16.おことわり ♡ 禁術 → 入れ替わり

「いやよ!」

「……へ?」


 枢機卿の口から困惑の声が漏れる。

 

 本来であれば。

 退というごく当たり前のお願いであったのだが――それをズバリと勇者は断った。


「魔王を倒すのは嫌って言ったの。聖女が言うとおり、この魔王は不思議なことに〝世界の平和〟を望んでいるわ。だからもうすこし――その真偽と真意を確かめるためにも。までは時間をくれないかしら?」

「何を、バカなことを……!」と枢機卿が絶句する。「魔王が平和など望むワケがなかろう! 勇者ともあろうやからが、そのような譫言うわごとに騙され正義の剣を捨てるとは……これは人類に対する裏切り行為だぞ……!」

『そうだ』『裏切りだ』『裏切りだ裏切りだ裏切りだ』と兵士たちも恨みの声をあげている。


「別に裏切りじゃないわよ。ちょっぴり、ほんのすこし――魔王のことを信じてみようってだけ」

「それこそまさしく背信行為ではないかッ!」

「だーかーらー! ……はあ。これ以上は何を話しても無駄そうね」


 枢機卿は奇妙な形の髭を逆立てながら、こめかみに力を入れ叫ぶばかりだった。


「一先ずこの場はさっさと引き上げてくれない? あたしたちはただ単にパーティを楽しんでただけなのよ。それとも――〝力ずく〟がお望みなら応えてあげてもいいけど……」


 勇者はそこで鼻から短く息を抜いて言った。


「さすがの聖教会でも、が相手だと分が悪いんじゃないかしら?」

「……チッ!」


 枢機卿は大きく舌を打ち、わなわなと唇を震わせた。『おい、お前らッ!』と聖教会の人間たちを集めて何やら密談を始める。しばらくの話し合いを終えた後に、枢機卿は大げさな咳をしてから言った。

 

「背信者どもに物申すッ! 我ら聖教会は、神の御身のもとに。正義の名のもとに。決して悪に屈することはないッ! その象徴たる聖女様が他ならぬ悪の枢軸に奪われたままでは、聖教会の威信にも関わる。しかし、お前の言うとおり――ここで魔王と勇者を相手取り一戦を交わすのは、いささか被害が甚大となる可能性がある」

「ふん、なによ。まわりくどいこと言っちゃって。素直に〝勝てる気がしない〟って言えば?」と勇者が澄まして言う。

「ゴホン!」とふたたび枢機卿はわざとらしい咳を吐く。「つまるところ現在、我ら聖教会は〝緊急事態〟の最中さなかだ! であるならば、たとえ相手が聖女様とはいえ――【禁術】の発動も余儀ないものと見なすッ」


 枢機卿はいやらしい笑みをたたえたまま、ごそごそと自らの聖衣のふところをまさぐりだした。やがて十字架のアクセサリーを取り出す。中央には濃紫色の宝珠がはまり不気味に輝いている。


「なにしてるのよ。さっき、禁術って言った?」と勇者が首をかしげた。

「はっ⁉ まさか……!」と聖女が大きく目を広げて叫んだ。「伏せてください、シルルカさんっ!」

「え? ――きゃっ⁉」


 聖女が後方から飛び出してきた。

 勇者の前に身体を入れて庇うようにする。

 その瞬間。


「禁術――〝占拠魂ソウル・ジャック〟!」


 枢機卿が叫んだ。

 掲げた十字架の宝珠から不気味にうごめく紫色のが溢れ、聖女に向かって飛んでいく。


「やっ、ああっ……⁉」


 まともに喰らってしまった聖女の身体が紫色の光と煙に包まれた。苦しそうな呻き声があがる。

 は彼女の体内へと滲むように入り込んでいった。

 

「モエネ⁉」と勇者が心配そうに叫ぶ。


 やがて発光は落ち着いた。

 苦しんでいた聖女の身体はふと力が抜けたようになる。

 ぶらんと空中に投げ出されていた頭がゆっくりと上がり、彼女は目を開いた。


 その瞳は――これまでの聖女とは異なる〝不気味な紫色〟に染まっていた。


『ク、ハハッ! 術は成功したようだな……!』


 聖女の身体が言った。

 声は確かに彼女のものであるが、言葉の節々からいやらしさが滲んでいる。

 

「……⁉ まさか、あんた……さっきのみょうちくりん髭……!」

『みょうちくりんと言うな!』とモエネの身体を乗っ取った枢機卿が叫んだ。『フン。これも聖女様の自業自得。魔王なぞに惑わされ、断固たる意志で〝帰らぬ〟というのであれば――無理に帰らせる他はあるまい』


 聖女は手を二三度開閉させて動作を確かめるようにしたあと、周囲に一瞥をくれて歩き始めた。


『ここはひとまず退散だッ! 今日の我らの目的はあくまで聖女様の奪還――目的は果たされた。あとはこの身体のまま、聖教国へと帰るのみ』

「ちょっと!」と勇者が叫ぶ。「モエネを返しなさい、このみょうちくりん髭!」


 聖女の身体はぴくりと跳ねたが、今度は振り返ることはしなかった。


『返すもなにも――聖女様の身体はそもそも我らが聖教会のだ』

「……‼」聖女を人間ではなく〝物品〟のように扱う言い方に勇者は絶句する。

『この身体には、まだやってもらわねばならぬことが残っているのだ。帰ったら二度と逃げ出すことのないよう――たっぷりと仕置きが必要だな』


 聖女の身体は片頬を歪めて言った。

 そのまま歩を進めようとしたところを――


「待て、どこへ行く」


 魔王が止めた。

 いつもと変わらない落ち着いた声だった。


『……フン、魔王か』聖女の身体が似合わない舌打ちをしながら言う。『見るにお前も単体で人間界に乗り込んできた様子。戦力としては不足だろう。今は見逃してやるが……覚えておけよ。近いうちに必ずお前ら魔族を滅してみせよう』

「ああいや、そういこうことではない」しかし魔王は淡々と否定して続けた。「今、聖女そやつを連れていかれると困るのだ。なにせ其奴は――余の〝婚約者候補〟であるからな」

『ハッ! まだそのような戯言を! 言っただろう? この身体は生涯潔白。それを憎き敵である魔王と婚約など、業務違反どころか反逆行為だッ!』


 聖女は構わず去っていこうとするが……魔王がその腕をぐいと掴んで止めた。


「待てと言っているだろう」

『ええい、何をする! はな、せ――』


 聖女が腕を払おうと振り向いた矢先で――ふと。


『……っ⁉』

 

 聖女の身体が静止した。

 彼女の視線は、他ならぬ腕を掴んでいる魔王の瞳に吸い寄せられている。

 その頬は何故だか仄かに赤らんでいる。


「どうしたのよ? ふたり見つめ合っちゃって……」と勇者が眉間に皺を寄せる。

 

 柱時計が時を刻む音が空気を満たしていく。

 やがてたっぷりと魔王のことを見つめたあとに――


 

『か……かっこ、いい――♥』


 

 などと。魔王の容貌を褒めたたえる言葉が。

 

 枢機卿が乗っ取っているハズの聖女の口から漏れた。



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