第十話 上司と部下

 篠宮は魔法の本関連の本を前にうんざりしていた。

 はっきりいって本を読むのは嫌いだし企画を立てるのも好きじゃない。


 篠宮が新卒の取りまとめを任されるようになったのは新卒二年目だった。

 一年目で大きな実績を立てたので、同じくらい優秀な新卒育成をせよという指示だ。

 だがまだ自分の事に集中していたかったので面倒でしかなかった。ならば自分のアシスタントにしてそれを教育とすれば、全員残業が減ると考え都合良く扱った。

 するとこれが「実践で実績を残せてやりがいがある」「残業が無くて良い」と支持を受けた。

 結局これで新卒育成が業務に定着して五年が経ったころ、上司から注意を受けた。特定の新卒が必要以上に残業をしているから業務量を調整しろというのだ。

 いつもなら新卒が帰宅しやすいよう定時の十八時退勤するようにしているが、仕方なく遅くまで残ってみた。

 すると確かに一人だけ延々と居残っている新卒がいた。


「向坂。もう二十時回ったぞ」

「え! もうそんな!?」

「残業するほど仕事振られてんのか? トレーナー誰だっけ」

「あ、ち、違います。これは業務外のことで」


 向坂なつのはディレクター職だ。

 エンジニアである篠宮とは業務が違うので直接業務指導をしているわけではない。あくまでも取りまとめなので各トレーナーから報告を受け方針を立てるだけだ。


「業務外なんてなおさら残業するなよ。何してんの」

「……企画書を、少々」

「めちゃくちゃ業務じゃねーか。見して」

「あ、で、でも……はい……」


 向坂は何故かしょんぼりして、おそるおそるパソコンを篠宮に向けた。

 表示されているのは企画書テンプレートだった。びっしりと文字が書き込まれていて、企画書にしては分かりにくい。

 これでは通る物も通らないだろうと思ったが、タイトルだけは興味惹かれるものがあった。


「魔法を使えるようになるアプリ?」

「……はい」

「魔法って、いわゆる魔法?」

「そうです……」


 ずらずらと綴られた文字に目を通すと、いくつか太文字になっているところがあった。

 テンプレートのバランスを崩しているせいで見難くなっているが、内容はまた興味を惹かれるものだった。


「『ここで呪文を唱えると楽しい』?」

「は、はい……」

「タップじゃなくて音声認識にするってこと?」

「え? いえ、別にタップでもいいんですけど」

「なら企画書にはいらないだろ。情報過多で分かりにくくなる」

「絶対いります!!」

「え」


 チェックは明日やってやるからもう帰れ――そんな話をしようとし出したのに、向坂は立ち上がり食って掛かって来た。


「魔法といえば呪文! 魔法陣! 不思議道具! それがあるから魔法っぽいんですよ! ぱっと火が付くだけならライターでいいじゃないですか! でも呪文と魔法陣があることで自分が魔法使ってる気分になるんです! だから呪文は必要! アプリは楽しくなきゃ意味ないですって!」

「……おお」

「あ」


 熱弁と踊るように魔法を使う身振りに負け思わず後ずさった。

 新卒には熱量の高い者は少なくないが、上司の前で我を失うほどはしゃぐ者は多くない。どちらかといえば冷静に礼儀正しいプレゼンをする。

 それに気付いたのか、向坂はまたしょんぼりと椅子に座った。


「……すみません」

「え? 何が?」

「だって、子供っぽいですよね。どうも昔から夢見がちで……」

「まさかこの企画NG出されたのか?」

「……はい。だって担当ストラテジーなんです。全然違うじゃないですか」

「それが?」

「え?」

「担当外のジャンルに興味持っちゃいけないわけじゃない。俺なんてアクセサリーツール担当の時にアバター作ったし」

「そ、それは篠宮さんが凄い人だから」

「凄いから成功したんじゃない。成功したから凄いって言われるようになったんだよ」

「……はあ」

「あと、NGくらったのは案が悪いからじゃない。企画書が悪いからだ。これ見てみ」

「え? あ、は、はい」


 篠宮は向坂の隣に座り、自分のノートパソコンを広げ企画書テンプレートを表示させた。

 これは篠宮が新卒用に作った物だった。

 技術が秀でていてもアピール力が無い者が多く、篠宮はこの指導が嫌いだった。はっきり言ってそんなのは自分でどうにかしてくれ、と言いたい。

 だがそんな風に新卒を突き放すのは良しとされず、ならテンプレート配って質問される回数を減らす――という考えだ。


「これは『案が通りやすいテンプレート』だ。書ける情報量少ないだろ」

「は、はい」

「これは興味無い奴でも聞いてくれる分量だ。この程度しか聞いてくれない。だから目的だけを端的に書くんだ。お前のでいくと『呪文を唱えることで魔法を使った気にさせる』ってとこだな。けどこれは『タップでいいだろ』と返される」

