18.謝罪 ♡ 心身 → 言えない想い

「ごめんなさいっ、モエネのせいで……」


 聖女がぺこんと頭を下げた。

 例の仮面武道会での騒ぎもひと段落し、その帰り道での出来事だ。

 

「先ほどのゴンドレーが枢機卿として実政をまとめ上げるようになってから、聖教会の内部の様子がおかしくなってしまったのです」と聖女は続ける。

「ふうん。なんだか聖教国の中でがあったとかは聞いてたけど……枢機卿アイツの傲慢なやり方を見ると、確かに不満は出てきそうね」と勇者が言った。

「腐敗、してる」と容赦なく淫魔が言った。「モエネは、そんな教会から逃げたかっただけ。――魔王様を、言い訳にして」

「そ、それは違いますわ!」と聖女が叫んだ。「確かに今の鬱屈とした雰囲気の教会から逃げ出したかった気持ちが無かったかと言われれば嘘になります。ですが……モエネが魔王様を想う気持ちだけは、本物ですっ……!」


 勇者はそこで思い出す。

 枢機卿がモエネの身体に引きずられ、天敵であろう魔王に対してデレデレしていたことを。


「うー……確かにあのときのことを考えると……聖女が魔王のことをなのは認めざるを得ないかもしれないわね。心身一元論ってやつかしら」

「なに、それ」と淫魔が首をかしげた。

「人間にとって、心と体は別々じゃなくてひとつってことよ。魂が乗っ取られても、モエネはちゃんとってわけ」

「……なんだか、言い方が、えっち」

「変な想像しないでちょうだい!」

 

 勇者が叫んでいると、すこし後方を歩いていた魔王が口を挟んできた。


「ぬ――心と体はひとつ、か。確かにすこし、分かったかもしれぬぞ」

「え?」と勇者は驚いたように振り返る。

其方そやつの身体に別の魂が入り込んだ折、余はなんともになった。余は聖女の見目だけではない。魂について好意的な感情を持っているようだ。現に、先ほどの別の者の魂が入った其方とは――余は接吻はできぬだろう」

「魔王、様……!」と聖女が目を輝かせた。その瞳は潤み、溢れる喜びを隠しきれていない。「そう言っていただけて光栄ですわっ」


 魔王は微かに口の端を緩めた。

 今までの魔王にはなかったひどく安らかなその表情を見て、勇者は呟く。

 

「へえ。もしかしたら――今のあんたの気持ちの延長が〝恋〟なのかもしれないわよ」

「ぬ?」と魔王が目を瞬かせる。

「一歩進んだ、ってこと。当初の目的のまではいかなかないにせよ、その好意的な気持ちってのが、こ、恋の始まりかもね」

「ふむ」


 納得したのかどうかは分からないが、魔王は視線を斜めに下げて考え込むようにしている。

 

「あら、あらあら!」と聖女が嬉しそうに口を挟んだ。「ということは旦那様はやはり、このモエネに〝恋〟をされているということですわね!」

「ん……ちがう。訂正をもとめる」と淫魔が眉を寄せる。「もしかしたら一歩は進んだかもしれない。けどそれで言ったら、私とはもっと先に、進んでる」

「あら、何の根拠もありませんわね」

「モエネとは、過ごしてきた時間が、ちがう」

「恋は瞬間。長さは関係ありませんわっ」

「ん……シルルカ。やっぱりモエネごと、斬って」と淫魔はふたたび空から魔剣を取り出した。

「ちょっとちょっと、物騒なものをまた取り出さないの!」


 勇者は溜息を吐きつつふたりをおさめる。

 嘆息しつつも――考える。


 ちくり、と。

 魔王が恋の破片を認めたのが、聖女だったかもしれないと知ったときに。

 自身の心に刺さったトゲのような感情の正体を。


(……って! 別にそんなの! ……気にすることじゃ、ないわよね)


 勇者はぶんぶんと首を振るって冷静さを取り戻そうとする。


(それに……このパターンは知ってるわ。どうせいくらしてたって、張本人の魔王は全然気にもしないで。そのへんでまた蝶々とか追いかけて――)

 

 勇者は魔王のことを振り返る。

 彼は予想通り、全然別の道草でも食っているかと思ったら――


「ぬ? どうした?」


 今回はしっかりと。夕日に照らされる中で。

 の動向を見守ってくれていたのだった。

 

「あ――べ、べつにっ。なんでも、ないわ」


 勇者はふいに視線をそむけた。

 

 橙色に染まった魔王の仄かな笑顔に。

 そこに浮かぶすべてを包み込んでくれるような余裕さに。

 脳裏に蘇った一緒に踊った時の手のぬくもりの記憶に。


 不意にすこししまったなんて。


 

 ――勇者は口が裂けてでも言えなかったのだった。


 

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