27.結婚生活シミュレーション ♡ クウルス編② → イケナイコト


 引き続き魔王との疑似新婚生活を淫魔クウルスは営んでいる。

 彼女は食事の片づけを終えたあと、魔王の蒼白い顔を見て言った。


――かおいろが、わるそう。どうしたの?」

『あんたのご飯ゲテモノのせいでしょ!』と勇者は画面モニター越しに叫んだが、相手に聞こえることはない。

「ぬ……そうだな」とすべてをたいらげ膨らんだお腹を魔王はさする。「腹が満ちたせいか、眠くなったのかもしれぬ。すこし横になってもいいか?」

「こくり」と淫魔は頷いて、魔王のことを手招きした。「よかったら、ここで」


 淫魔はソファの上で正座になり、その膝元ひざもとを指し示す。


『あ、これってもしかして〝ひざまくら〟ってやつ?』と勇者が言った。

『あら! ずるいですわー!』と聖女が悔しそうに言った。 


「ぬ――」

 

 魔王は目を二三度またたかせたあと、ソファへと近寄る。

 そして変わらずっとした表情のまま、淫魔の膝に頭をのせた。


「……んっ」と淫魔が小さくうめいた。

「ぬ? 重かったか?」

「うう、ん――くすぐったかった」

「やめるか」

「やめないで」淫魔はそこで魔王の頭に掌をあて、自らのももにおしつけるようにした。「このままでいて」


 沈黙。

 壁時計が刻む時計の音だけが部屋の中に満ちる。

 

『うーん……人がのを見るのは、なんだかむずがゆいモノがあるわね……』と勇者が言った。

『で、ですがっ! あの表情をご覧くださいまし! 太ももに顔を押し付けられようが、未だ旦那様はクウルスさんになびいてはいなさそうですわ! その調子ですわー!』

『なんか趣旨変わってない⁉ そもそもは魔王に〝恋〟をさせるキッカケづくりのための模擬結婚生活シミュレーションでしょう?』

『存じておりますわ。ですがあくまで〝ホンモノの恋〟は、モエネの出番まで取っておいていただきたいですわ~』


 などとガヤを飛ばしていたら、


「……さっきから、なんだか、うるさい」


 と。

 本来はなにも聞こえていないはずの淫魔が「じろり」と言ってウインドウ(これも彼女には見えていないはずだ)の方角をにらむと。


『へ……? クウルスのやつ、何する気?』

 

 空に手のひらをかざして魔法陣を展開し、勇者と聖女がに使っていた魔法画面ウインドウを消失させた。

 

『あー! ちょっと! なにやって――』


 ぶつり。

 勇者の叫びとともに、画面は波のように乱れて消えた。

 

 これで淫魔と魔王は、本当の意味で〝ふたりきり〟になる。

 

「ぬ……」

 

 淫魔の膝上で魔王が頭を動かした。

 髪の毛が太ももにすれて、淫魔が「んっ」と小さくうめく。

 ふたりはお互いに見つめ合うような体勢になった。

 

「ふむ。このような形で貴様を見上げるのは、はじめてかもしれぬな」と魔王は言った。

「ん……そうかも、しれない」と聖女はすこし照れくさそうに言った。

「クウルスとはもう長い時間を共に過ごしているな。余と出逢って、どれほどになろうか」

「――わからない。とても長いあいだ」

 

 淫魔はそこで長い黒髪を耳にかき上げながら言った。


「でも。わかってることは、ひとつだけ、ある」

「ぬ……?」

「私は。いつまで経っても、魔王さまのことが――


 魔王は一瞬目を丸くした。

 空虚な宝石のようなその瞳がほのかに揺れる。


「魔王さまのことが、すき」と淫魔は繰り返した。「10年前も、10年後も。100年前から、100年後まで。私は魔王さまのことを、変わらず愛しつづける」


 淫魔はそこで視線を魔王からずらした。

 窓から遠くの空を見つめるようにしたあと、ゆっくりと首を振る。

 

「でも……現実は、ちがう。魔王さまと〝ずっと一緒にいること〟は、かなわない」


 淫魔の声色の中に、金属のような冷たく硬いものが混じった。

 

「それは100年後かもしれないし、10年後かもしれない。10分後かもしれないし、かもしれない。呪い。理不尽。不条理。あるいは――〝死〟。私にはどうにもできない運命の奔流ほんりゅうによって、私たちは引き裂かれてしまうかもしれない。を、迎えてしまうかもしれない」


 淫魔は肺に溜まった空気を吐き出して、言った。


「――私たちは、永遠じゃ、ない」


 最後に彼女は口元にはかなげな微笑みをたたえて。


「だからこそ――この一瞬一瞬が、私は


 そう、言い切った。


「一秒後にはもう会えないかもしれない。この一瞬が最後かもしれない。そういうつもりで、私は魔王さまと、いっしょにいる」


 淫魔はそこまで言い終えると、掌で優しく魔王の頬を撫でた。

 

「私、本当は、わかってる。今回の〝結婚〟に――私はふさわしくない」

「……クウルス」

 

 淫魔は人差し指を魔王の口元にあてた。『なにもいわなくても大丈夫』というふうに。

  

「魔王さまが今回、だれを選んだとしても。だれと恋をすることになったとしても。やっぱりそれが、私以外だったら――。それが〝ホンモノの恋〟だったとしたら、なおさら、いや」


 嫌、と淫魔は正直に自らの気持ちを告白する。

 悔しさを滲ませて。寂しさをつのらせて。哀しみをたたえて。


「だけど――それで世界がすくわれるなら。がすこしでも長引くなら。私が魔王様を想う時間がふえるなら、がまんする」


 淫魔は続ける。


「だから魔王さまは――気にせず恋をしてほしい。それでいつか、恋に疲れたら――私のことを、思いだして。私にどんなことがあっても。魔王さまにどんなことがあっても――世界の終わりのその瞬間まで。私はあなたのことを、想ってるから」


 そこまで言い切ると淫魔は『ふう』と言って髪をかきあげた。


「ありがとう。言いたかったことは、ぜんぶいえた」


 魔王は身体を起こして、淫魔の顔をじっと見つめた。


「…………」

 

 淫魔は小さく息をついて言う。

 

「これで私たちの――最初で最後の結婚生活は、おしまい」


 どたばたばた。廊下から足音が聞こえた。

 がちゃり。扉が勢いよく開かれる。


「ちょっと、クウルス!」

「ずるいですわ!」


 入ってきたのは勇者と聖女だった。


「あらあらまあまあ……! そのようにをされて……!」と聖女は悔しそうに袖を噛む。

「そうよ! 監視の目がなくなった密室で――」

「おふたりは一体をなにをされていたのですかっ」


 そんな問いかけに。

 淫魔は臆することなく立ち上がって。


 

「ん――いけない、こと」


 

 と言って微笑んだ。



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