第4話 8月7日のハッピーバースデー
去年の八月七日の昼頃に『神様のメールが届いた』
ウチがスマホを買ってもらってすぐのころ、それは届いた。
大手キャリアで契約したそのスマホに初めのうちは意味も分からずキャリアメールを登録した。そして誰にも教えていないはずのそのアドレスに突然メールが届いた。結局使ってもいないそのアドレスは神様専用のメールボックスで、時々不思議なメールが届くことがある。
『八月七日の七夕の願いは必ず叶う』
その不思議なメールの通り、去年の願いは叶ったのだから、おそらく今年の願いもかなうだろう。
去年の竹久の願い『小説家になれますように』という願いは今のところまだ叶っている様子ではないけれど、いつかはそれも叶うと信じている。
「今年も晴れてよかったわね。年に一度しか会うチャンスがないのにその日が雨だなんて不幸すぎるもの」
「ちなみにベガとアルタイルとの距離は一五光年離れていて、本当は光の速さで会いに行ったとしても年に一回会うのは無理。片道十五年で往復三十年。それからまた会いに行くのに十五年。かなり過酷な長距離恋愛だな。まあ、このあたりだと八月七日が七夕だからいいけど、七月七日は大体梅雨の時期だからね。でもまあ、そのほうが案外気楽でいいのかもしれないよ」
「どうして? だってそれじゃあ二人は会うことができないでしょ?」
「むしろどうして雨だと会えないことなるんだ? 雨雲の向こうでちゃんと会ってるかもしれないだろ? それに晴れた夜空で皆が見ているところで逢うほうが気まずいだろ? みんなが見ていないところでないとできないこともあるだろうし」
「そのいやらしい目、やめてくれる?」
「ごめん。そうだね、もし大我に知られたら殺されてしまうかもしれない」
「それに、瀬奈にも言いつけるから」
「え、あ、それは、まあ……」
ごまかしても無駄だ。竹久が瀬奈のことを好きなことぐらい見れば誰にだってわかる。
だから、ウチは自分の気持ちをごまかすためにも大我と付き合うことを決めたのだ。
それなのに、こうも優しくされてしまうとどうにも胸が痛む。
見上げた空には夏の大三角形が浮かぶ。彦星のアルタイルと織姫のベガ。その二人の仲を邪魔するかのように流れる天の川。その川の中にいるのが白鳥座のデネブだ。
そう、ウチはまるでデネブそのものじゃないか。
「デネブはあの場所からどんな気持ちでふたりをみているのかしら」
つぶやきに竹久は答える。
「デネブがはくちょう座なのはギリシャ神話の話で、七夕伝説に出て来るデネブはあまのがわぼしと言われていてカササギに変身するんだ。アルタイルとベガは天の川を挟むように瞬いているけれど、デネブは天の川の真ん中にいる。はくちょう座として見た時の羽を広げるとちょうど織姫と彦星の対岸をつなぐ橋になる。二人の愛の懸け橋となる存在だよ。この三つはともに夏の大三角と呼ばれていずれも一等星なんだけど、本来デネブは一八〇〇光年も離れた遥かに遠いところにある星だ」
「アルタイルとベガの距離に比べて随分と離れているのね」
「ああ、それなのにあんなに強く輝いて見えるのはそれだけデネブがものすごくでかい星だってことだよ。デネブがアルタイルたちを見ているんじゃなく、むしろ星空全体がデネブを見つめるほどだと言っていいじゃないかな。
いや、もしかすると天の川の真上にいるあのデネブこそが七夕の真の主役なのかもしれない。おれたちが流した笹の木はあの天の川へと昇っていくんだろ? じゃあ、願い事を叶えるのはやっぱりデネブなんじゃないかな?」
「じゃあ、願いが叶うのは一八〇〇年後?」
「そうじゃないんだろ? ちゃんとデネブに届けばすぐにでも願いはかなうさ。もちろんそれなりの努力は必要だろうけどさ」
「うん、そうね……」
つい、長く話し込んでしまってしばらく川沿いを歩き続け、その川の先に作業着を着た大人とトラックの姿が見えた。
「これ以上は進まないほうがいいみたいね」
「ああ、夢が壊れてしまうかもしれない」
その場に立ち止まり、この場で解散することにした。去り際に竹久が一言つぶやく。
