魔女見習いと魔王猫

夜想庭園

第1章 旅立ちの魔女見習い

第1話 旅立ちの日

 見納めとばかりに屋根の上で生まれ育ったローレライの街の景色を見ていたところ、使い魔の黒猫が身軽に壁をよじ登ってきて尋ねてきた。


『フィー、本当にこの街を出ていくのかい?』


 私は風にたなびく自慢の黒髪を押さえて振り返ると、眉を寄せて答える。


「仕方ないでしょう? 魔女の資格がないから街では開業できないし、このまま街で暮らしていたら蓄えも尽きて飢え死にしてしまうわ」

『はあ…まさか魔王である僕を封印してのけた勇者一行、その一員である狂戦士ブラフォードと悠久の魔女サーリアの子が食いっぱぐれるかもしれないとはね。使い魔としては情けなくて涙が出てくるよ』


 妙に人間臭い仕草で溜息を吐くジュディ。真名マナはジュディラスティ・キルレインとか長ったらしい名前がある。その昔、両親が勇者アルフレッドや聖女ミューズと共に魔王を倒し、その魂を使い魔の猫に封印したと言うけれど、お母さんから使い魔を受け継いだ時に直接聞いていなければ普通の可愛い猫にしか見えなかったわ。


「言わないで。私が魔女試験に受かれば万事解決なんだから、しばらくの辛抱よ」


 悠久の魔女サーリアは、その後仲間の戦士ブラフォードとの間に子供を儲けた。それがこの私、フィリアーナ・エターニアだ。でも、お母さんは子供を産んだことで悠久の時を生きるための魔力が私に移り十年で早逝、お父さんも十二歳の時に起きたスタンピードで街の子供を庇って死んでしまった。

 お父さんとお母さんには死ぬまでに魔法や剣技を叩き込まれたけど、街では狩りもできないしライセンスがないから魔道具を売ることもできない。この三年間、家財道具や家を売り払ったお金で細々と暮らしてきたけど、そろそろ家賃が払えなくなってきてしまったのだ。こうなったら、街を出て野生に戻って暮らしながら十五歳以上で受けられるという魔女試験に一縷の望みをかけた方がマシだわ!


『別に無理しなくても、パン屋の息子のジェフのプロポーズを受ければよかったんじゃないかな。フィーは街で安定して暮らせるし、僕はパンとミルクを飲めて満足。ジェフはもちろん、黙っていれば美人のフィーを嫁に出来て幸せ。ほら、万々歳じゃないか。ああ、鍛冶屋のガッツでも商家のオットーでも構わないよ』


 そうジュディは念話をよこすと、退屈そうに欠伸をして前足をペロペロと舐めて毛並みを整え始めた。


「嫌よ! 私は、お母さんみたいな立派な魔女になるんだから!」

『いやぁ……サーリアみたいになるには、最低百年は必要じゃないかな。正直、悠久の時を生きて魔女として大成するのは、フィーには荷が重いと思うよ?』

「……だとしても、私は確かめてみたいのよ。お母さんが最後に残した言葉の真偽を」


 目を瞑ると、お母さんの最後が昨日のように思い出される。


「フィリアーナ、これだけは覚えておいて。母さんは、あなたを産んだことを決して後悔していない。私とブラフォードとフィリアーナの三人で過ごした日々は、この世界に転移してきて数百年の、どの瞬間よりも輝いていたわ」


 そう言って愛おしそうに私を見つめて静かに息を引き取った。でも、私は時々不安に駆られる。私さえ生まれなければ、悠久の時を生きる魔女としてずっとこの世に生きていられたはずなのに、本当に後悔することはなかったのかと。それを確かめるには、私自身が悠久の時を生きる魔女として大成しなければならないわ。


『僕には理解できない感情だけど、今のご主人様は君だ。頑張ってとしか言えないね』

「ありがとう。じゃあ、早速、魔法都市マーシャルに向けて出発よ!」


 私は一般的な魔法使いのローブを身につけ、左の腰にお父さんの遺品であるロングソードを佩いてマジックバックを肩にかけると、お母さんの遺品である魔杖を宙に浮かせて腰掛ける。


