第二十話 イリヤとキール【前編】

 なつの達の研究は行き詰っていた。

 本を読み漁っても地球に繋がる情報は無く、魔法と魔術についても掘り下がらない。

 篠宮も既存のオフラインアプリを魔法にすることはできたが、瞬間移動や変身する魔法アプリをゼロから開発することはできなかった。

 それでも挫けず挑戦し続けるのはさすがだ。だからなつのも苦手な読書を頑張っているが、最初に変化が訪れたのは朝倉だった。医療団の仕事の合間に顔を出してくれていたのだが、すっかりやって来なくなっていた。顔を出すのは居酒屋の方で、空いてる時間は以前のように店員として仕事をしている。

 その様子から帰ることは無理だと諦めたであろうことは察しがついた。最初は篠宮も手伝って欲しいと声を掛けていたけれどそれもしなくなった。職場になった図書室に来るのはもうなつのと篠宮だけだ。


「……腹減った」


 ぐうと篠宮の腹が鳴った。そういえばもうそろそろ昼時だ。

 こういう時はいつも朝倉が自分の居酒屋に食べに行こうと言っていた。最初は単に日本食が食べられる貴重な場所だからだと思っていたけれど、あれも研究から逃げたいからだったのかもしれない。

 何となく朝倉の話はしないようになり、なつのは昼食の準備を率先してやるようになっていた。


「ちょっと早いけど食事にしましょうか。何か作ってきます」

「手伝う」

「いいですよ。休んでて下さい」


 なつのは篠宮をソファに押し込みキッチンへ向かった。

 朝倉がいない分篠宮がやることも増えた。手伝おうと思ったが、エンジニアとして開発に携わったことのないなつのは足を引っ張るだけだった。

 篠宮は俺の仕事を取るなと腹立たしげに言ってくれたが、それが無理するなという意味であることくらいは分かった。

 ならせめてストレスフリーな生活ができるよう家事全般を地球出身の元主婦勢に習っている。

 なにしろ部屋の掃除は各自の仕事で、洗濯は頼めばやってくれるが糊付けまではしてくれない。篠宮はどちらかといえば綺麗好きで、だらしのない服装を嫌う。けれど研究に没頭するとおざなりになる。汚い部屋に戻りたくないからメイドが清掃をする図書室に居座っていて、それでもたまに「ベッドで寝たい」と言うこともある。

 だからなつのは日に一度は篠宮の部屋の掃除をするようになった。食事も篠宮が好む物を揃えようと日本食を作れそうな食材探しもしている。


「篠宮さん洋食あんまり好きじゃないんだよね。白米とお味噌汁と、卵と厚揚げあるし……」


 買い物に出るようになり知ったのは、想像以上に日本の食材が揃うことだった。

 遡れば百年以上前にやって来た日本人がいるらしく、味噌や醤油から始まり肉無し料理に使える食材は豊富に製造されている。

 とはいえルーヴェンハイト全土に流通させるほどの量は無いため、基本的に地球人にしか売らないことになっているらしい。だがルーヴェンハイトの人々は積極的に食事をしたいわけではないので特に何を言われることも無い。ただし、酒は大いに好まれるようで、これだけはルーヴェンハイト人も製造に人を割いてくれている。

 なつのは出し巻き卵と厚揚げきのこ(に似た何か)のあんかけ、ほうれん草(に似た何か)のおひたしを作った。


(意外と簡単なんだな。オフィスでも作ればよかった)


 周辺に食事をする場所がほぼ無いので適当に済ませていたが、会社にもキッチンと冷蔵庫はあった。

 食材を持って出勤して昼夜に作れば多少は充実していたかもしれない。きっと今の篠宮もそう思っているだろう。

 この世界の食材はあくまでも地球に似ているだけで全く同じかというとそうではないけれど、味噌と醤油があるので和食と思うことはできる。動物がいないので肉類は無いが、落ち着いた食生活がおくれることは気持を豊かにしてくれた。

 それでも考えなくてはいけないこともある。


(そういやルイ様はどうしたんだろう。瞬間移動の衝撃で忘れてたけど、ルイ様の協力を得るにはアイリス皇女を見つける必要があって、アイリスは多分マリアさんで……)


 正直なところ、ヴァーレンハイト皇国の惨状やアイリス皇女の必要性は未だによく分からない。

 ノアやルイにとっては重要なのだろうけれど、なつのは自分たちが安全に過ごせればそれでいい。戦争なんて関わりたくない。実を言えば武器を作るのも嫌だった。それは身を守る手段だったとしても、人を殺すということでもある。

 けれどそれをしなければ地球に帰る手段を調べることもできない。ならば仕方ないと思っていた。けれど朝倉がそっとリタイアしたことで、そういう選択もあるのだと迷いが生まれた。

 だからといって諦められるものではない。しかし意味の分からない戦争に参加するのは嫌だ。なつのの考えはまとまらない。


「ぐちゃぐちゃだ」

「そう? 綺麗な形してるよ」

「へ?」


 突然後ろから手が伸びて来て、出し巻き卵を一つ摘まんだ。

 それをぱくりと頬張ったのはイリヤだった。


「えっ、な、何であなたが」

「美味しいね。これ何?」


 イリヤはにこにこと上品な微笑みを浮かべているが、その後ろにいたキールは竦み上がりそうなほど恐ろしい顔をして睨みつけてきている。

 そしてずいと一歩前に出て来るとなつのを見下ろし目をぎらつかせた。

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