2話 ピンクの傘

 放課後。本日は部活の助っ人や、手伝いをお願いされなかった鋼太は、部活を行っていない生徒と同じように帰路につく。


 鋼太は中学校のときから、多くの部活の助っ人に顔を出すものの、正式に部活に入部したことはない。


 どの部活も面白そうであるが、一つには絞れなかったし、正式に入部してしまうと、頼られたときに自由に動けなくなってしまうことが主な理由だ。


 基本的には一人でいることが多い鋼太にとって、部活動という人間関係のつながりに羨ましさを覚えたことがあるのは本当だ。


(でもまぁ、一人の方が、早く家に帰ってお風呂に入れるからいいよな……)


 しかし、入浴剤にもはまり、次第にそう思えるようになってきた。


 鋼太にとって、困っている人を助けるのと同じくらい、入浴剤入りのお風呂に入ることは大事なことなのだ。


 そして、帰り道。鋼太がいつも、家までのショートカットで横断する公園で、どこかで見た三人組を見かける。


(あいつらは、確か……)


 鋼太は思い出す。その三人組は前に体育館裏で、カツアゲを行っていた連中であった。


 その三人組に囲まれているのは、鋼太と同じ高校の制服を着た女の子。


 前髪が長く、顔が隠れていて表情がよく見えないが、


(まぁ、嫌がってるよな、きっと)


 とりあえず、様子を見に行こうと、鋼太は三人組に近づく。


「いいじゃん! 俺らと遊ぼうよ~」


「そうそう、お金は出すからさ~」


「絶対楽しいって~」


 三人組は下心をまったく隠せていない表情、声色で女の子に話しかけていた。


「……こ、困ります」


 女の子は消え入りそうな大きさの声で、断りを入れるものの、三人組はしつこく、聞く耳を持たない。


(さて、そろそろお灸をすえた方がいいか……?)


 この三人組はこれからも多くの人に迷惑をかけかねない。


(まぁでも、あいつらの出方次第か)


 結局のところ、鋼太は警察でも教師でも、三人組の親でもない。


 更生するかどうかは相手次第。鋼太は困っている人を助けるのみ。


「あ、久しぶりじゃないスか、先輩方」


 鋼太は三人組に近づき声をかける。


「カツアゲの次は、ナンパっスか? 好きっスね、そういうの」


 そう言い、わざとらしく笑みを見せる。


「お、お前……! あのときの……!」


「な、なんだよ、お前には関係ねぇだろうが……!」


 鋼太の存在に気づき、三人組は後ずさりしながらも、女の子の手前、カッコ悪いところをみせたくないのか、語尾を強めて話す。


「そうスね、俺は確かに関係ないっスけど、その子、あきらかに困ってるじゃないスか。お優しい先輩たちなら、もちろん気づいてるっスよね?」


「こいつ……調子に乗りやがって……!」


 鋼太の言い回しに、堪忍袋の緒が切れたのか、三人組の一人、おそらくリーダー格であろう長髪ロン毛、そしてその髪に隠れたピアスを光らせる男が、拳を握りしめる。


「お、おい……こいつの力、あのときに見ただろ……」


 リーダー格の男に、取り巻きが小さく耳打ちをする。


「大丈夫だ、力と喧嘩の強さは別もんだ……! ぶっつぶす……! おらぁ!」


 取り巻きの忠告を無視した男は、鋼太に殴りかかろうとする。


(結局、こうなったか……)


 ガシッ!


 鋼太は殴りかかってくる男の拳を、片手で受け止めた。


「な……!?」


 男は驚愕のあまり、目を見開く。


「危ないじゃないスか……先輩?」


 そして、鋼太は掴んだリーダー格の拳を上から握りつぶすように力を込める。


「ぐ……いてぇ……!」


 グググッ!


 男は手を払い、逃げ出そうとするが、鋼太の手から離れることができない。


 男は勘違いしていたのだ。自分の方が喧嘩の経験値が高いと。


 鋼太は小学校、中学校のころから、人助け多く行っていた。


 その際に、今回のように鋼太のことをよく思わない同級生、先輩から多くの喧嘩を売られてきた。


 困っている人を助け、守るため、ときに殴られ、殴りを繰り返す日々。


 鋼太の喧嘩に対する実力は、そこで研ぎ澄まされた。


 人を助けるために、ときに荒らしく拳を振り回し、牙をむくその姿。


 結果として、鋼太についたあだ名が「みんなの狂犬」。


「もう、これ以上人に迷惑をかけないって約束してくれたら、離してあげますよ?」


「んだと……! そんなこと……! いってぇ!?」


 ググッッ!


