第12話 耳をふさぎたくなる

学校が終わり、チャイムの音とともに生徒達が教室を飛び出す。

晴れの日なら校庭で遊ぶ子も多いが、今日はあいにくの雨。

それでも水溜まりにジャブジャブ足を入れて遊ぶ子や、傘の水しぶきをかけあってはしゃぐ子もいた。

誠は、いつもひとりだった。

登下校も、教室でも。

「今日は雨だから、その汚い制服も洗えるから濡れて帰れよー」

「ギャハハハハハッ」


…またか


帰り際いじめっ子達から悪口を言われても、もはや慣れてしまい言い返すこともしない。

暴言など、もはや日常茶飯事なのだ。


…どうしよう


できるだけ遅く帰ってきてと言われても、行くところもお金もない。

雨をしのげて時間をつぶせるところなど限られる。

もしかしたらママの仕事が早く終わってるかもしれない。

一縷の望みをかけ、誠は一旦帰宅することにした。

悪口の落書きだらけの教科書やノートが入ったランドセルも、一旦置きたかったからだ。


不用心だが、基本家の玄関の鍵はいつでも開いている。

「ただい…」

そっとドアを開けると、見慣れぬ大きな黒い作業靴。


…まだだった。


気配を消し、すぐ横の自分の部屋にそっとランドセルを置く。


「ハァ…ハァ…アッ、アァ…イクッ…!ん……」

「ハァハァ…まだまだだぜルカ、もっと楽しませてくれるんだろ?ほらっ、オレのしゃぶってくれよ。さっきまでお前の中にあったから、熱くなってるぜ、へへっ」

奥の部屋から聞こえる声。

何度も何度も聞いたことがある、母の喘ぎ声と、男の野太い声の会話。


…気持ち悪い。


なんだかよくわからないが、本能的にその息遣いや声に嫌悪感を覚えた。

一度だけ、夜中に目が覚めてコッソリ襖の隙間から、声がしている時のぞいたことがある。

薄暗くてハッキリ見えなかったが、間接照明に浮かんだのは、裸の姿。


なんで布団のうえで裸になってるんだろう。

ママは何してるんだろう。

異様な姿に、翌朝怖くて母親に何も聞けなかった。


動物みたいだ、と誠は思っていた。

言葉にならない声をあげ、息を弾ませている奇声は、まるで動物園にいる生き物のようだと。

その声を聞く度に、耳をふさぎたくなった。

聞いてはいけないものだと思った。

まるで魔法の物語に出てきた抜かれると断末魔の叫をあげるマンドラゴラのように、それを聞いてしまうと自分がどうにかなってしまいそうだった。

夜寝ている時は、布団をかぶりできるだけ聞こえないようにしていた。



…耳が、痛い。

自宅を出て、傘をさしとりあえず街をさまよい歩いていると、耳の中がキーンと鳴っていた。

小学校に入学した頃から、謎の耳鳴りに悩まされていた。

耳の閉塞感があり、奥の方が詰まったような感じがして、時に吐き気や目眩に襲われる。

もっと小さい頃はよく中耳炎になったようで、子供ならよくあることだからと医者に言われ、母親瑠香もあまり気にしていなかった。

発熱などもあれば病院に連れて行ってもらえることもあるが、ここ最近は瑠香自身の体調が優れないため、通院もしていなかった。


行き場のない誠は、公園の遊具エリアに行き横に置かれた土管のなかに身を潜めた。

雨の中遊ぶ奇特な子は他におらず、いつもならにぎやかな公園がひっそりと静まりかえっていた。

土管に降り注ぐ雨の音が、反響して楽器のように音楽を奏でていた。


ピチョーン…

ポーン……


ここなら、何も聞こえない。

同級生の暴言も、母親の妖しい声も。


…世界って、こんなに静かだったのか…。


コンクリートの冷たい筒の中、三角座りで膝を抱え顔を埋めていると、どうしようもない悲しみと、やりきれない辛い想いが込み上げてきた。

ただそれを今はまだうまく言葉にできなくて、言いようのない絶望感と、あきらめの気持ちが誠を襲い、無気力ゆえもうその場から動けなくなっていた。

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