『えー? そこは魔法のホウキに乗るところじゃないの?』

「魔法のホウキは売り払ったわ。別に杖でも飛べるんだからいいでしょ」

『よくないよ、穂先がないじゃないか! 猫に棒に跨がれというのかい?』

「仕方ないわね……ほら、抱き抱えてあげるからいらっしゃい」


 私が両手を広げると、ピョンと跳ねて太腿の上で丸くなった。なんというか、地味に重い。


「ジュラ、あなた少し太ったんじゃないかしら。いっその事、街道や山道を走っていく?」

『嫌だよ! フィーやブラフォードみたいな体力お化けと一緒にしないでくれないかな。フィーは魔女より剣士の方がお似合いだね』


 背中の毛を逆立たせて絶対の拒否を示すジュラを撫でながら、私は北の山脈に向かって進路を取ってゆっくりと空中を飛び始めた。


「失礼ね。お父さんには最低限の護身術しか教わっていないわ」

『最低限……ねぇ。フィーは父親以外の人と剣を交えたことがあるかい?』


 私は唇に人差し指を当てて街での毎日を振り返るけど、お父さんとお母さん以外に剣や魔法を向けたことは一度もない。


「ないわね。小さな頃にピクニックに行った時に、フォレストウルフの群れやフォレストマッドベアーと遭遇したときくらいしか使った覚えがないわ」

『普通の魔女は、熊や狼は魔法で倒すんじゃないかなぁ……というか、小さな子供は剣で熊や狼を倒さないんじゃないかなぁ』

「魔法じゃ、お肉が消し飛んでしまうじゃない。それにお父さんも、子供の頃によく山でつまみ食いをしていたって言っていたわ」


 どれだけ威力を絞っても火では黒焦げだし、あの頃は完全な制御は難しかったから剣以外で綺麗に倒すのは難しかったのよ。


『はあ……まったく、君の両親は子供に常識というものを教え忘れたらしい。そういう所は、実にあの二人に似ているよ』

「そう? ありがとう!」

『褒めてないんだけどなぁ……うぅ、寒い!』


 両親に似ていると言われ、つい嬉しくなって速度を上げたところ向かい風が強くなりジュディはローブの影に隠れて丸くなった。


「今日は山で狩りでもして食糧を確保しないといけないし、このあたりで降りましょうか」

『ええ!? 途中の街で宿屋に宿泊して過ごすんじゃないのかい?』

「そんなお金はないの。冒険者ギルドに行って毛皮を売って余裕ができたら考えるわ」

『やれやれ。まさか野宿とは思わなかったよ』


 ローレライの街の北に聳え立つ山脈の山道に降り立つと、ジュディが私の膝から地面に飛び降りた。この山脈を超えたところに商業都市ミッドグレイズがあるはずだから、適当に狩りをしておきたい。


『思ったんだけど、ここで狩りをしてローレライの街のギルドで売れば普通に暮らせたんじゃないかな?』

「知らないの? 冒険者ギルドは十五歳未満では利用できないのよ。何をするにしても、この国は十五歳にならないと始まらないわ」

『でも、フィーも十五歳になったじゃないか』

「そうだけど、十五歳になったら魔女試験が受けられるのだから、街で冒険者をして燻っていても仕方ないじゃない。普通の使ならそれでいいけど、私はになりたいの」


 魔女あるいは魔導士として認められるのは魔法使いでも抜きん出た実力を持つ者に限られる。免許をもらえれば、街で魔道具を売ったり魔法使いを弟子に取ったりすることができるようになる。

 そんなことを考えていたところ、周囲から唸り声が聞こえてきた。


『ああ……僕がこんな低級魔獣に狙われるとは嘆かわしい』


 全部で十数頭くらいだろうか。いつの間にかフォレストウルフの群れに囲まれていた。


「ウォーター・ウェーブ! ライトニング・ボルト!」


 キャウウーン!


 私は周囲一帯に高さ一メートル程の津波を引き起こし、フォレストウルフを巻き込んだところで電撃を放つことで一網打尽にした。周囲には、ピクピクと痙攣して動けないフォレストウルフが横たわっていた。

 パチンと指を鳴らして無詠唱で発生させたウォーター・ボールにより、横たわったフォレストウルフの顔を水で包んで窒息死させると、私は得意満面の笑顔で使い魔に振り返った。


「とまあ、今ならこんなものよ。ジュディの言う普通に合わせて魔法で狩ってあげたわ」

『今のが普通だったら、世の中の魔法使いは商売上がったりだよ』

「さてと、血抜きをしておきましょう……ブラッド・ドレイン」


 フォレストウルフの体から血が抜き取られ頭上に球状に溜まっていく。お肉屋さんのお手伝いで練度を上げた私の血抜きは完璧よ!

 そう思っていると血の匂いに誘われたのか、今度はフォレストマッドベアーが現れた。


「まあ。今日は沢山お肉が食べられそうで助かるわ」


 全長三メートルのフォレストマッドベアーは肉食なので、雑食のフォレストウルフより美味しい。これで当分の間は食事に困ることはない。


「大丈夫か!? そこを動くな! 俺が助けてやる!」

「へ?」


 歳の頃は十七歳くらいだろうか。金の短髪に青い瞳をした騎士風の少年がフォレストマッドベアーに斬りかかろうとして――


 キンッ!


 縮地で駆けつけた私のロングソードにより、その剣を受け止められていた。

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