「そういえば笹葉さん。笹葉、サラサって七夕みたいな名前だよね」
「――それ、今更言う?」
「え?」
「ウチの名前、それが原因だから。ウチの誕生日、七月七日なのよ。だから親がサラサって名付けたの。っとに単純よね」
「あ、もしかして笹葉さん、自分の誕生日と名前の組み合わせのこと嫌いなの?」
「好きなわけないでしょ」
「でもさ、こういう風に考えるのはどうだろう。その名前のおかげでみんながちゃんと誕生日のことを忘れずにいてくれるっていうのは」
「ま、まあ……そうではあるんだけど……」
「でも、それは参ったなあ……」
「なにが?」
「だってさ、笹葉さんの誕生日はもう一か月も過ぎてしまってるじゃないか。前もってわかっていれば何かプレゼントでも用意しておいたのに」
「いいわよ、そんなこと気を遣ってくれなくても」
「気を遣うというよりはさ、貸しでも作っておこうかなって、自分の誕生日の時に三倍にして返してもらうというのもいいかなって思っていたんだけど……」
「あきれた……」
「あ、そうだ。こんなものでよければ……」
竹久は鞄の奥底から少しヨレヨレになってしまった包みを取り出してプレゼントしてくれた。包みの中からは黒い立派な鼻ひげを付けた猫のマスコットが万年筆を抱えたキーホルダーが入っていた。『吾輩は夏目せんせい』というキャラクターだ。一部の文学乙女の間でそれなりの人気がある。
「どうしてこれを?」
「えっと……まあ、白状すればそれは別の人にプレゼントするつもりだったものなんだ。ネットで文学好きの女子がそれをもらって喜んでいるのを見かけたことがあってね。でもそれを渡そうとしたときに、たまたまその人が同じものを身に着けていることに気づいてしまって……それでつい渡しそびれてしまったんだよ」
「そう、なるほどね。本当にこれ、ウチがもらってもいいの?」
「うん。そうしてくれると助かるよ文学好きの間で人気のマスコットだって言ったって、世の中にはそんなに文学好きなんていないからね」
たぶん竹久は、そのマスコットの意味を知らないのだろう。だからそんなふうに簡単に言える。
「じゃあ、遠慮なくいただくわ。だから次の竹久の誕生日にはちゃんと何かお返しをしなきゃね。――ところで、竹久の誕生日っていつなの?」
「六月十三日だよ」
「もう、とっくに過ぎてるじゃない。それになに? まるで太宰治の生まれ変わりですって言っているようなその誕生日は」
「そんなこと言っているわけじゃないけどね。たまにそういうことを言われるのはもう慣れたよ。むしろ文学好きには憶えやすい誕生日ってってことで今はなかなか気に入ってる。
だからまあ、今更二か月も前のことを掘り返すのはあまりにばかばかしいので、さすがに貸しを返してくれるのは来年でいいよ。いや、僕は一か月遅れで渡したのだから、そっからさらに一か月遅れた七月十三日でいいかな」
「でもそれじゃあ、ウチ、次の誕生日も過ぎてるわよ」
「そうだね。なんなら一週間も変わらないじゃないか。何ならいっそのこと一緒にお祝いするというのもありかもしれない?」
「でもそれって――」
「あ、あああああああ、確かにそうだね。せっかくの誕生日を大我じゃなくおれと過ごそうだなんて……、やっぱり今のはナシということで」
「そうね、瀬奈には黙っておいてあげるわ」
「い、いや、だからそれは……」
「いいのよ、そんなに気にしなくても、瀬奈、週末のお祭り、すごく楽しみにしてるから」
「あ、ああ」
「うん。それじゃあまた週末……」
「うん、それじゃあ」
手を振り別れる竹久の背中を見ながら思う。
かぐや姫の犯してしまった罪とはいったい何だったのだろうと。
竹取物語で月からの使者はかぐや姫に、犯した罪のせいで地上での生活を強いられたのだと告げられている。そのせいで、決して誰とも結ばれることのない生活を送ることになってしまったというかぐや姫の犯してしまった罪とはいったい何だったのだろうかと……。
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