「あ、ああ、はい」

「なら『呪文を唱える意義』を伝えればいい。これはさっき言った『音声認識』ってシステムだ。これは最新機器でもあるだろ。声で指示を出せばロボットやスマホが動く。つまり音声認識アプリは『最新技術を活用したアプリ』とも言える。そう言われると開発する価値が出てくる。うちは単なるアプリ製作会社から最新技術を駆使する会社にステップアップするんだ」

「でも音声認識ってできるんですか?」

「できないからやるんだよ。夢見がち大いに結構。挑戦こそ成長だ」

「は、はいっ!」

「けど残業は不可。もう帰れ」

「はい! あの、また見てもらえますか!」

「魔法使いになれるならな」


 それから、向坂は魔法に関するアプリを考えては却下されまた考えては却下され――それを何度も繰り返した。

 結局どれ一つとして採用されることは無かったが、上層部も次は音声認識を取り入れたアプリを検討しようとなっていた。

 魔法アプリになるかどうかは分からないが、ディレクターは向坂が良いだろうという意見もあった。


(あと一歩だったんだけどな)


 努力は必ず報われるという言葉があるが、そんなのは綺麗ごとだ。実際は報われない事の方が多いと篠宮は思っている。

 報われるのは当たっては砕け当たっては砕け、そうして成長しながら何かしらに着地した時だけだ。

 そして、向坂の『科学で魔法を作る』努力は実ろうとしていた。けれどそれは本物の魔法に取って代わられた。本人は楽しそうだが、篠宮は妙に悔しかった。

 そして目の前の大量の本にはその秘密が隠されている。詳らかにしたいような、したくないような複雑な心境だ。

 だがそんなのは吹き飛ばすかのように、バアンと音を立てて扉が開いた。飛び込んできたのは向坂だ。


「篠宮さん! 来て下さい!」

「何だよ」

「外! 外! 早く!」

「はいはい」


 目を輝かせる向坂に引っ張られて行くと、桶でたくさんの水を運んでいる朝倉がいた。


「何してんだお前ら」

「ふっふ~ん。見てて下さいよ」


 向坂は朝倉から腕の長さほどある棒を受け取った。何の変哲もない棒だが持ち手だけが太い。

 距離を取るように向坂は桶の向こう側まで行くと、すうっと息を吸い込んだ。


「ザザガーニヤ!」


 向坂は謎の呪文を唱え、それと同時に枝の先にぼうっと火が付いた。

 魔法だ。


「何だそれ!」

「凄いでしょ!」

「どうなってるんだよ」

「ふふ~ん」


 向坂は火の点いた切っ先を水桶に突っ込み消火すると、持ち手から何かを取り出した。

 そして、自慢げにそれを掲げるとそれは――


「じゃじゃーん! ライター!」

「……あ?」

「オイル代わりに魔力珠を入れたらなんと動いた!」

「魔力珠って電気に限らず動力になるみたいです」


 どうやら手元にライターがあり、棒の中に敷き詰められた魔力珠を伝って火がついているらしい。


「呪文は? 何の役割だ」

「特に無いです。言っただけ」

「は?」

「敷いて言うなら注意喚起ですね。ロシア語で『着火』なんですよ、ザザガーニヤ」

「……それだけ?」

「そうですよ。楽しいでしょ」


 それはなんだか聞き覚えのある台詞だ。

 何度企画書を作り直しても必ず書いてあった『ここで呪文を唱えると楽しい』だ。


「ウォーターサーバーもいいと思うんですよね。必要な時すぐ使えるし」

「水は『ヴァダ』だって」

「もうちょっと呪文感欲しい。『きれいな水』は?」

「えーっと、シーステヴァダ?」

「あ、それくらいがいい。それにしよう」

「その前に仕組み考えないと。できるのかな」

「できないからやるんだって! ね!」


 向坂はにっこりと楽しそうに笑った。

 それはいつだったか篠宮が教えてことだ。


「……そうだな。作るか」

「わーい! 扇風機も欲しいなー!」

「扇風機は『パクオーニク』」

「洗濯機は?」

「『ステライネマシュナ』」


 地球から異世界に来て、失った物はあまりにも多い。

 貯蓄にキャリア、人間関係。このまま帰れなければ二十八年間の大半が無駄になる。

 それは決して『魔法楽しい』で受け入れられるものではない。

 けれど向坂が言うのは一巻して『魔法楽しい』だ。どの世界にいても向坂の言うことは変わらない。


「篠宮さーん! 早く早く!」

「俺は電気屋じゃねえぞ」


 今変わらないことがあるのはとても幸せに思えた。

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