5、絶望の理由

 そもそも恋愛感情なんてものは、錯覚と思い込みだ。

 まあ、その錯覚と思い込みが、ぼくをこれ以上ないくらい打ちのめしたわけだけど。


 ヨルちゃんに彼氏ができたのは、卒業後の進路を決めてキャンパスライフが消化試合に入った頃だった。

 別に好きな人、ってわけではなかったと思う。なんだかぼそぼそと、照れくさそうに説明された内容をしっかり覚えてるわけじゃないけど、告白されたから付き合ってみた、とかそんな感じだったはず。


 ただ、そのちょっと照れくさそうに報告された時の、ぼくの心情をどう表現したらいいかは未だによく分かっていない。


 とにかくぼくは一刻も早く、ヨルちゃんから距離を置くべきだと思った。

 ぼく以外の誰かの隣で、幸せそうに微笑む顔なんて見せられたら、それこそ心臓が止まってしまうんじゃないかと危惧したし、そんなぼくを見せてヨルちゃんの人生に影を落としたくなかったし、影を落として、傷付けて、全部めちゃくちゃにしてやりたいという思いが同時に込み上げてきたことに気付いたから。


 錯覚と思い込みなんかに、ぼくは見事に振り回された。


 そして混乱を極めたぼくは、最悪の方法でヨルちゃんに告白をした。

 カンヴァスよりも優先されない自分。

 その次に大切なものにすら、ぼくはなれない。そんな絶望を抱えて。


 卒業旅行と称した海外渡航は、ヨルちゃんが思っている通り、正しく死に場所探しだった。

 それまでに貯め込んでいたバイト代を握りしめ、ほぼ飲まず食わずで向かった先はパリ。

 在学中に一度だけ行った家族旅行。いつかヨルちゃんと菜々子さんと、三人で行ったルーヴル美術館へ向かった。


 思えば、あの家族旅行が人生で一番幸福な時だった、なんて陶酔したことを思いながら。

 そのまま行方不明にでもなればいいか、とか、そんなことを思ってた。


 パリに到着したその足で美術館へ向かい、ぼんやりと館内を見て回った。

 ぼくは美術品に対し傾倒する気持ちなど、正直なところほぼ持ち合わせていない。


 作品に対する気持ちは、「ヨルちゃんが好きな絵だ」とか、「ヨルちゃんが好きそうな絵だ」とか、そんな主体性の欠片も無いどうしようもないものばかりだ。

 それは死の縁へと向かうその時も変わることはなかった。


 ぼくはヨルちゃんが好きなルネサンスの作品、ダ・ヴィンチやボッティチェリ、それらをひたすらに網膜に、嫉妬と共に焼き付けた。

 本当は、ヨルちゃんが愛する絵など、全て焼け落ちてしまえばいいとすら思っていたけど。

 同時に、せめてヨルちゃんの愛する絵に囲まれて死にたいなんて、そんな馬鹿げたことを思ったりした。


 そんなイかれた思考と共に売店で絵具とスケッチブックを購入し、十何年振りかに真剣に絵筆と紙に向き合った。

 網膜に焼き付けた作品を、小さなスケッチブックに描き写した。

 ピラミッドを望む広場の石畳に座り込み、何時間も一心不乱に絵を描き続ける東洋人は、人々の目にさぞかし奇異な者として映ったことだろう。


 陽も落ちてすっかり暗くなってきた頃、ぼくに話しかけてきたのが、後にぼくのパトロンになるベルナール氏である。

 ぼくの手元、一心不乱に描いたぼくの絵を覗き込んだその人は、やや興奮交じりのフランス語でぼくに何かを語りかけてきた。一応フランス語の日常会話ぐらいは問題ないぼくだけど、その時はもう、頭が働いていなかった。

 何を言われたのかも判らないまま、話しかけられたぼくは、言葉を返すことなくそのまま気を失った。


 病院に運び込まれた時点で、何故かベルナール氏がぼくの後見人となっていた。

 物好きが過ぎるとは思うけど、今ならまあ納得できる。ベルナール氏はそういう人だ。


 丸一日後に目を覚ませば、ちょうど様子を見に来たベルナール氏がぼくのスケッチブックをぱらぱらと捲っているところで。

 その後点滴で栄養を流し込まれながら、病院のベッドの上で、死とは正反対のところへと向かわされた。


 ベルナール氏が上手く計らってくれたお陰で、その辺りの一幕は菜々子さんにもヨルちゃんにも知られてはいない。「男には色々あるからな」という言葉は、余計なお世話以外のなんでもなかったが、正直有難くはある。


 ベルナール氏は、品のない言い方をすれば金持ちだ。

 唸るほどある資産を用い、気に入った芸術家の卵を自ら設立した工房に囲い、その生活と創作活動を支援し、世に送り出すということをライフワークにしているもの好きな老紳士である。


 一泊二日の退院後、工房の一部を宛がわれ、言われるがままに絵筆を握り、思いつくままに描いたのは、全てが夜の情景だった。

 その時点で日本には二度と帰るつもりがなかったので、ぼくは誰に憚ることもなく、それまでの空白を取り戻す勢いで一心不乱に描きまくった。

 ベルナール氏はぼくを褒め称え、ぼくはその称賛を無気力に受け流し、それでも夜を描き続けた。


 それは正しく渇望だった。

 永遠に手に入ることのないものを、ただカンヴァスに描いた。


 描いて、描いて、描き続けて、正に寝食を全て投げ打って、ただカンヴァスに向かい続けた。

 それは、諦めの悪いぼくの最後の抵抗だったのかもしれない。

 緩やかな自殺、とは後に当時を振り返った沙希さんとベルナール氏の言葉である。


 そんな緩やかな自殺願望を抱えたぼくを心配して、同郷だという沙希さんが引き合わされ、気が付けば日本への帰国を勧められるほどに、ぼくは心身共に弱り切っていた。


 それでも帰国だけは頑として受け付けようとしないぼくに、沙希さんが講じた最後の説得手段はあまりにも卑怯だったと思う。


「会いたい」


 スピーカー越しに聴こえてきた大切な人の、必死なそのたった一言に、ぼくはあっさりと陥落した。

 元々ほぼ持ち合わせていない恥や外聞の最後の残りカスすらも投げ捨て、泣きじゃくるしかできなくなったぼくを、ベルナール氏と沙希さんが半ば強引に引きずって日本へと連れ帰った。


 会いたい。でも、会いたくない。


 一年が経った今でも、ぼくの思考は大差ないのだから、我ながらどうしようもない。


 フランスから約十三時間、ほぼ首輪をつけられたような状態で日本へと向かう飛行機の中はあまり記憶にない。一応自立し歩行はしていたらしいが無意識だろう。

 ぼくはプレッシャーとストレスに負けてフライト前の空港で吐きまくり、ほとんど気を失っているような状態で飛行機に乗せられ、気付けば成田へと降り立っていた。


 到着ゲートを潜った瞬間、抱き着いてきたヨルちゃんの熱を、ぼくは永遠に忘れることはないだろう。

 あの温もりだけで、永遠を生きることができるとすら思った。


 それなのに今、時を重ねぼくはどんどん強欲になっていく。

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