 鋼太は少しずつ握る力を強め、リーダー格の男の目を笑顔で睨み続ける。


「ぐぅ……! わかった、わかったよ……!」


「ありがとうございます」


 敵わない。そう感じたのか、リーダー格の男は降参を宣言。


 約束通り、鋼太は男の手を放す。


 ドサッ!


 すると、力が抜けたのか、リーダー格の男は地面に尻もちをつく。


 その顔は羞恥のためか、とても赤い。


「だ、大丈夫か……!?」


 取り巻きに手を借り、男はなんとか立ち上がる。


「くそ……お前、顔、覚えたからな……! このままで済むと思うなよ……!」


 そう捨て台詞を残し、鋼太に握られた右手をさすりながら、男たちは公園をあとにした。


「漫画とかでよく聞く負け惜しみだな……」


 鋼太は深くため息をつくと、三人組にナンパされていた女の子の方を振り返る。


「……」


 女の子は突然目の前で始まった喧嘩に怯え、顔を両手で覆ってしゃがんでいた。


「大丈夫。もう終わったぞ」


 鋼太はできる限りの優しい声で女の子に声をかける。


「あ……」


 鋼太の声を聞き、女の子は顔を覆っていた手を離す。


 長い前髪が女の子の顔にかかっているため、相変わらず表情がわかりづらいが、三人組がいないことを確認し、少し安心した様子に見えた。


「怖がらせて悪かった。またあいつらに何かされたら言ってくれ」


 女の子は立ち上がり、鋼太の言葉にゆっくりと頷く。


 そして、


「あ、あの……ありが……」


 か細い声でそう鋼太に声をかけるが、


「じゃあ、気をつけてな」


 鋼太はそれに気づかず、女の子に背を向けると、公園を去ってしまう。


「あ……」


 女の子は控えめに鋼太の背中に手を伸ばすが、もちろん届かない。


 その手を胸の前でぎゅっと握り、女の子は鋼太の後ろ姿をずっと見つめていた。


☆ ☆ ☆


 鋼太が女の子を三人組から助けてから数日が経った。


 高校が終わった後の帰り道。天気は雨。


 鋼太は傘をさして帰りながらも、一人ある違和感を覚えていた。


(最近、帰り道に視線を感じる……?)


 誰かに尾行されているような感覚。


 以前にも、恨みを持たれた人物から後をつけられたことはあるが、だいたいは奇襲されたりなど、なにかアクションが起こることが多かった。


 相手からのアクションが起こることがなく、その違和感が続くことは珍しい。


 そして、今日。


 傘をさして家を目指す鋼太の後ろを、明らかに誰かがついて来ている。


 しかし、不思議なことにその傘の色はピンク。


 間違いなく、女の子がついて来ているのだ。


(……少し道を変えてみるか)


 もしかすると、帰り道が同じだけという可能性もある。


 鋼太はあえて、いつもショートカットに使う公園を遠回りするように歩いていくが、ピンク色の傘は鋼太の後ろを追い続ける。


(間違いなくついてきてるな……)


それでは一体目的はなんなのか。鋼太にはそれがわからなかった。


(直接聞いてみるか)


 鋼太は回りくどいことはあまり好きではないし、尾行され続けることもいい気はしない。


 鋼太の家のすぐ手前の角を曲がり、そこで相手を待ち伏せする。


「なにか俺に用か?」


「……! あ……」


 すると、とても正直にピンク色の傘を差した女の子が現れ、鋼太の待ち伏せに驚く。


「お前……」


 鋼太は目の前の女の子に見覚えがあった。


 目を覆いきるぐらい伸びた印象的な前髪。つい最近、三人組のナンパから助けた女の子だった。


「あのときの……もしかして、またあいつらに何かされたか?」


 鋼太の問いかけに女の子は首を横に振る。


「ち、ちがいます……」


「? じゃあなんで……」


「! あ、あの……」


 女の子は俯きながらも、なんとか声を絞りだそうとする。


 鋼太もその様子に気づき、これ以上は催促せず、女の子の言葉を待った。


「あのときは……ありがとうございました……!」


 そして、女の子の口からこぼれたのは、鋼太への感謝の言葉だった。


「すぐに言えなくて……ごめんなさい……」


 女の子は鋼太に向かって、深々と頭を下げる。


「それを言いに、後ろをつけてきたのか……?」


 鋼太の問いかけに、女の子は恥ずかしそうに頷く。


「別に気を使わなくていいのに……お前、面白いやつだな」


 鋼太はそう言って女の子に笑いかける。


「……!」


 女の子は鋼太の笑みを見て、ほっとしたような、それでいてどこか苦しそうに胸に手を当てる。


「あの、これ……」


 女の子は自分のカバンからリボンが結ばれた小さな包みを取り出す。


「……クッキー、です……よかったら、お礼に……」


「いいのか……?」


 花柄の可愛らしい包みに、鋼太が手を伸ばしたときだった。


 バシャー!


