彼がパメラを呼びに行って一人になると、これからどうしたものかと再度息を吐いた。


 また、誰かの元に嫁ぐ……それを考えると気が重い。

 このまま一生一人の方がよほど気楽だ。

 そうは思ったが、エミリアーヌは恋をしたかった。

 四十にもなって、と周りは言うかもしれない。迎えてくれる人がいるなら、後妻だろうが相手がおじいさんだろうが、行かなければいけないこともわかっている。

 けれども愛のない結婚など、もう嫌だ。しかし、そもそもエミリアーヌは恋を知らなかった。


 まだ若き頃、他の令嬢達は王子様が素敵だ、だれだれ様がかっこいいと言っては目をハートにしていたことを思い出す。

 けれどもエミリアーヌは少しぼーっとしていて、特に誰が良いとも思わなかった。そのせいで行き遅れてしまったのもある。

 エミリアーヌはかつての彼女達のように、恋をしてみたかった。

 一人の人に夢中になり、そしてやがて結ばれる。それはすごく幸せなことのように思えて、憧れていた。


「お嬢様ぁ!」


 扉を開けてパメラが入ってくると、彼女は座っているエミリアーヌの目の前に跪いた。


「パメラ」

「お嬢様、お久しぶりでございます! ああ、もう、お会いできて嬉しいやら、お嬢様に対するフランドル様の仕打ちを思うと悔しいやらで……っ」


 パメラがエミリアーヌの元夫の名を呼んで、悔しそうに奥歯を噛み締めている。

 こんな風にエミリアーヌの気持ちに共感してくれるパメラが懐かしく、そして嬉しく思った。


「いいのよ、パメラ。子を生めなかった、私が悪いのだわ」

「けれどもお嬢様、フランドル様は結婚後、二年も経たずに妾を持って子をしているではないですか! こんな仕打ち、他にありませんわ!」


 パメラがぷりぷりと腹を立てているのを見て、エミリアーヌは少しだけ微笑んだ。

 このことに関しては、もう諦めているのだ。文句を言うつもりもなかった。妾を持つことだって、貴族ならよくある話なのだから。

 パメラが開けっ放していた扉からディオンが入ってきて、こちらを見ては息を吐き出している。


「パメラ、はやくお嬢様をお部屋に案内しなさい。全く、メイド長になってもあなたはうるさいまま変わらない」

「ディオン様に言われたくないですわね! もう、いつも細かいところまで突っ込んでくるんだから」

「はやく行きなさい」


 呆れたディオンに促されたパメラは、エミリアーヌを部屋まで連れていってくれた。

 元々エミリアーヌが住んでいた部屋は、兄夫婦の長男の部屋になっているらしい。

 あてがわれた部屋は、元の部屋の三分の一もない狭いところだった。四十歳の出戻り女としては、ちょうどいい部屋なのだろう。


「申し訳ございません、お嬢様。もっといいお部屋をと旦那様に直訴したのですが……」

「いいのよ、パメラ。その気持ちだけで十分だわ」


 パメラはエミリアーヌよりも二つ年下の三十八歳。十五歳の時からこのお屋敷に勤めているので、エミリアーヌは妹のように彼女を可愛がっていたことを思い出す。あの頃のパメラと比べると、ずいぶん貫禄がついていて、妹どころかお姉さんだ。


「あなたも老けたわね、パメラ」

「当然ですわ、お嬢様! あれから十六年も経っているんですのよ!」

「結婚はしたの?」

「う! ……それは禁句ですわ、お嬢様」

「あら、それはごめんなさい。あなたは恋をしたことがあるのかと、気になって」

「恋、でございますか?」


 初めてその言葉を聞いたと言わんばかりに、パメラはきょとんとした後、にっこりと笑った。


「まさか、お嬢様からその言葉を聞けるとは、夢にも思いませんでしたわ」

「あら、そう?」

「そうでございますよ。昔からぼーっと……コホン、少々おっとりとしていらして、殿方に興味をお持ちになったことなど、一度たりともなかったではないですか」


 それはそうだとエミリアーヌは頷きを見せる。

 そして今も、特に男性に興味があるわけでもなかった。

 ただエミリアーヌは、相手の男性を思って語らう幸せそうな女性に、自分もなってみたかっただけ。


「私ね……恋をしてみたいのよ」


 エミリアーヌが正直にそう伝えると、パメラは顔をパッと明るくした。


「それはようございますね、お嬢様!」

「いい……のかしら?」

「いいに決まっております! 恋に年齢など、関係ございませんよ!」


 パメラにそう言ってもらえると、少しだけ安堵した。

 きっと家族に同じことを言ったら、『もういい年なのに夢を抱くのはよせ』と一蹴されていただろう。

 エミリアーヌはいつかまた、親の決めた人と結婚することになるはずだ。

 だから、それまでの間だけでもいい。誰かを、真剣に好きになってみたかった。

 本の中にあるような、恋い焦がれるという気持ちを知りたかったのだ。


「誰を好きになったらいいかしら?」

「そうでございますねぇ……恋というものは、好きになろうと思って好きになれるものでもありませんから、難しいですわね」

「そうよね……」


 ガックリと肩を落とすと、パメラが慌てたように声を上げた。


「お嬢様、まずは身近な男性に目を向けられてはいかがですか?」

「身近な? ……お父様やお兄様しか思い当たらないわ」

「そうですね、ディオン様はいかがでしょう? 結婚していらっしゃらないし、頼めば協力してくれると思いますわ!」

「ディオン?」


 エミリアーヌが結婚する時、『どうぞお幸せに』と送り出してくれたディオン。

 当時から色っぽい目つきをしていたが、四十を越えてますますその色気が増しているように感じる、あのディオン。

 昔からエミリアーヌを気にかけてくれたのは、このパメラとディオンの二人だけだった。確かに彼なら気安く頼めるかもしれない。


「そうね、ディオンなら頼めそうだわ」

「そうでございましょう?! 私、ディオン様に頼んできますわね!」


 そう言って、パメラはうきうきと部屋を出ていった。

 そんな彼女を見て、エミリアーヌも恋ができるかもしれないと思うと口角は上がり、心は踊っているのだった。

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