第二十一話 イリヤの思惑【前編】

 篠宮が毎朝一番にやるのは向坂が早朝から図書室へ入り浸って無いかのチェックだ。その後に調査内容や進捗をノアに報告する。

 今日もメイドの出勤すらまばらな朝早くから図書室へやって来ていた。


「篠宮様、今日もお早いですね」

「ニーナさんには負けますよ。ちゃんと寝てますか?」

「ええ。ご心配有難うございます」


 ニーナは篠宮が一番交流のあるメイドだ。交流と言っても、彼女が図書室の清掃担当だからよく会うというだけなのだが。


「いつも一人でやってますね。いいんですか?」

「はい。好きでやってるのでね」

「でも他の人より勤務時間長いですよね」

「その辺は各自好きにしてますよ。私は掃除が好きなんです」

「ふうん。本人がいいならいいですけど」


 この世界は本当に雑で、時間を数える習慣もなかった。出退勤を記録することもないので勤務はフレックスタイム制にならざるを得ない。

 特にメイドは気ままなようで、ニーナのように朝早くに来て夜遅く帰る者もいれば働いている姿をろくに見ない者もいる。

 そういう契約なのかと思ったがそうでもない。本当に気分なのだ。これで給料が一律というのだから問題を感じるが、がみがみいう人間もいないのでそれなりにどうにかなっているようだった。


(地球じゃ考えられないな)


 篠宮が一日中図書室にいるのは向坂が時間外勤務をしまくるからだ。

 ここは会社ではないが、時間に制限がないからこそメリハリのない生活に陥る。向坂はまさにそのタイプで、だから規定時間以上は働かないよう追い立てるようにしている。

 しかしこの世界には時計すらないので、篠宮と向坂はスマホで時間を管理している。

 おかげで向坂が深夜から早朝まで図書館に居つくことも無くなった。今日もまだ向坂の姿は無く安心したが、代わりに想定外の客がいた。


「イリヤ皇子?」

「やあ。ナツノはまだかい?」

「もう少ししたら来ると思います。先日は失礼致しました」

「こっちこそ弟が失礼したね。キールは僕のことには過敏なんだ」

「弟? 皇子殿下方は血縁じゃないと聞きましたが」

「うん。けど僕とキールは互いが兄弟だと思うことにしてるんだ。僕がお兄ちゃん」

「ノアは違うんですか?」

「違うね」

「それは何故?」

「意味がないからさ。キールは僕の手綱を握るために必要なんだけど、ノアは僕に興味無いから駄目。それだけさ」

「手綱ですか? 必要そうにはみえませんが」

「よく言われるよ。でも」


 イリヤはたおやかに微笑みんがら腰の剣に軽く手を置いた。

 そして次の瞬間、その切っ先は篠宮の目に突きつけられていた。

 そんな動きをした事に気付くことすらできず、篠宮は悲鳴を上げることすらできなかった。

 数秒してから何が起きたかを理解し、ようやくぶわっと汗が出てきて手足が震え出した。


「ふふ。頭が良いようだけのようだね」

「……お怒りに触れるようなことをしましたか」

「いいや。何となくだよ」


 あはは、とイリヤは無邪気に笑い剣を鞘に納めた。


(手綱ね……)


 その意味をようやく理解し、キールの冷静に突き刺すような視線の意味も分かった気がした。

 恐らく気苦労が絶えないだろう。


「今日は君と話しがしたかったんだ。魔法と魔術を調べてるんだってね」

「進展無しですが」

「だろうね。この国には何も無いから」

「イリヤ様も調べたことがあるんですか?」

「当然。この図書室はその結果さ。僕が読み終わった本を並べただけ」

「これを、ですか」

「うん。読むだけ無駄だから止めた方が良いよ」


 図書『室』だが蔵書は多い。数千という本が並び、向坂と二人で読み切るには数か月では足りないだろう。


「凄いですね。けど読み手の目線が違えば得られるものも違うかもしれない」

「そう? じゃあ好きにすると良いよ。それより君に頼みがあるんだ、ただ飯食い君」


 イリヤはにこりと微笑んだ。美しい微笑みに反して厳しい言葉だ。


「……何でしょう」

「娯楽になるものを作ってほしいんだ。この国は本当に何も無いから」

「ヴァーレンハイトは面白いんですか?」

「生死をさまよう者は娯楽を求める余裕なんて無いよ。けどここは違う。なら楽しく生きて欲しいじゃないか!」


 ね、とイリヤはまた無邪気に笑った。

 にこにこと微笑み国民の幸せを願う様子は癒される想いがした。


「あと勉強する場所も欲しいな。ガッコウっていうのがあるんだろう、地球は」

「ありますが、それは地球の文化が過剰に入り込むことになりますよ」

「うん? 駄目なのかい?」

「ノアは嫌そうでしたけど」

「ノアがだろう? 国民の総意ではないよ。実際地球の科学力は生活を向上させ、取り入れる判断をしたのは国民だ。なら良いじゃない」

「そうですけど……」

「ノアの気持ちもわかるけど保守は退化と同義だと僕は思う。そして現時点皇子を統べるのは僕だ」


 イリヤは先ほどまでとは打って変わって厳しい目つきになった。

 ノアも真剣に語る時は凛とした表情をするが、それとは全く違う。まるで収められた剣を突き付けられた気分だった。


(右翼と左翼だな)


 政治思想の違いは地球にもある。それはどちらが悪いということではなく、多数の目線で様々な意見が出ることには意味があると思っている。

 けれどイリヤは一見穏やかそうだが、言葉の強さと軽率に剣を抜くのは過激派にも思えた。

 そしてそれに逆らい口答えするようなことは、部下を引き連れている篠宮にはできない。


「考えてみます」

「うん。よろしく頼むよ」


 イリヤはにこにこと微笑み去って行った。

 存在をすっかり忘れていたニーナも、ああ怖かった、と一息ついている。


(苦手なタイプだな)


 あの穏やかな外見に秘められた何かを知るのはとても恐ろしい気がしていた。

 ノアへの報告ついでに二人のことを聞いておこうと、早めに図書室を後にした。

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