「「……!?」」


 鋼太と女の子の近くを自動車が一台、水たまりの水を大きく飛ばしながら通過して行った。


 二人は完全に油断しており、全身に汚れた水がかけられる。


「「…………」」


 何が起きたかわからずに、二人の間に沈黙が訪れる。


「……くちゅん!」


 その沈黙を打ち破ったのは、女の子の可愛らしいくしゃみだった。


「あー、ついてないな……」


 鋼太の制服も、女の子の制服も見事に濡れてしまっている。


 女の子については、身長が150センチほどしかないため、髪まで濡れてしまっていた。


「家は、ここから近いか?」


 鋼太の質問に、女の子は首を振る。


「さっきの公園から、逆方向、です……」


 鋼太は少しだけ考え、


「俺の家、すぐ近くなんだ。上がっていくか……?」


 そう、提案した。


「え……!?」


 女の子は鋼太が何を言ったかわからないというように、素っ頓狂な声を漏らした。


☆ ☆ ☆


「お、おじゃまします……」

 女の子は鋼太の家の玄関に上がると、控えめにそう呟く。


「すぐタオルを持ってくるからちょっと待っててくれ」


 鋼太は家に上げるとテキパキと動き始める。


「あーうち、乾燥機とかないから、替えの着替えは母さんの服でもいいか? 母さんのでもちょっと大きいかな?」


「あ、あの……!」


 女の子は思い切って鋼太に声をかける。


「ほんとにいいんですか、シャワーをお借りして……」


「俺はいいけど、あー、そういえばまだ名前……俺は石山鋼太」


「あ、ごめんなさい……! 泡乃香織、です」


「泡乃香織……へぇ、なんか入浴剤みたいで、いい名前だな!」


「へ!? にゅ、入浴剤……?」


 香織は玄関で待っている間に、靴箱の上に置かれている花のオブジェに目をやる。


(そういえば、この花の置物……入浴剤……?)


 近くのショッピングモールで、同じような商品を見かけたことがある。


 どうして、入浴剤が飾られているのか、香織にはわからなかった。


「ああ、なんでもない。泡乃が迷惑じゃなければ、シャワー使って行ってくれ。というか、風呂にも入っていけよ」


「そ、そこまでご迷惑をおかけすることは、できません……!」


「迷惑なんかじゃないって。風邪を引かれたら困るし、クッキーだってもらったしな」


「それは、わたしのお礼で……」


「よしっ準備できた」


 戻ってきた鋼太は、手にタオル、母親の服を抱えている。そして、小さな手のひらサイズの袋も。


「あの、その袋は……?」


「これか? 入浴剤。 身体が温まるように使ってくれ、この子は優秀な子なんだ」


 鋼太は空いている手で、香織にサムズアップ。


「この、子……?」


 香織は鋼太の言葉にどこかひっかかったのか、首をかしげる。


「こっちだ」


 鋼太に案内されるがまま、香織は洗面所に向かう。


「わ、わぁ……!」


 洗面所に入ると、洗面台の空いているスペースに入浴剤が常備されていることに香織は気づく。


 有名のパブシリーズから、全国各地の温泉成分が入った入浴剤まで。


「ああ、俺、入浴剤の入ったお風呂に入るのが大好きなんだ。いつでもそのときの気分に合わせて入浴剤を使えるように、その子たちにはここに居てもらっているんだ」


「そ、そうなんだ……」


「じゃあ、俺はリビングにいるから出たら声をかけてくれ」


「あ、ありがとう……」


 そう言うと、鋼太は洗面所から出ていった。


(や、やっぱり、石山くん……入浴剤のことを子って呼んでる……?)


 香織は少し疑問に思いながらも、服を脱ぎ始める。


(ほんとうに、入浴剤が好きなんだ……でも、とても、やさしい人……)


 三人組から助けてもらったとき、それに現在進行形でも助けてもらっている。


 お風呂場に入り、香織はシャワーを使い身体を洗う。


(男の子の家に上がって、お風呂を借りてる……緊張……するな……)


 それでも、鋼太のことを考えると、変なことは起きないと信頼することができた。


(とても、まっすぐな人……)


 助けられた後も、名前を名乗らずに立ち去った、見返りを求めない姿勢。


 きっと、いまだって下心など考えず、ただ香織のために動いての行動なのだろう。


 シャワーを止め、香織はじっと湯船を見つめる。


 鋼太に渡された入浴剤は使用していない。香織には、必要がないから。


(石山くんなら、私の悩み……聞いてくれる、かな……)


 香織はゆっくりと、湯船に身体をまかせた。

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